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2008年10月 4日 (土)

大野病院事件 県が加藤医師への処分取り消し

加藤医師が県立病院への辞意を表明した今の段階になって、ようやく正式に処分が取り消されたようです。
思いがけない形で有名になってしまった加藤医師ですが、今後は新たな職場で今まで以上にご活躍いただければと願っています。

加藤医師の処分取り消し/大野病院事件で県

 県病院局は1日、大野病院事件で無罪が確定した加藤克彦医師の懲戒処分(減給1カ月)を取り消した。
 無罪の確定によって処分の根拠がなくなったことが理由。
 ただし、加藤医師のミスを指摘した当時の県事故調査委員会の報告書は改めないとした。
 県病院局は今後、遺族に対する民事的な責任がないのかをあらためて検討し、必要な措置を講じていく方針
 県病院局の尾形幹男局長は裁判で医師に過失がないという判断が示されたことに触れ、
「多数の専門家の鑑定や証言に基づき裁判所が法的に判断を下しており、精密で客観性が高い」との考えを提示。
処分取り消しの根拠とした。
 県は遺族に対する民事的な責任の有無は検討が必要との認識を持っており、今後、弁護士と相談して必要な対応を講じていく考え。
 尾形局長は「できるだけ早くに結論を出したい」と述べた。
 加藤医師とともに戒告の懲戒処分を受けた病院長の処分も取り消した。

県の担当者が陳謝したという表現の報道もありますが、単に間違っていましたと訂正するとか関係者を処罰するとかではなく、なぜそういう報告書が公に採用されてしまったのかという点を検討し問題点を改善していくことこそが再発防止につながるはずです。
この点については今回の裁判の中でも問題になった鑑定人の問題とも深く関係するところであって、そもそも結論ありきという今回のような報告書は論外としても、適格な鑑定人を選任するためのルール作りは是非とも早急に進めていかなければならないのではないでしょうか。

さて、こういう結果になってもう一つ持ち上がる問題として、民事的賠償を行うとして刑事裁判でああいう判決が確定したこの事例に対して、素直に保険金が下りるかどうかという点があげられるかと思います。
公立病院でのことですから最終的には公費で出すという手はあるわけですが、その場合は当然ながら議会での承認を得なければならないでしょう。
財政厳しい折どのようなロジックによってこれを納得させるものなのか、そうしたあたりも今後まだまだ注目していかなければならないのかなという気がしています。

医療事故ということに関連して、法曹界の住人である和田仁孝氏のコメントがあります。
医療と司法という関わりの中で色々な面で示唆に富む提言が含まれていますので、少しばかり長いのですが紹介しておきます。

医療事故、「医療界の意識改革」を

―産科医が逮捕・起訴された福島県立大野病院事件で、無罪判決が確定しました。
 遺族はやり切れない思いだったことでしょう。しかし、もし有罪だったとしても、恐らく、ご遺族の真の“思い”は満たされなかったのではないでしょうか。今回の事件で、果たして何が残ったのか。「医療には、裁判という仕組みがなじまない」ということだけが残ったのかもしれません。医療側も「無罪でよかった」と言うのでなく、より本質的な課題を考えるべきです。医療関係者に刑事罰を与えることで、「医療安全」が高まるとは思えない。むしろ、“委縮医療”につながることは明らかです。しかし、他方、被害者の方が刑事手続きに持ち込むに至る理由、その前に医療側としてすべきことは何かを考える視点が重要でしょう。なお、大野病院事件では、ご遺族が告発されたのではないことも、指摘しておきたいと思います。

―医療事故を刑事手続きで扱うのが妥当かどうかという問題ですね。
 以前、米国の学者に大野病院事件のことを話したところ、「医療事故がなぜ刑事の対象になるのか」と驚いていました。それが、医療事故に関する諸外国の一般的な認識です。警察が医療事故にかかわる国はほとんどありません。多くの医療事故は、医師が一生懸命に治療行為を行った結果、発生しています。これを過失として、刑事責任を追及するとなると、リスクの高い診療科を選ぶ人が減るのは当然です。外国のように刑事罰を謙抑的にし、代わって医療界の透明で信頼性の高い自浄的統制システムを確立すべきです。

―しかし、「重大な過失がある場合には処罰するべきだ」との意見も根強くあります。
 医療事故を交通事故と比較すると分かりやすいかもしれません。交通事故の場合、居眠りや脇見運転など、「過失」は比較的明確です。事案のパターン化も可能です。ところが、医療行為は事案ごとに個別性があり、類型化することが難しい。もちろん、手術中に居眠りをしてしまう可能性がゼロとは言い切れませんが、極めてまれなケースでしょう。高度化・複雑化している現在の医療では「チーム医療」が中心ですから、執刀医個人の過失責任を追及する仕組みが妥当かどうか疑問です。医療事故を引き起こしたシステム要因を明らかにできなければ、裁判が再発防止につながることはないと言えるでしょう。

■避けられない「リスク」がある

―医療者個人の「不注意」が医療事故を引き起こしているという側面はありませんか。
 確かにその可能性もあると思いますが、医療行為が本質的に備えている「リスク」を考慮する必要もあるでしょう。米国のある統計に基づいて推計すると、医療事故による国内の死者数は年間約4万人です。交通事故による死者数は年間約8000人ですので、この5倍の人が医療事故で亡くなっている計算になります。交通事故の5倍ということは、それほどまでにリスクが高い領域だと考えるべきです。ですから、医療事故を交通事故と同様に扱うのはどうかと思います。
 また、「なぜ医療事故だけを特別に扱うのか」という意見を聞きますが、交通事故についても、海外では刑事罰が適用されることはよほどの場合に限られています。刑事罰が「不注意」の抑止にあまり効果がないことは、共通した認識です。「過失」について刑事罰を厳しく適用するのは、わが国固有の傾向と言えるでしょう。ただ、何度も言いますが、医療事故への刑事罰の適用はできるだけ回避すべきですが、その代わり医療側は自己統制システムを確立し、被害者への対応など、きちんと課題に取り組まなければなりません。

―しかし、遺族としては、「真相を明らかにしてほしい」と願う。医療機関としては、医療事故が報道されると致命的なダメージを受けるので隠そうとする。そこで、遺族は「真相を究明するには裁判が必要だ」と考えるのではないでしょうか。
 裁判は、「有罪」「有責」という法的効果を導くために必要な要件事実を明らかにするシステムです。個々の患者の健康状態や手術時の状況などを考慮すると、個別性が強く、過去の判決(判例)の考え方を適用することが不適切な場合も多々あります。「標準的な医療行為から著しく逸脱したか」という過失の判断や、「当該行為から当該結果が生じたことが相当か」という因果関係の判断が難しい。しかも、「どうして事故が起きたのか」という微細な真相究明を願う患者さんに対して、裁判の事実認定には限界があります。「客観的な医学的原因究明」と、「そこで何が起こっていたのか」について、より微細な情報の共有が求められているのだと思います。それに適したシステムが必要です。

―民事裁判には弁護士費用が掛かります。そこで、民事で争う前に、刑事で「過失の認定」を勝ち取っておきたいという思いはありませんか。
 弁護士の戦略として、刑事告発により証拠収集を容易にするということがあるかもしれませんね。米国では、医療事故などの事案では「完全成功報酬」が多く取られています。いわば、着手金もなく無料で訴訟を引き受けて、勝ったら報酬を受け取り、負けたら一切費用は取らないというシステムです。日本でも、2004 年4月1日から弁護士報酬が自由化され、医療事故につき同様の仕組みを取る弁護士も出始めています。ただ、医療事故は決まったパターン(定型性)が少ないため、個別の案件ごとに時間と手間がかかります。弁護士にとっても大変な労力が必要で、それほど報酬が得やすい領域とは言えません。

■裁判外の紛争解決は「対話自律型」も

―日弁連は9月、「裁判外紛争解決手続き」として、医療紛争を処理する第三者機関(医療ADR機関)を全国に広げる方針を決めました。
 昨年4月に施行された「ADR法」(裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律)では、「合意型ADR」も「法的紛争解決」をするものと定義されています。「ADR機関」は法相の認証を受けることができますが、それには弁護士の助言を得るシステムを完備させることが一つの条件です。英米では、「合意型 ADR」は、むしろ法から距離を置いた紛争解決や対話の場と考えられています。あくまでも当事者が解決を図る場であって、第三者は評価や解決案の提示などを一切しません
 そもそも、医療事故を裁判外で解決する「医療ADR」の必要性が主張された背景には、「医療事故を法律的な枠組みで解決することに限界がある」との認識があったからです。従って、法律的な解決方法を「医療ADR」にまで広げる考えには疑問を感じます。弁護士会の医療ADRは、医療側・患者側の弁護士が一定の解決案を提示するようですから、そういう意味では、従来型のADRの仕組みに近いと思います。もちろん、訴訟と比べてさまざまなメリット、有効性はあるかと思います。

―そのような「従来型の医療ADR」は、今後広がるのでしょうか。
 ADR では、医療機関側と患者側の双方が応じないと手続き自体が始まりません。患者側としても、医療側との直接の対話、説明を求めることも多いでしょう。弁護士会ADRがどういう手続きをとるか不明ですが、従来、多いのは、当事者が直接向き合うのでなく、順次、第三者が別途に各当事者と話す「別席方式」です。むしろ、同席での直接対話の機会を提供するADRが必要だと思います。
 患者側には、説明不足や誠意の欠如など病院の対応への不満や感情の揺れがあります。お金や攻撃が目的ではありません。他方、医療側はそれをクレーマーと位置付けていたりします。大きな認識のギャップがあります。だからこそ、情報を共有し、感情的な葛藤に対応できる「直接的な対話の場」が必要なのです。紛争解決というより「関係の再構築」が必要とされているのです。それが満たされないと、ADRでの解決もニーズに応答的にはならないかもしれません。当事者同士が向き合い対話するという意味での「対話促進型ADR」も必要と考えます。また、ADRではありませんが、院内での初期対応で、まず医療機関が患者さんにきちんと向き合う仕組みが必要です。院内の医療メディエーターもその一つです。

―法的な解決方法が医療事故の特殊性になじまないことは理解できました。しかし、「医療メディエーター」や「院内の事故調査委員会」ならば、事案の真相を明らかにして遺族の感情に応えることができるのでしょうか。医療機関側の“手先”として、防衛的に機能する恐れはありませんか。
 院内の医療メディエーターは、医師の代弁をしたり、評価や解決案を提示したりしません。あくまでも医療側と患者側を直接向き合わせ、対話の場を設定し促進する役割です。院内メディエーターや、院内事故調査委員会が機能するためには、医療機関が積極的に情報を開示する姿勢を持つようにならないといけません。全国社会保険協会連合会(全社連)が真実開示・謝罪促進と院内メディエーションを連動させる試みをしていますが、こうした姿勢が必要です。「卵が先か、鶏が先か」という話になりますが、情報開示と院内初期対応システムが連動していかないと、いずれもうまくはいかないでしょう。また、姿勢や文化、意識の問題ではあっても、精神論でなく具体的なシステム、モデルとして提示・展開していく必要があります。

■「情報開示法」の制定が必要

―医療機関側の意識改革が必要でしょうか。しかし、「悪いうわさ」が外部に広がることを医療機関は嫌います。
 院内メディエーションや医療ADRが機能するために、わたしは理想的には「情報開示法」の制定が必要と考えています。米国でも幾つかの州で制定されています。対話による合意を図るのであれば、医療機関が事故に関するすべての情報を開示することが前提になります。医療機関が保有する一定範囲の情報を開示することを法的に義務付けた上でなら、院内の事故調査委員会の透明性も増します。ただし、その前提として、刑事適用の回避と、それに代わる医療界の透明な自己統制システムの確立が必要でしょう。

―最後に、医事紛争を院内で解決する「院内医療メディエーター」をめぐる現在の状況や今後の課題をお聞かせください。
 05 年より日本医療機能評価機構で養成を始め、現在ではいくつかの常設プログラムのほか、全社連、国家公務員共済連合会、地方医師会など、継続的、組織的に導入を図る団体も出てきています。個別病院では、武蔵野赤十字病院や北里大学病院、大阪けいさつ病院など10を超える病院で、院長主導で積極的に導入しています。専従メディエーターだけでなく、メディエーションの発想が日常診療やICの場面でも適用できる、患者と医療者との関係構築に役立つという理解からです。今年度だけで、延べ1000人に研修を提供するまでになりました。
 ただ、メディエーターを導入することで、医師が患者対応で楽になるとか、厄介事を減らせるとか、そういう発想で導入しようとするのは間違っていますし、期待に応えることにはなりません。なぜならメディエーターは、患者と医師を向き合わせることが役割ですから。患者のための医療、情報開示、真実開示、そうした姿勢を実現し、促進するのが院内メディエーターの役割です。医療界が率先して、医療事故をめぐる患者さんへの対応の改善に取り組んでいけるかどうか、医療界の意識改革が求められていると言えるでしょう。

医療事故に限らず、金銭的補償と言うものの意味を過大ないし過少評価すべきではないと考えています。
どこかのCMではありませんが、お金で解決できないものは数多くありますが、お金によってある程度沈静化できる問題もまた少なくはないわけです。
「誠意」や「気持ち」といったものが客観的、定量的に定義づけることが困難な以上、社会的に唯一の共通解としての金銭というものは最も普遍的な補償の道として「あり」ではないかと思うのです。

しかしながら交通事故に対してはほぼ自動的に、ほとんど例外なく補償金支払いが約束されている現状に対して、同様に悲惨な結果を招く医療事故に対する補償制度は産科という特定診療科の中でも極めて限定された領域で始まったばかりで、あまりにお粗末というしかありません。
いずれの形を取るにせよ補償制度を設計する上で考えておくべき事は「不幸な医療事故が起こった場合に、患者側のみならず医療側にも何らかの補償を行いたいと言う素朴な感情が存在するのだ」ということです。
しかし仮に医療側が補償を行いたいと思ったとしても、先に示した通り医療側の過失が公に認められなければ保険金すらおりない可能性がある日本の現状があるわけで、これは医療側、患者側双方にとって極めて不幸なことではないかと思います。

以前にも紹介しましたが、スウェーデンでは医療事故補償の届出に際してその40~80%に医師や看護師など医療側スタッフが手助けをしているという話があります。
医療事故を挟んで対立関係に陥りがちな患者側と医療側とが、医療補償という同じ目的に向かって協調関係へと変化していく、単に金銭的問題のみならず心情的な問題に対してもそれは両者の関係を改善する一歩となり得るのではないでしょうか。
まずはほんとうに小さな一歩ですが、産科無過失補償制度の行く末を見守っていく必要があると思いますね。

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