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2008年10月 8日 (水)

医療に対する被医療者の誤解をとくには

まずはお三方、ノーベル物理学賞受賞おめでとうございます。
ところで皆さん、新聞テレビを見て何の業績で受賞に至ったか理解できましたでしょうか?

どこの分野でも同じだと思いますが、専門分野になればなるほど部外者にとっては話がちんぷんかんぷんになってきます。
PCのように開き直って?解説自体が商売になっているジャンルもありますが、一般的には技術(専門)職と顧客との間にクッションとなる者(営業職など)がいて、両者の仲立ちをするというスタイルが多いんじゃないでしょうか。

もちろん医療分野においてもこうした試みが過去何度もなされているし、業務が多忙化する一方の医師達からも「ムンテラ(患者への説明)くらい誰かやってよ~」という声が日々上がってきているわけです。
この辺りの橋渡しについては前世紀終わり頃から医学教育でも盛んに取り入れられようやく成果も出てきたかなと言うところですが、今回まずは被医療者(一般人)でもある言語専門家の立場からの声を少し長くなりますが紹介してみましょう。

医療用語を患者の視点で 言葉遣いの工夫(田中牧郎・国立国語研究所言語問題グループ長)

 健診の超音波検査で「血管腫」が見つかったことがあった。郵送されてきた通知票で、精密検査の勧めとともに「腫」の文字を見たときは「腫瘍」を、そして「がん」を連想した。CT検査を受け、心配ないと分かるまでは、不安な日々を過ごした。腫瘍は悪性でなければ大丈夫という知識はあっても、不安を打ち消してくれるわけではなかった。医学的には「腫」だとしても、別の呼び名も書いておいてくれていれば、そんなに不安にならなかったのにと、そのとき思った。医療用語は医学の歴史の中で作られてきた専門語だが、患者の目や耳に飛び込んできて、自分の身体のこととしてとらえなければならなくなると、医学の文脈を離れて、患者の文脈に取り込まれる。患者の視点で医療用語を見ることが、もっと必要ではないだろうか。

 ■言葉遣いの問題

「○○剤の副作用で、重篤なショック状態に陥る危険があります」。医療従事者にとっては普通の言葉だろうが、これをきちんと理解して、自分で判断しようとする患者には、とてもわかりにくい言葉だ。こうした言葉が、何の注釈もなく、検査や治療の際の同意書に書かれていたり、医師の口から話されたりするのは、改善すべき問題だ。医療者による説明と患者の同意とが重視されるようになったものの、説明と同意の間に本来あるべき患者の理解や納得が抜け落ちているという問題は、言葉の面からもうかがえる。

 この言葉には、患者にとって二つのわかりにくさがある。第一に、副作用の危険があると言っても、その危険が自分の検査や治療の場合に起きる可能性を意識するべきなのかどうかがわからない。数字で確率が示されればわかりやすいと思う一方で、数字があっても自分の場合に起こるかどうかを考えて判断するのは難しいかもしれない。このように、医学の知識のない患者が的確に理解し納得することが困難な部分が、医療にはどうしてもつきまとう。

 わかりにくさの第二は、「重篤なショック状態」というのが、どのような状態を指しているのかが、わからないということだ。これは、医学の知識の有無には関係なく、言葉遣いの工夫によって解決できる問題だ。この、第二のわかりにくさを解消するだけでも、医療現場のコミュニケーションは、ずいぶん改善されるはずだ。言葉について研究活動をしている者として、この部分に発言したい。

 ■わかりやすくする言葉遣いの工夫

 まず、「重篤」という言葉は、一般の人にとってなじみがない。国立国語研究所が07年2月に、国民2000人に対して、単語を書いたカードを示して行った調査では、「重篤」という言葉を見たり聞いたりしたことがあると回答した人は40%、意味が分かると回答した人は28%しかいなかった。「重篤」は、患者の4人に1人強にしか通じない。症状の程度を表す医療用語は多いが、誰にでも通じる言葉は「重い」「重症」などだろう。「重篤」が、「重い」「重症」よりもひどい状態を指すのであれば、「ひどく重い」「ひどい重症」などと言えばよい。患者になじみのない言葉は、日常語で言い換える工夫をすべきだろう。

 次に、「ショック状態」という言葉だが、冒頭の文では、血液が循環しなくなり死の危険がある状態という意味で使われているようだ。しかし、医療の場に慣れていない患者は、日常語での「ショック」の意味から類推して、からだに衝撃が走る危険があるのだと誤解してしまうおそれが大いにある。誤解を生む「ショック」という言葉は使わずに、「血液の循環がうまくいかなくなって命を落とす危険があります」などのように言い換えるべきではないか。

 ■医療者の言葉遣い

 国立国語研究所では、08年3月に、医師3000人、看護師・薬剤師1280人に、医療用語100語を患者に対してどう使っているかについて回答してもらった。その選択肢と「重篤」「ショック」の結果を示すと、表の通りである。

【重篤】

そのまま使い、言い換えや説明を付けない  医師31.3% 看護師・薬剤師8.5%

そのまま使うが、言い換えや説明を付ける  医師34.4% 看護師・薬剤師21.4%

そのままでは使わず、内容や概念は別の言葉で表す  医師30.7% 看護師・薬剤師34.7%

使わない  医師3.7% 看護師・薬剤師35.5%

【ショック】

そのまま使い、言い換えや説明を付けない  医師15.1% 看護師・薬剤師25.1%

そのまま使うが、言い換えや説明を付ける  医師59.0% 看護師・薬剤師45.4%

そのままでは使わず、内容や概念は別の言葉で表す  医師18.7% 看護師・薬剤師13.1%

使わない  医師7.2% 看護師・薬剤師16.4%

 現状では、患者にとって分かりにくい「重篤」や、誤解を生みやすい「ショック」を、多くの医療者が使っている。適切に言い換えや説明がなされていれば、その言葉を使う方が効果的に伝わる場合もあろうが、「そのまま使い、言い換えや説明を付けない」とする回答も多く、問題だ。医療者の言葉遣いには、改善の余地がある。

 ■国立国語研究所の「病院の言葉を分かりやすくする提案」

 このほか「炎症」「潰瘍」「合併症」など、患者にとってわかりにくい言葉を、何の説明も加えずに使っている医療者が多いことが明らかになった。一方、別に実施した、医師が患者への説明に苦心している事例を集める調査では、同僚が「ショック状態」と言って、患者の家族に全く通じていない様子を見てからは、「心臓からの血液の供給も不十分で、危険な状態です」と言うようにしているなど、医師が様々な体験や工夫を重ねていることもわかった。

 医療現場で問題を起こしがちな言葉について、言葉遣いをどう工夫すれば、患者の理解と納得につながるのか、知恵や工夫を集めた指針づくりが望まれる。国立国語研究所が、医療の専門家と言葉の専門家からなる「病院の言葉」委員会を設置して活動に着手した、「病院の言葉を分かりやすくする提案」は、そうした指針作りに向かうきっかけになることを目指している。

参考になるサイト「病院の言葉を分かりやすくする提案」(http://www.kokken.go.jp/byoin/)に、本文で紹介した調査結果の一部も掲載しています。

一昔前には「患者に言いにくい話はドイツ語で話すようにしていたら、ドイツ帰りの患者でバレバレだった」なんて笑い話?があったようですが、今やカルテ開示を視野に入れてカルテ記載は原則日本語なんて言っている時代です。
現場の意識は日々変わってきているのも事実ですが、よくある「医者の言うことが判りにくいんじゃゴラァ!」なだけの批判と違って、こうやってある程度定量化してもらえると判りやすいのは確かですね。

医療を判りやすくという総論についてはもちろん大多数の医療従事者にとっても異論ないところだと思いますが、問題はそれに要する業務量の増加です。
例えば「肺にバイ菌が入って」なんて言いかえてみたところで、実のところ「肺って何ですか?」レベルな人が多いというのも確かなんですよね(中学校の時に「肺の面積は畳80畳分」なんて習った記憶が…)。
医者がいちいちそこまで戻って説明するのも実際のところ無理ですから、何とか説明文を定型化して医師以外のスタッフにやらせようと努力している病院が多いのではないでしょうか。

ところが医療というものが他の分野と少しばかり違うのは、一つには直接的に命を扱うというシビアな領域が多いということ、そしてもう一つは扱う対象の個体差が極めて大きいということです。
これが何を意味するかと言えば、重要な局面ほど後々トラブって訴訟などにつながりやすいと言うことは容易に理解できると思いますが、そうした場面ほど最も多忙を極めているはずの医師本人による微妙な説明のテクニックが要求されるということなのですね。
医者の方でもそういう患者理解の難しさを承知している(おおむね説明もうまい)医者ほど、患者説明を人任せにして妙にこじれさせられてしまう事を心配するもので、結果としていつまでたっても仕事が減らない。

昨今ではこれに防衛医療という概念が濃厚に絡まってきていますから、従来からの「医者はまず患者の治療をやるのが仕事」的な職業観を持つ医師と「十分な説明と同意の上でなければ治療を行うことなど許されない」と考える医師との間でかなり面倒なことになってくる場合もあるわけです。
例えばこういう笑い話のようなエピソードがあります。

重症患者が救急車で搬送されてきた。
診察に当たったベテラン外科医は患者を一目見て、ただちに緊急手術を要する状態であると判断した。
医師「今すぐ手術を行わなければ命に関わります!一分一秒を争う!この場ですぐに決断してください!」
家族「判りました!よろしくお願いします!」
即座に手術のための準備が開始され、患者は大急ぎで手術室に運び込まれた。
手術開始に先立って担当する麻酔科医から、家族に麻酔をかけることのリスクについて説明が行われたが、この説明は懇切丁寧なものであったため一時間以上を要した。

こういうことはどちらが正しいというわけではないのでしょうが、ある意味で今の時代はこうした多様な医師達が混在する過渡期であることは事実と言えるでしょうね。
何十年かたって医療が再び安定期に至ることがあるとすれば、医療現場でどういう対応が一般化しているかは想像してみると興味深いものがありますが…

さて、医療に関する誤解と言えばもう一つ、こういう話もあります。

産経新聞【主張】 がん生存率 データ公表病院を増やせ

 厚生労働省研究班が、がんの治療5年後の「生存率」を集計し、インターネット上に公表した。安易な病院ランキングも氾濫(はんらん)するなか、信頼できる情報を出すことは大きな意味がある。

 しかし今回のデータ提供は国公立のがん専門病院がほとんどで、一部は病院名を公表しなかった。情報を提供する病院を増やすとともに、データも基準を統一し、精度を上げるなどの改善が今後の課題となろう。

 研究班は平成11年と12年の2年間に初めて入院治療を受けた患者について「全国がん(成人病)センター協議会」加盟の32病院のうち26施設からデータの提供を受けた。症例数100以上で、生死を把握できた追跡率が9割を超えるなど基準を満たした病院について生存率を求めた。

 その結果、算出できた病院数は胃がん20、肺21、乳18、大腸17、子宮頸(けい)8で、それぞれ1~4病院がデータ不足でほかの病院との比較ができないと判断され、病院名を出さなかった。実名を公表したのは19病院だった。

生存率公表で病院名を明らかにできれば、患者は治療先を選びやすくなる。その半面、落とし穴もある。生存率はがん患者の重症度に大きく左右され、データの精度が低いと誤差も生じるからだ。

 研究班主任研究者の猿木信裕・群馬県立がんセンター手術部長は「今回の生存率は病院の優劣をそのまま示すものではない。参考資料の一つと考えてほしい」と説明している。その通りだろう。

 がんは30年ほど前から死因の第1位となり、死者は年間30万人を超える。国民の3人に1人はがんで死亡している。国家戦略としての対策が求められる。

 昨年4月には、がん研究の推進と治療技術の向上を基本理念に掲げた「がん対策基本法」が施行された。その2カ月後の6月には「がん対策推進基本計画」が閣議決定されている。

 この基本計画で重点的課題の一つに挙げられたのが「がん登録」だ。患者の罹患(りかん)状況を集めて分析するシステムで、生存率も登録データから算出される。地方自治体や病院、学会が協力して精度の高いデータをまとめるシステムを築き上げる必要がある。

 がんの予防には喫煙率を減らすことはもちろん、検診による早期発見が重要なカギを握ることも忘れてはならない。

ま、医療に激弱(あるいは確信犯的反医療マスコミ?)と定評のある産経らしい記事と言えば言えるんですが…
ちなみに元データを公開しているサイトはこちらのようですね。

この手の「ランキング」もまさに「誤解」を招いている一例ではないでしょうか?
ちなみに癌患者の場合、一般的に「五年たって生きていれば治ったと見なす」と言う意味で五年生存率というものを治療成績としてもちいます。
例えば今回の調査の対象となっているのは以下のようになっています。

1999年、2000年に各施設で初回入院治療を受けたがん患者
上皮内がん、ステージ0の患者は除外した15歳以上95歳未満の患者
手術だけでなく、化学療法、放射線療法を受けられた患者、積極的な治療を受けなかった患者も含まれる

実際によく聞く話ですが、癌と診断のついた患者から希望されて専門施設に送っても結構送り返されてくることが多いわけです。
一般的に肺癌や胃癌などでは外科的に切って取ることが最も効果的な治療となる場合が多いのですが、十分に切って取れそうな(勝算の見込める)症例なら受け入れてくれるでしょう。
手術が無理でも化学療法や放射線療法でそれなりに対応できそうな患者、特にその施設が熱心にやっている治療に適合する患者も受け入れてくれるかも知れません。
しかしどこからどう見ても勝ち目のない患者というものは得てして癌センターなどでは治療対象外と判断される場合も多く、結局は追い返されて元の病院に戻ってくるわけです。
では勝ち戦にしか手を出さない病院と、負け戦になることを覚悟の上で受け入れてくれる病院、どちらが良い病院と言うべきなのでしょうか?

そしてもう一つの問題はこれとは逆な話とも言えますが、専門施設とは本来「専門的医療に特化した病院」であるべきであって、どこの病院で行っても変わらないことであればそれは専門施設で扱うべきではないということです。
一例を挙げるならば、「風邪をひいて大学病院にかかる」と言う行為が大学病院でしか治療し得ない患者の受診をどれほど妨害しているかを考えてみるのがよいと思います(残念ながら、日本の場合そういう例が幾らでもあるという世界でも希な医療事情を誇っているわけですが…)。
一般病院では9割が亡くなるが専門施設にかかれば2割は助かる可能性があるという状況において、その2割を確実に助けられるように最大限の努力をするのが専門施設の存在意義というものです。
どこで扱っても大差ない症例にまで手を広げて見た目の治療成績を引き上げてみても仕方がない、というよりも、現在の医療リソースの不足を見れば扱うべきでない症例にまで手を広げた病院は軒並みスタッフの疲弊を招き医療の質を低下させていっていると言えるわけです。
「生存率公表で病院名を明らかにできれば、患者は治療先を選びやすくなる」などと言う単純な話に結びつけていますが、安易な情報を氾濫させて産経は医療を潰したいのでしょうか?

マスコミさんは一昔前に偏差値至上主義をさんざん叩いておきながら、今また全く学習することなく同じ轍を踏もうとしているのでしょうか。
お気楽な記事を書く前に、本当に患者のために必要な情報とは何か、望ましい医療実現のためにどう行動すべきかを一般市民に啓蒙していくことこそがジャーナリズムの役割なのではないでしょうか?

残念ながら日本にはまともなジャーナリズムが根付いていないなどと言われる現状では、国民自らがまず「そもそも患者にとってよい病院とは何か?」ということを考えてみるところから始めなければならないでしょうね。

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