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2008年9月

2008年9月30日 (火)

銚子市立病院閉院 勝ち組病院と負け組病院

地域の基幹病院が廃院ということでちょっとしたニュースになった銚子市立総合病院ですが、いよいよ本日で終わりになるそうです。
市の決断自体はそれなりに英断だったとも言えるのかも知れませんが、背後に見え隠れする事情はかなり香ばしいものがあった様子。
まずは記事から抜粋してみましょう。

銚子市の市立総合病院390床、財政難で休止

 千葉県銚子市の市立総合病院(393床)が財政難のため、30日を最後に休止する。これだけの規模の自治体病院が行き詰まったケースはあまり例がない。市は医師不足を招いた国の施策を非難するが、市の経営姿勢こそ問題との指摘も出ている
(中略)

市側主張 日大が医師引き揚げた 大学側反論 希望者がいない

 「万策尽きた」。岡野俊昭市長は休止を発表した7月7日の記者会見でそう語り、日大の医師引き揚げが大きな要因と主張した。
 同病院は日大医学部の関連病院で、2006年4月時点で常勤医35人中28人が日大出身だった。今年4月は13人中7人。日大出身者が2年で4分の1に減ったことが常勤医減に直結した。医師減少で患者も減り、収益は03年度の約37億円から07年度は約20億円に。
 とどめを刺したのが「医師引き揚げ」と言う市は、04年に国が導入し、地方の医師不足を加速したとされる新臨床研修制度にも批判の矛先を向ける。
 しかし日大の片山容一・医学部長は「引き揚げたのではなく、派遣期間を終えた医師の後任を補充できなかった。銚子に行きたい人が見つからなかった」と反論する。50以上ある関連病院への医師派遣は1~2年単位で、本人の希望を優先するといい、「将来展望がない、との評判が立てば誰も希望しなくなる。市の責任こそ問われるべきだ」と指摘した。
 市も、医師の手当引き上げや全国自治体病院協議会の紹介などの新ルート開拓を試みたが、休止への流れは止められなかった。協議会の紹介で昨秋着任した松井稔医師(44)は「経営努力を感じなかった。健康診断を重視するなど地域病院としての方向性を示す手もあった」と語る。
 全国に約1000か所ある自治体病院の75%は赤字。伊関友伸・城西大准教授(行政学)は「自治体病院の崩壊が一気に進むとは思わないが、大学病院に頼ればいい時代でなくなった今、将来展望がなく、医師の待遇改善に消極的な病院から徐々に傾いていくのでは」と予測する。

以前にも書きましたが、自助努力もなく何らの魅力もない病院など潰れて当たり前という時代になったということですね。
別に医療に限らずどんな業界でも当然のことなのですが、たまたま医療業界においては人材不足が目立っていることから人を集められる勝ち組病院と人が逃げ出す負け組病院とが二極化してきているというだけの話です。
そしてそういう話となってくればダイナミックな動きが出来る市立病院の方がよほど好条件を提示できるというのは容易に想像できることで、何の魅力もない公立病院にとっては今後も氷河期が続くことになるでしょうね。

そもそも医療自体が儲からないものとなっている今の時代、全ての医療分野を網羅しようとすれば赤字部門が発生するのは当たり前のことという認識をまず持たなければなりません。
黒字になるものであれば民間がやればいいわけですから、公立病院とは民間が行わない赤字部門を引き受けるという点にこそその存在意義があるという見方も出来るでしょう。
問題は同じ赤字でも民間では考えられないような非効率・不条理な経営による赤字幅の拡大が慢性化していること、そして地域の公立病院として提供すべき医療とは何かというコンセンサスが市民にも行政にも、そして当の病院にもないという点でしょうね。

民間よりはるかに好待遇な事務その他スタッフならともかく(苦笑)、そもそも公立病院の医師などと言うものは賃金や労働条件など民間に比べて低待遇であるのに加えて「来たくもないのに仕方なく来ている」という低モチベーション状態なわけです。
「需要があるからこれをやってみよう」「利益が見込めるからこっちに手を広げよう」などと現場を知らない司令部からお馬鹿な指示が乱れ飛ぶたびにますますモチベーションを低下させていき、最終的に「行きたい人が見つからない」という事態になるのは当然のことでしょう。
公立病院は公立病院でしか出来ない最低限の仕事だけを行うように業務を縮小していかないと、数少なくなった残る医師達も早晩疲弊して逃げ出すだけですよ。

実はこうした縮小均衡のモデルは既に存在しています。
基本的に医師の分布は西高東低と言われますが、東北地方は日本でも医師不足の目立つ地域であり、かつ今後も医師供給が劇的に改善する見込みはありません。
好むと好まざるとに関わらず少ない人数で回すことを強制されるわけで、そうであれば業務の内容を見直すしかないというのは当然の考えでしょう。
注目すべきは「正しい努力を行っている自治体病院が存在する」ということ、そして「正しい努力を行う病院に集まる医師は存在する」ということ、この二つの事実ではないでしょうか。

【特報 追う】東北の医療(下)少ない医師でも効果あり 地域にあった病院運営

 一方、公立病院でありながら10年以上黒字を続け、医師離れも生じていない例がある。人口1万人に満たない岩手県藤沢町の町民病院(病床数54)だ。町の「価値ある長寿社会」との方針に合わせ、高齢者医療に重点を置いた病院運営を行っている。
 町民病院を中心に、特別養護老人ホーム、デイサービスセンター、グループホーム、訪問看護ステーションなど各施設を設置。ケアの各段階ごとの情報を町民病院を中心とするシステムの中で統合し、高齢者のケアを行っていく仕組みだ。
 同病院の設立(平成5年)から参加した佐藤元美院長(53)は「ビジネス用語で“垂直統合”と呼ばれる方式。これにより、少ない医師でも患者のケアに最大限の効果を発揮することができる」という。

 現在、同病院には5人の常勤医がいる。病院と地域との繋がりを深めるため、全医師が訪問診療を行っている。佐藤院長自らも住民説明会を開き、病院運営の見通しや、“医師も人間である”ことを住民に理解してもらっている。また医師用の住宅の整備も進めた。
 こうした努力の結果が、高待遇をうたうわけでもないのに、大学病院からの引き揚げ要請を断り町民病院に残ったり、県外出身ながら着任を志望する医師の心をつかんだようだ。
 「医師が離れないのは、仕事しやすい環境作りの成果だと思う。医療制度上の問題や一部に対応の難しい患者がいるのも、他の病院と同じ。でもそれはわれわれが解決できる問題ではない。藤沢の医療のために、やれることをやっていくだけ」。佐藤院長は力強くそう話した。

                ■ ■ ■

 地域医療、医療行政に詳しい伊関友伸・城西大学准教授は、東北の公的医療について、「全国で一番医師不足に苦しんでいる地域。自治体病院は、これまで大学病院の派遣医師に頼り、自らの努力で医師を招聘(しょうへい)する努力を怠ってきた。待遇も民間病院に比べて悪く、医師にとって魅力がない病院になっている」と分析する。 医療崩壊を防ぐためには「待遇を民間並みにするのが重要」という。ただ地方自治体の財政が厳しい状況では困難だ。そこで、「医師がやりがいを感じる職場づくり」を挙げる。そのよい例が医療と行政が一体となった藤沢町の試みだという。 
 伊関准教授は「地方の公的医療は、“あれもこれも”ではなく、その地域でどんな医療が必要なのかを考え、それにふさわしい規模で運営するのが望ましい」と指摘している。

多くのプロフェッショナルと同様に、医師もまた「モノの判っている」人たちと仕事をしたいと思っているわけです。
モノの判っていない人たちが正しくもない行動を取っておいて「医者がこない!国が悪い!医局が悪い!」と叫んで見たところで、まともな医師ほどそんな病院・自治体は相手にするはずもありません。
仮に国家の強権による医師の強制配置などという制度が実現したところで、そういう病院に嫌々派遣されてくるのがどんな医師達かと想像してみるべきでしょうね。
医師はそもそも有限の人的資源ですが、まともな医師はさらに限られた貴重な存在であって、今や目先の利く病院ほどまともな医師を囲い込むために日夜必死の努力しているということなのです。

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2008年9月29日 (月)

見るからに怪しい「おいしい話」

国と地方とを問わず長年の土建屋行政の行き詰まりが近ごろ話題になっていますが、医療業界においても未だにこうした感覚の抜けない困った方々がいらっしゃるようです。
地方公立病院の惨状を見れば、「ハコモノさえ作ればどこからかスタッフは涌いてくる」なんて今どき脳内お花畑が満開状態の自治体さんにはさっさと夕張ロードを突っ走ってもらえばよいかなとも思うわけですが、問題はそのツケを払わされる地域住民。
少し前に一部で「何だこれは?」とちょっとした話題になっていたニュースですが、詳しい記事が出ましたので紹介してみます。

【ニュースの現場】揺れる湯沢町

●最先端がん治療施設誘致を計画
 スキーリゾート地として知られる湯沢町が、最先端がん治療施設の誘致計画を巡って揺れている。観光客の減少に悩む町は「新たな活性化の核」として建設に積極的だが、運営方法や施設内容にはっきりしない点も多く、住民からは不安の声も聞こえてくる。(津田六平)

●町「活性化策の核に」
 「海外から患者がやって来ることも可能で、湯沢が国際的に脚光を浴びる。何としても誘致を成功させ、町の活性化を図りたい」
 14日に町公民館で開かれた住民説明会。上村清隆町長は会場を埋めた約260人の町民らに訴えた。
 町が誘致を進めているのは、重粒子線を使った最先端のがん治療施設。茨城県の医療法人「桂仁会」の理事らが財団法人を新たに設立し、建設、運営を行う。建設予定地は、町が所有するJR越後湯沢駅から3キロほど離れた土樽地区の空き地約5・5ヘクタール。町が財団に安価で売却し、固定資産税の優遇措置を講じる計画だ。
 財団の理事長に就任予定の丸茂正光氏らによると、この施設はがん治療病棟や研究棟などを備え、患者搬送用のヘリポートや公園も整備する。最終的には月1千人の治療を見込み、事業費は約300億円。来春にも着工し、4年以内の稼働を目指している。
 さらに、国が公募する「先端医療開発特区(スーパー特区)」に申請中。丸茂氏は「世界最先端の施設になる」。上村町長も「これからは観光産業1本では困難。この誘致は人を呼び込み、雇用も生み出す」と期待を寄せる。
 そもそもこの誘致話を引っ張ってきたのは上村町長本人。昨秋に丸茂氏らと知り合い、意気投合したという。

●住民 具体性見えず困惑 
 「夢みたいな話で、逆に心配」「資金繰りは大丈夫か」
 町民説明会では、突如降ってわいた計画に戸惑う声が少なくなかった。具体的な計画が明かされなかったからだ。
 席上、丸茂氏は「資金を出したいという企業はたくさんある。町に出せとは言ってない」と強調した。
 が、運営母体となる財団法人の設立手続きもまだ完了していない。「理事にはこの分野におけるトップクラスの先生方が就任する」とするだけで、それ以上の説明は先延ばしにされた。
 こうした中、「桂仁会」が茨城県に今春開設した医療福祉センターの医療部門が稼働していない事実も判明した。
 町保健医療センター長の井上陽介医師は「計画通りの患者数を本当に受け入れられるのか。スタッフの確保も容易ではないはず」と指摘する。
 建設予定地にも問題が浮上している。町が95年に光学会社跡地を約12億3千万円で取得したものだが、揮発性有機化合物などの重金属が埋まっていることが判明。町が負担する土地汚染の処理に10億円かかるとの予測もある。
 また、上村町長の「(資金繰りについて)他人の財布の中まで見る性格ではない。丸茂さんたちを信じている」との発言にも、「無責任だ」との声が上がっている

●町支える観光 先細るばかり
 町民たちの思いは複雑だ。
 山あいにスキー場や温泉旅館が立ち並ぶ人口8500人の小さな町は、首都圏からのアクセスの良さもあり、ピーク時は観光客が年間1千万人を超えた。しかし、年々減少が止まらず、07年度は470万人に。それでも、町民の約8割が観光産業に従事する。
 説明会に参加した女性は「観光は先細るばかり。雪国に来てくれる話なんてそうないし、誘致には賛成です」と話す。一方、民宿を営む男性は「夢のある話に飛びつき、ハコモノを引っ張ってくることで未来が明るくなるのか」といぶかった。
 町議会でこの問題を取り上げた南雲正町議は「財団や計画に関して分からないことが多すぎる」としながらもこう指摘する。「誰もが町の将来を案じているからこそ、今回の誘致に注目が集まる。計画を精査するとともに、湯沢をどうしていくのかをみんなで考えていく必要がある」。

ええ~…なんなんでしょうこの怪しさ全開な話は(苦笑)。
どこぞの怪しげな○○商法の記事かと思うくらいに無茶苦茶怪しげなんですが、それに乗っかって突っ走っているのが町長一人というのもまさにまさにという展開ですね。
試しにこの脳天気町長と意気投合したという財団理事長(就任予定)の丸茂正光なる人物についてググってみますと、こんなのが引っかかってきました。

サウスイースト資源開発株式会社

丸茂正光Seikoh Marumo 最高顧問

苫小牧石油資源開発のスペシャリスト、中心的存在。
グローバルエナジイ株式会社の代表取締役社長、サウスイースト資源開発株式会社の非常勤取締役として新会社の業務の司令塔である。
米国三井物産の代表から三井物産の代表取締役常務就任中、サハリンの資源開発プロジェクトの責任者として活躍した。
世界のミスター丸茂として海外に太い人脈パイプを持つ。
趣味:ゴルフ

世界のミスター丸茂ですか(苦笑)。
ま、どう見ても医療なんて何一つ関係なさそうな人物ですよねえ。
と言いますか、この御仁って典型的なハコモノ屋なんじゃないのですか?
この御仁らがどうやって最先端の医療(笑)に従事するスタッフをかき集めてくるつもりなんでしょうか?
試みに「桂仁会」でググってみても引っかかってくるのは美容整形の類ばかりで、どう見てもこの種の医療を行う医療関係者にコネクションがある団体とも思えませんが…

いやあ、いいんですか?こんな夢みたいな話を語る怪しげな団体(失礼)に町有地を安価で売却した上に巨額の税金も投入するって。
色々な意味で数年後が楽しみで仕方がないような話ですねこれは。

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2008年9月28日 (日)

かなりとほほな宇宙旅行関連ニュース二題

前回は商業宇宙飛行一般化も間近か?!などと随分楽観的なことを書いていましたが、どうもかなり問題ありありという実情もあるようです。
まずは宇宙旅行行ける行ける詐欺か?!とでも思わされるような話ですが、さすが金額がハンパありません。

宇宙船搭乗直前に「不可」…「だまされた」と米社提訴

2006年に露宇宙船ソユーズへの搭乗直前に、医学検査で「飛行不可」とされた元ライブドア取締役の榎本大輔さんが、搭乗を仲介したスペース・アドベンチャー社(米バージニア州)を相手取り、代金の返還を求める訴訟を起こした。ロイター通信が25日、伝えた。

インターネット上の雑誌「ワイヤード」に掲載された訴状によると、契約した費用は計2100万ドル(約22億4千万円)。うち700万ドルは宇宙遊泳の費用で、「できるといわれたが、実はロシア側との合意はなかった」としている。

さらに、「契約した費用の全額を支払った後も『もっと支払え』と迫られ、断ると『飛行不可』にされた」「代わりに搭乗した女性は同社の出資者だった」と指摘。2100万ドル全額を「だまされた支払い」と主張している。

同社は「宇宙飛行はリスクが高く、最初から何も保証はしていない」と反論している。

う~む、普通に考えてまず最初に医学的チェックが入るものではないかと思うのですが…
まあこういう民事絡みの話は双方の主張をよくよく聞いてみないことには実体が不明ということはよくありますから、後に続く人びとのためにももっと詳細が明らかになって欲しいものですがね。

もう一件は五輪成功?で意気上がる中国初の宇宙遊泳ニュース…のはずが、一体これは何なんだ?と思わされる超とほほなニュースとなってしまっています。
まずは国内メディアから宇宙遊泳成功というニュース。

中国が初の宇宙遊泳 独自の宇宙ステーション建設へ一歩

 【北京=野口東秀】中国の有人宇宙船「神舟7号」に搭乗した飛行士は27日、今回の打ち上げで最大の目玉である中国初の船外活動を実施した。中国は目標としている宇宙ステーション建設に向け、新たな一歩を踏み出した。宇宙遊泳や衛星制御実験の背景には、米国と並ぶ宇宙大国と認知され、国際的な影響力を高めることで、国威発揚の機会とする狙いがある。

 船外活動を行ったのは、3人の飛行士のうち2人。1人は国産の船外宇宙服「飛天」を着用し、軌道船の外壁に取り付けられた重さ2・4キロの固体潤滑材料を回収し、軌道船でサポートするもう1人の飛行士に手渡した。船外活動は約20分間ほどで終了した。

 神舟7号はその後、小型衛星「伴飛小衛星」を放出、衛星に搭載されたカメラで7号の船体などを撮影し画像を地球に送信した。今年4月に打ち上げられた衛星「天鏈1号」とのデータ中継試験も実施。地上からの遠隔操作で宇宙を飛行する2つの目標物に対し、測量や制御を行う技術を検証した。

 中国は7号による初の船外活動を受け、無人の8号、9号でドッキング技術を取得、同10号を有人で打ち上げ、宇宙ステーション建設につなげる計画だ。

で、例によって国内メディアでは全くと言っていいほど報道されていないんですが、海外ではこういう報道が出ているんですよね。

中国は宇宙飛行士たちが発射台から飛び立つ何時間も前に待望の宇宙飛行の様子を誇らしげに伝えた(英文)

英国時間9月25日午後2:10、ロケットは甘粛省酒泉の衛星発射センターから飛び立った。今回の飛行は共産主義国初の宇宙遊泳が呼び物である。
国営新華社通信が“今から2日後の”9月27日付けの記事を発表した。神舟7号宇宙飛行士たち3人の船内の様子や生々しい会話なども含む手の込んだ内容だ。
「太平洋の眠れない夜」といった派手な見出しのプロパガンダ記事が新華社のウェブサイトに掲載されたのはロケット打上げの2時間以上も前である。同社スポークスマンは“技術的ミス”で間違って載ってしまったと説明している。現在は削除されている。(抜粋)
Fig1ロケット打上げ時の宇宙飛行士3人の緊張した表情

 
 
 

Fig2神舟7号は現地時間午後9時10分、酒泉衛星発射センターから飛び立った

 

 

 

Fig3宇宙船打上げの生中継を見るために北京の巨大スクリーンに集まった人々

 

 

 

Fig4今回搭乗している3人の宇宙飛行士

 

 

 

ええと…ネタですか?
さすが中国ともなると未来を報道できる通信社が存在しているということでしょうか…(汗)
アポロの月着陸が嘘であったと主張する一派は現在もいるらしいですが、こういう場合はどう評価すべきなんでしょうかねえ。

しかしこれ、「技術的ミス」と言うのか…?

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2008年9月27日 (土)

またまた毎日か!

昨今では捏造と言えば毎日、毎日と言えば捏造で誰もそのこと自体には驚きもしなくなってきましたが、珍しく素直に捏造を認めた方がニュースになるというこれは一例ですかね。
しかしまあ、どうみてもマスメディアとしての資質が問われるような話なんですが、毎日なら「また毎日か」で済んでしまうところが何とも…

「談話捏造」と告訴状提出  毎日記事で飯島元秘書官

 小泉純一郎元首相の引退表明に関連する毎日新聞の記事をめぐり、元首相秘書官の飯島勲氏が26日、「毎日新聞に発言していない談話を掲載された」として、毎日新聞社や同社政治部長、担当記者に対する名誉棄損容疑などの告訴状を警視庁麹町署に提出した。同社は「引退表明数日前の談話を誤って引用した」として、記事中の談話部分の取り消しを発表した。

 問題になったのは、東京都内などで配られた26日付朝刊に掲載し、元首相が引退を表明した背景を解説した記事。この中で引退表明の報を聞いた飯島氏が「小泉氏は(サプライズを生む)魔法のつえをなくしてしまった。次期衆院選で小泉氏が応援しても小泉チルドレンは負けるだろう」と周辺に語ったとした。

飯島氏は「毎日新聞から(取材の)電話も受けていない。捏造だ」と発言を否定。週明けに損害賠償を請求する訴訟も起こすとしている。

 これを受け毎日新聞社社長室広報担当はコメントを発表。「掲載した談話は、飯島氏の数日前の話を誤った形で引用したものだった。飯島氏は引退の報を聞いてこのようなコメントはしていない」と発言の経緯が事実と異なることを認めた。その上で、談話部分を取り消し、告訴状提出についても誠実に対応するとしている。

毎日の捏造問題を通じて、既存マスコミがどうやらネットの影響力というものをそれなりに評価し深刻に受け止めているらしいということが明らかになってきています。
実際に彼らの集まりにおいてもこんな感じで議論に登ってきているようですが、結局のところ「だからどうするの?」と言う結論にまでは至っていないようですね。
既存メディアの化石じみた報道姿勢をみても、思いもかけない事態に狼狽する旧世代の人間達といった構図が容易に浮かんでくるのは自分だけでしょうか?

マス倫懇全国大会始まる ネット社会など論議

 新聞社や放送局、出版社などでつくるマスコミ倫理懇談会全国協議会の第五十二回全国大会が二十五日、熊本市内で始まった。百五社・団体の編集責任者や記者たち約三百人が参加。分科会では、インターネットに端を発した毎日新聞社攻撃などが論議され、裁判員制度に向けた事件記事の見直しも報告された。

 毎日新聞社の英文サイトにわいせつな記事が掲載された問題をめぐり、ネットユーザーが同紙の広告主に電話をかけ、広告の継続をただす「電凸(電話突撃)」が相次いだ事例は「ネット社会とメディアの倫理」の分科会で取り上げられた。

 講師のウェブコンサルタント伊地知晋一さんは毎日新聞社のケースを踏まえ「ネットユーザーはマイノリティーではなく、その威力は侮れない」との見方を示した。

 ネット事情に詳しいジャーナリストの藤代裕之さんは「英文サイト問題への謝罪が十分とは受け止められなかった。ネット社会を特集した連載記事へのネットユーザーの評判が悪かったことも影響したのでは」と指摘。毎日新聞社はこの問題についての報告を、「時期尚早」として見送った。

以前にも書いたことですが、ネット世論と言うものを単に危険視し葬り去ろうと暗躍しているのが毎日新聞に代表される一部既存メディアだとすれば、ネット世論を味方につけ、それを背景に活動するメディアがそろそろ出てきてもいいはずです。
各新聞社が歴代の編集傾向からそれぞれの政治的志向を同じくする大衆を背景に従えているように、ネットメディアも独自の色を持つ一つの勢力として成立してくるようだと面白くなってくるのかなと思っています。
その意味でネット媒体に並々ならぬ興味と影響力を持つ麻生総理の誕生というのは案外一つの大きな契機になるかも知れませんね。

しかし毎日新聞、この期に及んで「時期尚早」ですか…
まあ確かにこういう話が未だに出てくるところを見るとどう見ても現在進行形ですしねえ…
内容はチェックしない、著作権なんてハナから無視、捏造は当たり前では、いったいこういう連中を我々はマスコミと呼んでいいのかと疑問に思うわけですよ。
毎日も経営的にもあまりいい状態でもないらしいですし、今後社としてどういう方向で生きていくつもりなのか他人事ながら心配になってきます。

毎日新聞英文サイト 32社記事を無断利用

 毎日新聞社は27日付朝刊で、英文サイト「毎日デイリーニューズ」のコラム「WaiWai」(6月閉鎖)が、新聞社、出版社計32社の記事を無断で利用、翻訳していたことを明らかにし「著作権に対する認識の不徹底を反省し、読者の皆さんにおわびする」との謝罪記事を掲載した。

 コラムは新聞、雑誌記事を引用しながら性的な話題なども掲載し、低俗すぎるとの批判を受けて6月に閉鎖。毎日新聞社は7月、「記事がほとんどチェックなしで掲載された」とする検証記事を掲載した。

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2008年9月26日 (金)

今どきメディカルスクール?

まずは記事を紹介します。

メディカルスクール導入提言まとまらず―四病協

 日本病院会の山本修三会長は9月24日の記者会見で、四病院団体協議会(四病協)の「メディカルスクール検討委員会」による
報告書案についてこの日の総合部会で意見交換したものの、最終的な取りまとめには至らなかったことを明らかにした。
 山本会長は「一部メディアで、四病協としてメディカルスクール推進という報道がされていたが、それは違う」と、現時点では
検討委員会の案にすぎないことを強調。「検討委員会の案は総合部会として尊重するが、まだ各団体の議論は結論に至っていない」と
引き続き検討する考えを示した。
 メディカルスクールは、4年制大学の卒業者を対象に、医療に関する専門的学修を集中的に実施する医学教育システム。米国を中心に行われている。
 検討委員会の報告書案では、現状の医学部教育や卒後臨床研修を維持したまま医学部の定員を増やしても、不足が深刻な「病院医師」の
増加にはつながらない可能性を指摘。優秀な病院医師を増やすには、メディカルスクールの導入が鍵になるとしている
 その上で報告書案では、メディカルスクールの利点として、▽すでに幅広い教養が身に付いた人が入学することで、優れた臨床医の
養成が見込める▽医学教育を短期間で修了できるなど効率的で質の高い教育が可能になる―などを挙げている
 山本会長は会見で、「メディカルスクールが安易に医師を増やすと捉えられるのが一番困る。基本は良い臨床医をどう育てるかだ」と強調した。

まだこんなことを言っているのかと言うような話ですが、こんな短い記事を見るだけでも幾らでも突っ込み所がありますね。
そもそも向こうのメディカルスクールは決して「医者になるための早道」などというような存在ではないんですが…

第一には、「すでに幅広い教養が身に付いた人が入学することで、優れた臨床医の養成が見込める」という根拠が全く存在しないことです。
現状でも学士入学、社会人入学組の医師と言うのはそれなりの数がいますが、彼らが高卒ストレート入学組と比較してより優れた臨床医となっているなどという話は寡聞にして知りません(その逆の話は幾らでも、ですが)。
そもそも医学教育を短期間で終了できるというのも根拠のない話で、増える一方の医学知識を詰め込むためほとんどの医学部では教養時代に医学教育の前倒しが行われているのが現状なわけです。
そしてまともな教養部の教官であれば、医学部相手の講義には後々医学に進んでも役に立つ教育内容を少しでも取り入れようとするもの。
こうした基礎教育を受けていない他学部卒業生はそもそもスタート地点でハンデがあるし、その分を残りの年数に回して詰め込むとなれば当然促成栽培になるのは誰が考えても判りそうなものです。

第二には、メディカルスクールは医師不足が叫ばれる現状下で「安易に医師を増やす」手段としてすら意味がないということです。
ご存知のように医師国家試験の合格基準は毎年一定ではなく、年ごとに決められるようになっています。
毎年の問題の難易度が同じでないにも関わらず合格者数がほとんど一定であるのは、この合格基準の変化で調節をしているからです。
つまりメディカルスクールや医学部定員増によって受験者数を増やしたところで、合格基準を変更しなければ医師数が増えるという保証など全くないということですね。
ネームバリューの上からもメディカルスクールが既存の医学部以上に人気が出るとは到底思われませんから、優秀な学生が集まりにくく合格率も低くなるとすれば、「医師養成学校の実体は授業料搾取学校?!」などといずれ週刊誌あたりのネタに取り上げられる恐れは十分にありそうですね。

そして第三は、そもそもメディカルスクール卒業生は現場が求めている類の人材では決してないということです。
何故なら医師不足だ、医療崩壊だと叫ぶ各地の病院で求められているのは「優れた臨床医」などではないからです。
そもそも現場が求めているのは40時間連続勤務だろうが、二日に一回の当直だろうが、年休二日だろうが文句を言わずに働く、世間知らずで甘ちゃんな「奴隷」にしか過ぎないのですから。
そしてその目的に最も適うのが受験勉強一筋で世間を知らないストレート入学組であって、世の中の仕組みの何たるかを知った頭の良い学士様などお呼びでないということです。

実はこうした危惧は別に想像上の可能性などというような不確かなものでも何でもなく、一足先にロースクールを実現した法曹界ではとっくに問題となっていることなのですね。
二つばかり記事を紹介してみますが、まさに上に挙げたような問題点がそのまま具現化していることがご理解いただけるかと思います。

司法試験合格ゼロ3校に 合格率も33%にダウン

 法務省は11日、法科大学院の修了者を対象に平成18年から始まった「新司法試験」の20年の合格者を発表した。合格者数は2065人にとどまり、合格者数の目安とされた「2100~2500人」の下限を下回った。合格率も前年より約7ポイント低く、過去3回で最低の32・98%だった。受験生のレベルの低さが浮き彫りとなり、法科大学院のあり方の見直しが急務となりそうだ。

 法務省によると、今年の受験者数は計6261人。大学の法学部出身者が入る「2年コース」修了者の合格率は44・34%にのぼったが、法学部出身者以外の未修者向けの「3年コース」の修了者は22・52%と低調で、既習者と未習者の合格率の開きは、前年から約8ポイントも上昇した。

 大学院別の合格者数は東大が200人でトップ。中大(196人)、慶大(165人)、早大(130人)、京大(100人)と続いたが、愛知学院大、信州大、姫路独協大の3校は合格者がいなかった。昨年は合格者なしの法科大学院はなかった。

 合格者数の目安は、これまで2回の試験で下限を下回ったことがなかった上、合格者ゼロの法科大学院が複数校にのぼるなど、一部の法科大学院の教育が、法曹界の求めるレベルに達していないことを示した。

 法曹関係者は「都市部や名門大学の法科大学院に優秀な生徒も教員も集中している。合格率の低い学校の中には、生徒数の減少で大学経営が先細っているため、授業料目当てに設置したとしか思えない法科大学院すらある」と指摘する。

 

保岡興治法相はすでに、司法試験の合格実績の低い法科大学院の統廃合を進めるべきだという考えを示しているほか、中教審の法科大学院特別委員会も質の高い教員確保が困難な学校の統廃合の促進を検討するよう求める改革案を提示。改革を求める声は高まっており、今回の結果によって論議に拍車がかかりそうだ。

 2年コースと3年コースの合格率の差が開いたことも深刻な問題だ。法学部以外を卒業した社会人を、社会経験を生かせる法律家に養成することが法科大学院制度の大きな目的の1つだが、3年コースの低迷ぶりで、社会人の司法試験離れが進むことも懸念される。

法科大学院:「定員削減必要」4割 司法試験合格率低く--毎日新聞アンケート

 全国の法科大学院74校の4割が、現在の総定員約5800人の削減が必要と考えていることが、毎日新聞のアンケートで分かった。目標の合格率(8~7割)を大幅に下回り、法曹資格を手にできない志望者が増えているためで、既に3校が定員の削減を決め、5校が定数減を検討している。地方の法科大学院には「首都圏への偏重を解消すべきだ」との意見が多く、首都圏に乱立する法科大学院を軸に再編論議も起きそうだ。

 アンケートは3回目の新司法試験合格発表となる11日を前に、法科大学院全74校を対象に8月下旬~9月上旬に行い、55校(74%)が回答した。

 総定員について「整理(削減)が必要」と回答した法科大学院は22校(40%)。「必要ない」が25校(45%)でほぼ同じ割合となった。無回答か「どちらとも言えない」は8校あった。

 「整理が必要」と回答した大学院には、都市部に集中した大学院の定数を減らすべきだとの声が多く、「首都圏一極集中の配置は避けるべきだ」(鹿児島大)、「大規模な法科大学院の定数を削減し、入学者を地方に分散させるのが良い」(久留米大)など、偏在の解消を求める意見が目立った。関東学院大が法科大学院の定員を今年度、30人削減した。来年度は福岡大が20人、姫路独協大が10人削減する。

 07年の新司法試験合格者数は1851人で、合格率は40%にとどまっている。政府の司法制度改革審議会の意見書(01年)が例示した「約7~8割が合格」とする目安を大きく下回った。【石川淳一】

 ◇認識まだ足りない--宮沢節生・青山学院大法科大学院教授の話

 4割が定員削減を必要としている意味は大きいが大多数が自校の問題として認識していない。過半数が法曹資格を取得できない定員の維持は、学生の搾取にほかならず全法科大学院が削減に取り組む状況をつくるべきだ。

医師国家試験にしろ司法試験にしろ目的の違いはあるものの、高度の専門性を求められるからこそ試験による最低限の質の確保を行っているという点では共通するものがあります。
既に先行する法曹界においてこれほど失敗だと言われているものと類似の制度を、わざわざ後発の医療界でも取り入れようとする意図が報じられている内容からは全く理解できませんね。

いずれにせよ今の医療界に失敗の可能性の高い試行錯誤などやっている余裕はないということだけは事実である以上、もし政府、厚労省が積極的にこうしたシステムを導入しようとするようであれば、そこには何らかの意図、国策というものが秘められていると考えておくべきなのでしょうね。

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2008年9月25日 (木)

毎日新聞と捏造の枢軸

今回は日本ユニセフ御推薦の映画「闇の子供たち」の話題です。

この日本ユニセフという団体が国連児童基金(UNICEF)の日本支部ではないと言うことは以前にも紹介しました。
また日本ユニセフと毎日新聞とが何かしら深い関係がありそうだなということも以前に紹介しました。
そういう背景事情を知っているものですから、この「闇の子供たち」について毎日新聞がわざわざ紙面を割いて妙にヨイショしていることを見ても、さもありなんとしか思っていなかったわけです。
さて、その「闇の子供たち」が現地タイで上映中止になったと話題になっています。

『闇の子供たち』バンコク映画祭で上映中止に

 バンコク国際映画祭に出品されている阪本順治監督の『闇の子供たち』の上映が中止された。同作は、タイの児童売春と臓器売買をテーマにした社会派のドラマ。映画祭幹部は、映画が「タイの社会において適切でない」と主張している。
 タイ・フィルム・オフィスによれば同作は昨年、同団体からタイ国内での撮影許可を得ないまま、現地の映画会社の協力のもと、バンコクでの撮影にこぎつけた経緯がある。
 映画祭は23日(火)に開幕し、8日間の日程で開催される。プログラマーは、今月初旬に出品作を発表。だが、映画の内容を告げられた、映画祭のスポンサーであるタイ政府観光局とタイ映画連盟が、プログラムから外すことを決定した。同映画祭のホームページでも、既に上映スケジュールから削除されている。
 「悪事を働くのは外国人ではありますが、映画にはタイ社会にふさわしくない児童売春に関する不適当な内容を含んでいます」とJaruek Kaljaruek連盟議長は説明する。

各社の記事を読んでいるのみでは何かしらの政治的判断と言うものが働いたのかとでも思わされるような話ですが、この「闇の子供たち」という映画自体が実はかなり怪しげな代物ではあるのですね。

日本ユニセフ協会推薦映画「闇の子供たち」に疑問続出

公開中の映画「闇の子供たち」に疑問点が続出している。
マスコミ各紙でも報じられたように、同作品は9月23日から開催のバンコク映画祭での上映が中止となった。タイ国内での無許可での撮影、タイの実態とかけ離れた内容であること等を、主催者側が問題視したためであるという。
映画に協力した大阪大学医学部の福嶌教偉氏は日経ビジネスオンラインのインタビューで、この作品はフィクションであると明言する。タイで日本人が心臓移植を受けた例はないという。また、親が他人の子供を殺してまで我が子に心臓移植を受けさせたいという心理描写は、医療現場の実態とは異なると述べている。
登場人物のセリフについて、「僕としては、ちがう言い方をしてほしかったなぁというのはあります。すくなくとも、僕が目にしてきたお母さんたちは、違っていましたから」と同氏は語る。更に、心臓移植の場面に関しても、作品中に出てくるようなビジネスとして成立するものではなく、タイの医療の実態にも合致しないと指摘している。

ところが、この作品はこれまで各サイトにて、「幼児の人身売買、売春というショッキングな真実を描いたノンフィクション映画」と宣伝されてきた。その影響もあったためか、ネット上に書き込まれた映画の感想には、ノンフィクションであることを前提としたものが少なくない。このような状況に対して、虚偽の宣伝ではないかという批判が続出した。
この作品は、日本ユニセフ協会の推薦映画でもある。同協会HPでは、映画の内容について「世界各地で実際に起っている「現実」を映し出しています」と紹介。一方、同協会北海道支部のHPの紹介文は、「ドキュメンタリーではありませんが、内容的にはドキュメンタリーと同じで、誇張でも何でもありません」という微妙な表現になっている。

8月7日の記事で扱ったように、同協会は毎日新聞の変態記事問題との関連で批判の対象となっていた。同協会とユニセフ(国際連合児童基金)は別組織であるという点が、曖昧にされているのではないかというのだ。この問題については、最近ではBPO(放送倫理・番組向上機構)にも視聴者から苦情が寄せられ、HPに意見が掲載されている。
なお、「アニープラネット」によると、映画で「江口が演じている新聞記者の社内は毎日新聞で撮影されている」とのことで、またもや毎日新聞と日本ユニセフ協会が揃って話題になってしまった。

要するに明らかなフィクションであるにも関わらずまるで事実であるかのように描く、それも事実より悪くという方向で捏造すると言う構図であるならば、それは悪く描かれる側は腹も立つだろうとは容易に想像されるところです。
しかしこういう構図はどこかで見た記憶があるなと思われた方も多いのではないかと思うのですが、それは正解ですよ(笑)。

映画「闇の子供たち」宣伝に思う

 映画「闇の子供たち」(2008年8月2日公開)に関する情報を、読者から教えていただいた、感謝する。同映画については、すでにご存知の読者は多いことと思う。同映画は、タイで発生しているという、臓器移植を目的とした、あるいは、幼児売買春を目的とした、子供たちの人身売買を描いた作品とされている。同映画の原作である小説「闇の子供たち」の作者は、在日コリアンの梁石日(ヤン・ソギル)氏。同映画については、長年にわたり、子どもの「商業的性的搾取」の撲滅を訴えている(財)日本ユニセフ協会が協賛し、同映画の公開に際しては、毎日新聞も紙面を割いてアピールに協力している。在日コリアンと日本ユニセフ、毎日新聞は、一見、不思議な取り合わせに映るが、しかし、実は、同じ根を共有していることが、この構図から窺えるのである。

 毎日新聞の同記事(8月1日付)には、同映画の阪本順治監督のインタビュー記事が掲載され、このようなくだりがある。云く、「阪本順治監督:小説だから描写できること、というものがあるわけですが、それを映像として省くのか、それともあえて挑戦するのか。そうしたことを考えながら読み進める中で、幼児の人身売買は現実にあり、日本人も加害者としてそれに関与している。ならばその醜さをはっきりと見せるべきだと考えるようになりました」と。この「小説だから」、と阪本監督が述べておられる言資が実に興味深い。

 すなわち、フィクションの意味合いが濃厚だ。同作品(映画)は、基本的には、梁石日氏の筆による「小説」を映画化したものである。その前提の上で、阪本氏は、どう見せるか映画を作るか、とその構成を考えた様子が窺(うかが)える。そうして映画作りの想定を進める中で、現地(タイ)での、幼児の人身売買は実際に起こっていることであるから、原作(小説)の中に描かれている「日本人も加害者としてそれに関与している」ことも、「その醜さをはっきりと見せるべきだと考えるようになりました」と述べている。
(中略)
 重ねて申し述べて恐縮だが、シーンに挿入される「映画の現実」の事項が、現実と異なるのであれば、「この映画はフィクションです」、あるいは、「フィクションが含まれます」との注意書きが必要ではないか。

 上記に引用する、毎日新聞記事のの監督インタビューの中にはこうある。云く、「映画のラストも原作とは違います」と。原作(小説)とも内容が異なっている。その点についての問いに対して、監督はこう述べているくだりがある。云く、「阪本監督:たとえば、よその国のマフィアが関わっている、かわいそうな話という落としどころだったら、日本人の監督が何をもってそれをやりたかったのか、と突きつけられた時に僕自身が答えられない」と。さらに云く、「だから、日本人を(子供たちを)救出する側ではなく加害者として描くことで、われわれ日本人に“はね返ってくる”映画にしたかった。そうでないと、自分にはこの映画は撮れないと思ったんです」と。

原作にも増して、「日本人を加害者として描く」。その性質にある「映画」であることが判る。喩えは悪いが、プロセスが重なるほどに、「現実」とはかけ離れて行くのである。それが「映画」である、と謂うならば、ことさらに、「フィクション」の注意、断り書きが必要である。しかし、毎日新聞の当該記事にも、また、日本ユニセフの協賛ページにも、その旨は明記されていない。

 何の「現実」から「目を背けるな」と云うのであろうか。

やはりお前らか!(苦笑)
毎日新聞が絡むと何故こうも「捏造だろうが何だろうが日本を貶めれば勝ち」という価値観につながっていくのかよく理解できない話なのですが、色々な話を総合する限りではどうもそういう会社であるということしか言えないようですね。
つまり心ある人間にとっては今や毎日新聞に関わること自体が一つの大きなリスクであると言う言い方が出来るのではないでしょうか。

さて、ここまでが前振りでここからが今日の本題なのですが、少し前に毎日新聞の子会社が大学内でAVを無断撮影していたと話題になったことがありました。
この解散してしまったMCプレスと言う会社は毎日コミュニケーションズの関連会社なのですが、この毎コミは他にも色々な出版活動などを続けているわけです。

ところでここに井上清成弁護士という方がいて、以前から医療と司法と言う関係の中で色々な発言を積極的に行い医療関係者の間ではかなり注目されている人物なのですが、この方が本日9/25付けで本を出すことになりました。
その名もずばり「医療再建-絶望の現場から希望の医療へ」という、これまた医療関係者からは注目を受けそうな内容です。

本書は、著者である井上清成氏が、医療にかかわる弁護士としての立場から、加速度的に崩壊しつつある公的医療を全国民の利益のために再建するためにはどうしたらよいか、さらには医療に過度に介入する刑事司法をどう抑制するかについて、これらの医療の発展の足かせとなっている各種法律に焦点を当て、法律が医療に介入することによってもたらされる矛盾点や弊害をあげ、その改正案を提唱しています。

昨今、医療現場を取り囲む環境は急激に変化しています。刑事司法が医療現場に過度に介入し、医師個人の責任が追及され、容易に逮捕・拘留されるケースも珍しくありません。また、1980年代半ばから続く医療費抑制政策によって、医療従事者は慢性的な過重労働となり、特に勤務医の退職を助長させました。こうした結果、疲弊した医師が現場から立ち去り、医療現場では慢性的な医師不足に陥っています。その中でも労働時間が長く、訴訟リスクの高い小児科や産婦人科などの特定の科では、医師不足が顕著になり、病棟閉鎖や病院を廃業する事態にまで陥っています。

このような医療崩壊を食い止め、新時代の医療を築くために、「法に医療をあわせるのではなく、医療に法をあわせる」という見地から著した、これまでにない一冊です。
巻末には『医療崩壊-「立ち去り型サボタージュ」とは何か』の著者である小松秀樹医師(虎の門病院泌尿器科部長)との特別対談『医療と司法の視点で語る日本医療再建のための手がかり』を収録し、医療と司法のそれぞれの視点から、卑近な刑事司法介入への対応法と医療再建のための具体策を示しています。

問題はですね、ええ…この出版社が毎日コミュニケーションズだってことなんですね。
いや井上センセ、悪いことは言わないから関わらない方がよろしかったのではないかと…

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2008年9月24日 (水)

麻生内閣で桝添厚労相留任?

…だそうです。
しかし何となく桝添氏と言うと例の「アルツハイマー発言」の絡みなどもあって反麻生なのかと思っていたので留任確定なら少なからず意外な人事という気もしています。
対立候補まで閣僚に取り込んでいる点からすれば大したことではないのかも知れませんし、どうせ選挙管理内閣だからという気もあるのやも知れずですが…

桝添氏と言えば、厚労相就任のころには盛んに自身の「介護経験」なるものをアピールされていたのが印象的でしたね。
その介護経験なるものの実態がどういうものであったかはあちこちに噂が出ていますからあまりここで言うことでもないのですが、昔から言うほどには実行力が伴わないなどと一部にささやかれている評価をこのところ実証しつつあるかに見えただけに、今度こそ実体ある行動力を示してもらいたいですがね。

さてその桝添氏ですが、先日とんでもない恥をさらしてちょっと一部で話題になりました。
きっかけはかなり大きく報道されたこちら9/19の後期高齢者医療制度見直し発言です。

後期高齢者医療制度を廃止 厚労相、新制度を検討

 舛添要一厚生労働相は19日、75歳以上の約1300万人が対象の後期高齢者医療制度について廃止に踏みきり、新たな制度の創設を検討する意向を固めた。年齢で区分しないことなどが柱で、1年以上かけて議論した上で関連法を改正し、新制度に移行する考え。
 関係者によると、次期首相就任が確実視される麻生太郎自民党幹事長も合意。福田内閣は24日に総辞職するが、次期政権の基本政策に盛り込まれるとみられる。
 舛添氏は年金からの保険料天引きへの高齢者の反発が根強いこともあり、衆院選をにらみ方針転換が必要と判断。同制度は4月に始まったばかりで、厚労相自ら不備を認めた格好だ。

おいおいまたいつもの朝令暮改かよ?!と思わず突っ込みを入れた者数多しと予想される(笑)ニュースでしたが、翌日のテレビ番組では妙に話をなかったことにしたがっているような気配も見え隠れしてアレレ?と思っておりましたら9/22になってこんな報道が。

見直し発言は舛添氏の個人的見解 後期医療で厚労省

 舛添要一厚生労働相が表明した後期高齢者医療制度の抜本見直し方針をめぐり、厚生労働省保険局幹部は22日、民主党の会合で「発言は厚労相の個人としての見解で、事務方(厚労省)としては相談を受けていない」と述べた。事務次官や保険局長も事前に知らされていなかったことを明らかにした。
 幹部は、抜本見直しについて「現時点では作業に着手していない」と説明。その上で「新首相、新厚労相から指示があると思われる。それを受け対応する」と述べた。

大臣の個人的見解て(笑)。新大臣から指示が出るまでスルーて(笑)。まあなんて素敵なお役所的対応(苦笑)。
大臣発言に振り回される官僚と見るべきか、自分のところの官僚すらコントロール出来ない大臣と見るべきか微妙なところですが、これがさらに9/23にはこうなりました。

後期高齢者医療制度は「廃止」せず 厚労省幹部が「舛添」発言を修正

 舛添要一厚生労働相が表明した75歳以上を対象とした後期高齢者医療制度の抜本見直し方針について、舛添氏は同制度を廃止せず、75歳以上で区分けするなどの制度の根幹を残す意向であることが22日、分かった。厚生労働省幹部が同日の民主党の会合で明らかにした。舛添氏は20日の民放番組で「家(制度)を作り替える」などと発言し、現制度を廃止して新制度に改める考えを示唆したが、実際には制度の手直しで終わらせることを意図していたことになる。
 厚労省の吉岡てつを高齢者医療企画室長は22日、民主党内の高齢者問題に関する勉強会に出席し、舛添氏が示していた後期高齢者医療制度に代わる新制度の基本方針について、「私どもが聞いている範囲では、(舛添氏は)年齢『のみ』で区分しないと(舛添氏は)おっしゃっている」と指摘し、逆説的な言い方で、75歳を境目とする年齢区分を残すことを示唆した。また、「75歳以上でも現役で働いている方については、健康保険組合などに残ることを選べるようにしてはどうか、ということを大臣がおっしゃった」と説明し、75歳での区分が残ることを事実上認めた。
 舛添氏はこれまで、20日の番組では、新制度の基本方針について「年齢で区分けしない」と説明したうえ、75歳以上を線引きする後期高齢者医療制度の根幹が変更されるとの見解を示していた。
 同番組に出演した民主党の長妻昭政調会長代理は22日、記者団に対し、「一番初めに受けた印象とかなり違う話だ。国民の多くは完全に変えると思っているが、微修正なのに期待を膨らませているだけだ。選挙が終わった後に『そんな約束言ったっけ』という年金記録問題などと同じパターンだ」と批判した。

まあ好意的に捉えるならば、近日中の選挙に勝てるかどうかも判らない大臣に好き放題選挙対策の放言されても困るというのが現場の本音なんだろうとは思いますが、なんとも情けなくも後味の悪い騒動で終わったという感じです。
医療界隈で比較的桝添大臣の人気が高いのは、一にも二にも厚生官僚のやってきたことに批判的(に見える)だからという点が大きいと思います。
それがまあ、結局は何一つ成果も出せずいつもの頭に乗ってるだけの帽子大臣かと言うことになると失望する者多数でしょうかね。

厚労省と言えば例のDPC(包括支払い制度)絡みで予定通りに(笑)診療報酬の切り下げをやるそうです。
これに関してはこうまで見え見えの話にまんまと乗った(乗せられた)病院も馬鹿だねと言うしかないくらいの馬鹿馬鹿しい話ではあるのですが、乗らなければ潰れるしかない病院にとってはおぼれる者は何とやらという心境だったことでしょう。
しかしこういう記事を見てみますとやはり病院潰しは厚労省の意図するところであり国策だったのだと改めて確認できるわけで、下手なあがきをして傷口を広げるよりさっさと精算した方が良かったと言う話になるかも判りませんね。

医療費:「包括払い」係数廃止 病院淘汰促す--厚労省方針

 厚生労働省は、1日当たりの医療費が定額のDPC(入院費包括払い)病院に、収入を保証する目的で設定している「調整係数」を、10年度から段階的に廃止する。代わりに地域の開業医と連携し、退院患者のケアを引き受けてもらうなどの役割分担を進めて、入院日数を短くした病院が増収となる新係数をつくる。病院の再編・淘汰(とうた)を進め、医療費削減につなげるのが狙いだ。【吉田啓志】
 DPCは1日当たりの医療費を定額とし、患者に必要以上の注射や検査をしても病院の収入が増えないようにする制度。医療費削減のため03年に始まり、全国約9000病院の16%に当たる1428病院が導入(準備中も含む)している。
 ただ、収入が前年度を下回らないよう報酬をさじ加減する調整係数が病院ごとに設定されている。初年度にDPCを取り入れた病院は、導入前より平均3%収入が増えた。調整係数のおかげで増収となっている病院も多く、厚労相の諮問機関、中央社会保険医療協議会でも「国民の理解を得られない」との指摘が出たことから廃止に踏み切ることにした。
 しかし、一気に廃止すれば「多くの病院がつぶれる」(厚労省幹部)ため、新しい評価に基づく係数を設ける。「地域での機能分化と連携」に積極的な病院は収入が増え、消極的な病院は淘汰されるよう促す。

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2008年9月23日 (火)

先立つものは何とやら ?

まあ近ごろは何であれ世情がいささか荒廃してきているところもあるやに感じますが、中でも金銭的問題というのは生きる全てにおいて色々と大変なことになってきます。
生活物資の高騰であちこちに影響が出ていますが、最近特にきついと言う噂なのが学校給食です。
もともと食材費に余裕があるわけでもない上に、昨今では未払い給食費というものが馬鹿にならないとか。
そこでまあ、当然ながらこういうことになるわけです。

横浜市教委、給食費未納者に強制執行 年3000万円未収を改善

 横浜市教育委員会は、支払い能力があるのに1年以上給食費を払わない保護者に対し、給与差し押さえなどの法的措置をとることを決めた。早ければ年内にも実施する。横浜市の給食費の滞納額は年間約3000万円と、神奈川県内全体の5割近くを占める。滞納対策を強化することできちんと納めている保護者と公正を期す狙い。併せて来年1月からの給食費の引き上げにも理解を求めたい考えだ。
 県内の市町村で給食費の滞納者に対して強制執行の措置を採るのは初めて。最大規模の横浜市が動いたことで、今後、他の市町村も追随する可能性がある。
 対象は滞納期間が1年以上で、学校から電話や面談による督促を2回以上行っても応じない在校・卒業生の世帯。市教委は現在、滞納者の世帯収入や過去の納付状況などを調べており、調査が終わり次第、速やかに法的措置に踏み切る。現状では「(特に悪質な)約200世帯が対象になりそう」(健康教育課)という。

近ごろは教育現場でも自分勝手にし放題の親をモンスターペアレントなどと言うらしいですが、もう一つモンスターで鳴らしているのがこちらモンスターペイシェント。
特に公立病院の場合「税金なんだからタダで診て当然」などと真顔で言う患者も結構いると言う噂で、少し前には東海地方の某病院が「あそこは払わなくても大丈夫」と大人気だという話がちょっとした話題になったこともありました。
給食費未納問題と同様にこちらも医療費未納問題というのは決して小さな話ではないのですが、ようやく給食費同様に対策を取る時代になってきたようです。
しかし同じ神奈川とは、やはり都市部はこうした問題でも先進地域ということなんでしょうか?

未収金回収業務を民間に委託/横須賀市立市民病院

 横須賀市立市民病院(横須賀市長坂)は、医療費の未収金回収業務を民間事業者に委託する。医療費の滞納が社会問題化する中、民間のノウハウを活用することで、未収金を減らすのが狙い。県病院事業庁によると、県内の公立病院では初めての取り組みという。
 原則的に一年を経過した未収金が対象。同病院によると、二〇〇七年度までの未収金の合計額は七千四百五十五万円。このうちの六~七割程度の回収を民間委託する。
 委託先は、法務大臣から営業許可を受けている債権回収の専門業者、弁護士や弁護士法人。電話や文書による入金案内、督促のほか、悪質な滞納者に対しては、市が「少額訴訟」などの法的手段を講じる際に必要な調査、諸手続きも行う。委託費用は回収実績に応じて支払われる成功報酬型で、契約の際、市と事業者との間で歩合などを決めるという。七日に公募を締め切り、早ければ今月下旬には業務委託する予定だ。

 いわゆる“逃げ得”に歯止めをかけようという動きは、県内の他自治体でも広がっている。県も横須賀と同様、民間委託に向けて現在準備をしており、今月中にも公募を行う予定。七つの県立病院を所管する県病院事業庁によると、今年三月末時点の未収金総額は三億九千七百四十六万円。「職員による回収はマンパワーに限界があるうえ、専門性が劣るのは否めない」と民間の活力に期待を寄せる。「全国的に見ると新潟、三重、兵庫など七府県で導入しており、今後、追随する動きが広まるのでは」とみる。
 神奈川新聞社が県内の公立病院を対象に行った調査によると、一年以上が経過した治療費未収金総額は約十四億円(二〇〇七年三月末時点)。一病院あたりの平均未収金額は約六千万円に上る。こうした中、県と横浜、小田原、厚木三市は悪質な滞納者に対する支払督促を実施。厚木市は、市立病院で治療費を滞納した女性を相手取り、十九万九千円の支払いを求める「少額訴訟」に踏み切り、厚木簡裁は先月、女性に全額支払いを命じている。

近ごろでは医療費未納のみならず、病院内で暴れる、包丁を振り回す、果ては実際に刺すと危ない患者が増えているようです。
福山市と言えば以前に国立病院内で看護師が刺されるという事件があったかと思いますが、近ごろでは警察も講習会を開くようなご時世だとか。
う~む、金銭のみならずこういうトラブルはご遠慮願いたいものですがねえ…

「院内暴力」には毅然と

 医師や看護師に対し、患者やその家族が暴言や暴力をふるう「院内暴力」への対応の仕方を学ぶ講習会が8日夜、福山市御幸町上岩成の中国中央病院であった。院内の医師や看護師、事務職員ら約120人が福山北署の生活安全課長らの話に聴き入り、暴力を受けた際の護身術を学んだ。
 講習会では同課の谷本剛課長が、患者らのどういった行為が犯罪になるのかについて具体例を挙げて説明。暴言をはかれた時には常に敬語で話して相手に言質を取られないようにする▽問題のある患者を別の部屋に案内する間に警察を呼ぶ▽逮捕できなくても酔っ払いのように警察で一時的に保護してもらう――などの対応策も紹介し、「ためらわずに警察に相談してほしい。事なかれ主義は相手の思うつぼで、言いなりにならず、きぜんとした態度で臨んでほしい」と話した。
(中略)
 全日本病院協会が4月に発表した調査結果では、身体や精神面での「院内暴力」は5割以上の病院で発生し、うち警察に届けたのはわずかに6%程度にとどまっている。県内でも今年1月、安芸高田市内で、通院する病院の看護師を更迭するよう院長を脅迫し、人事異動を発令させたとして、患者の男が強要の疑いで逮捕されている。(広津興一)

医療現場というところへはあらゆる人びとがやってくることもありますが、診察室で過去に全く身の危険を感じたことのない医療関係者というのはそう多くはないのではないでしょうか?
この記事を読んで面白いなと思うのは、一方で院内で患者がトラブった場合に警察に連絡しても出動を渋るという話を某便所の落書き界隈ではよく聞くということです。
全く別件で通報した際の個人的経験からすると、確かに「あれ?これで来ないの?」と思うような対応をされた記憶があります。

市中の犯罪でも同じことですが、起こった犯罪を取り締まるより犯罪が起こらない、起こせない雰囲気作りをする方がよほど一般市民にとってはありがたい訳です。
今まで事なかれ主義で対応してきた病院側の姿勢が、実は医療現場の荒廃を招く一因だったのだとすれば、ここに至るまでモンスターに「つけあがらせた」責任の一端は医療の側にも存在するとも言えましょう。
「ためらわずに警察へ」と言うのが警察の単なるリップサービスでなく全国標準の対応であるならば、医療機関側はもっと積極的にその利用を考えていかなければならない気がしますね。

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2008年9月22日 (月)

ジェネリックは医療費削減の特効薬となるか?

国がジェネリック(後発品)の使用を積極的に進めています。
元々欧米諸国ではおおむね処方薬の半数程度が後発品と言われますが、日本では10%台と普及が遅れていました。
マスコミ界隈では何故か「後発品普及が進まないのは薬価差益の旨みを手放したくない病院の陰謀だ!」などというトンデモ論がまことしやかに喧伝されていたりもして苦笑するしかありませんが、それはともかく。
最近では度重なる制度改定のおかげ?もあってか普及率が向上してきているようですが、そろそろ頭打ちになりつつあるという話もちらほら。

医療 普及への処方箋 ジェネリック利用の環境整備

 以前は医師がジェネリックを処方する場合、なじみの薄いジェネリックの商品名や成分名を、処方箋に書く必要があった。しかし、平成18年、これが普及の妨げになっているとの意見から様式が改訂された。医師の署名があれば、先発薬名が書かれた処方箋でも、薬局でジェネリックに切り替えられるようになった。
 ところが、改訂後も普及は伸び悩んだ。
 厚労省が昨夏行った調査によると、全国の保険薬局の薬剤師が受け取った処方箋のうち、「変更可」に署名があったのは17・4%。さらに、実際に薬局でジェネリックが処方されたのは1・4%だった。

 こうした事情を受け、厚労省は新年度から、処方箋の様式を再度改訂。ジェネリックに変更してもよい場合に医師が署名する従来の様式から、「変更不可」の場合に、医師が署名する様式に改める。
 厚労省の医師に対する調査では、ジェネリックを「積極的に処方したい」と答えた医師は11%にとどまったが、「基本的に処方しない」と答えた医師も約18%足らず。「特にこだわりはない」という医師が大半の7割だった。
 同省保険局医療課は「医師に特にこだわりがないなら、『変更不可』にチェックはされない。そうすれば、患者は医師よりも話しやすい薬剤師に『薬をジェネリックにしたい』と言えばよく、ジェネリックの利用促進につながる」と改訂の趣旨を説明する。

「後発医薬品(ジェネリック)使用」は頭打ち-促進策に危機感

医師や病院への対策が急務
 日本保険薬局協会(NPhA)の漆畑稔専務理事は10日、都内で講演し、薬局の後発医薬品使用状況の調査をもとに、「後発品使用促進を目的とした診療報酬改定にもかかわらず、後発品使用は進んでいない」と指摘した。特に、病院からの処方せんが主体の会員薬局に対する調査では、後発品に変更可能な処方せん発行が全体の57%と少なく、病院や処方医への対策が必要だと訴えた。

薬局の「調剤率30%」見直し
 NPhAでは今年4月、約300の会員薬局と、診療報酬改定の影響を調べるため定点観測している約600の薬局を調査。変更可能な処方せんは、診療所の処方せんが主体の定点観測の薬局では76%と、会員薬局の57%に比べて高かった。
 また、変更可能な処方せんのうち、会員薬局で34・7%が、定点観測の薬局で26・1%が実際に変更されて調剤されていた。
 さらに漆畑氏は、後発品の備蓄状況についても紹介。定点観測の薬局の場合、後発品の備蓄品目数が4月28日時点の平均で370品目と、診療報酬改定前の1月末の351品目に比べて若干伸びているものの、薬局の経営悪化で総品目数が減少していることを示し、「備蓄医薬品で後発品の占める比率は増えたが、品目数自体は頭打ちになっている」と危機感を示し、積極的推進のためには「500品目程度の後発品備蓄が必要ではないか」とした。
 こうした状況から漆畑氏は、「後発品使用促進には、さらなる対策が必要だ」と訴えた。特に、処方医の意識改革の必要性を指摘すると共に、医療機関全体で変更不可としているケースもあるため、医療機関に対しても何らかの対策をとっていかなければならないとした。
 薬局の課題としては、後発品使用によって薬剤料の減収に加え、患者への情報提供に手間がかかるなど、薬局調査でも「経営に悪影響」との回答が多いことを挙げ、何らかの対策が必要だと指摘した。さらに、調剤基本料で後発医薬品調剤体制加算の要件である「後発品の調剤率30%」は既に達成している薬局が多く、現状ではそれを超えて推進するインセンティブが働かないため、目標の見直しが求められるとした。

まあ制度変更である程度のところまでは普及が進むとは思いますが、未だ医療費削減より質の維持に重点を置きがちな日本医療界において欧米並みの普及が達成されるかどうかは疑問ですね。
欧米ではおおむね五割程度と言われる後発品普及が日本で進まないのは何故か?と言えば、何より主成分が同じなら効果も同じという保証はないからでしょう。
簡単に言えば、原料はどれも同じ小麦粉と塩だからと言って出来上がるうどんも同じ味という保証がないのと同じことですね。

現在のところ薬剤投与後の血中濃度推移が先発品と同等であるという一事をもって同等の効果があると認定していますが、はっきり言って「効果は同じであるはず」という前提に立った手抜き認定システムであることは万人の認めるところでしょう。
薬剤としての物理的安定性の評価などは不十分であるし、主成分以外の成分から起こることも多い副作用頻度等のデータは全くないわけです。

また実際の話として考えると、薬局で後発品を選択したとして選んだ薬が必ずそこにあるという可能性は少ないわけです。
近所の大きなスーパーに行けばたいていの品目は揃っているでしょうが、特定品目について全メーカーの品があるわけではないのと同じことですね。
こういう場合薬局側はこの薬の後発品にはこれこれの種類があると全てを提示して患者に選択させ、ストックがない場合には直ちに取り寄せるということになっています。
慢性期で急がない場合はそれでもよいのでしょうが、例えば風邪などの急性期で早く薬飲んで寝たいというような場合の利便性は大幅に低下する理屈です。

近ごろではジェネリック普及が進んできたが故にこうした問題が明らかになってきたという事情もありますが、敢えてそうしたリスクを犯してまで危ない橋を渡るほど日本の医師達が医療費削減に徹していないというのは良いことなのか悪いことなのか?
後発品に換えようが換えまいが処方する医師に何のメリットもありませんから、この場合良いとすれば誰にとって良いことであり、悪いとすれば誰にとって悪いことであるという視点も必要になってくるのでしょうね。

ジェネリックの光と影:/3 「認可条件緩い」と敬遠 ◇てんかん、心臓病治療…わずかな差で影響も

 国立病院機構静岡てんかん・神経医療センターは多数の後発品を使っている。しかし、井上有史・副院長は、先発品の抗てんかん薬を使って発作を起こさずにいる患者には、処方せんに「(後発品への)変更不可」のサインをする。
 厚生労働省は製薬会社に対し、飲み薬の後発品を認可する際、飲んだ人の血中濃度の測定試験をするよう求めている。認可条件は「後発品の血中濃度が、95%以上の確率で、先発品の濃度の80~125%の範囲に収まる」ことだ。厚労省によると、経験的に決まった許容範囲で、日米欧で採用されている。
 だが井上副院長は「てんかん患者は、微妙なバランスで発作が起きない状態を保っている場合が多い。血中濃度が、認可範囲内の20~25%違っても、発作や副作用を起こす可能性がある」と懸念する。欧米では後発品への切り替えに伴い、患者の1、2割程度が発作の増加や副作用を経験したとの調査が複数報告されている。
 発作が起きれば失職したり交通事故を起こすかもしれない。「範囲を外れる率が5%では高すぎる」と井上副院長は訴える。先発薬から後発薬への変更に限らず、後発から先発、後発同士の変更でも考え方は同じという。
 日本てんかん学会と日本小児神経学会は今年3月、「抗てんかん薬治療では(先発と後発、または後発同士の)切り替えに医師と患者の同意が不可欠」と提言。「発作が抑制されている患者で、服用中の医薬品を切り替えるのは推奨されない」と指摘した。

 皮膚科で使う塗り薬にも慎重論がある。
 金沢大病院皮膚科(竹原和彦教授)は、アトピー性皮膚炎など塗り薬を長期に使う患者の処方せんに「変更不可」の署名をしている。
 塗り薬には治療に直接働く有効成分のほか、「基剤」と呼ばれる成分が含まれる。基剤は薬を塗りやすくしたり有効成分を吸収されやすくする役割を持つ。先発品と後発品は、有効成分は同じだが、基剤は違ってもよい。
 竹原教授は「有効成分の量が同じ薬でも、基剤が悪ければ理論的に、患部に浸透する薬が減る。実際に患者に使って効果が落ちなかったとのデータがあればよいが、それなしで(後発品を)使えといわれても困る」と訴える。後発品を全否定はせず、抗ウイルス剤などは使うという。
(中略)
 効果や副作用以外にも、違いはある。
 武庫川女子大薬学部の内田享弘(たかひろ)教授らは、小児用の抗生物質(粉薬)で先発品と後発品、計10品目を比べた。服用時を想定して水に溶き、5人に飲んでもらった。味覚測定機でも調べて点数をつけた。先発品より大幅に苦い後発品が3品目あった。内田教授は「苦い薬は子供が飲まず、結果的に治療効果に差が出かねない」と指摘する。逆に、味が改善された後発品もある。
 国立医薬品食品衛生研究所の川西徹・薬品部長は「先発品と後発品で味、錠剤の大きさや外観の差で飲みやすさが違う場合がある。ただし、味や飲みやすさは国の保証範囲外。薬剤師が特徴を知り、患者に薦める薬を説明すべきだ」と話す。

最近ホクナリンテープの後発品で喘息発作が増悪したという報告が注目を集めていますが、臨床の現場で長く暮らしていれば「同じ成分のはずなのにどうも効果が違うような…?」と言う経験は誰しも持っているものです。
特に古い薬の場合は本当に主成分が効いているのやら疑問という場合が多々あって、おそらく原材料から製法まで全く同じにしないことには同じ効果は保証できないのではないかと思いますね。
そして問題はそういう古い薬ほど愛好者?が多く良く出る薬が多いということでしょう。

最終的には患者の自己判断でという話になるわけですが、今のように院外薬局に任せきりになるとどの薬で副作用を来したかという情報の担当医へのフィードバックが保証されないのは問題でしょうね。
患者にとっては最悪の場合後発品の一つでたまたま出た副作用によって同一成分の薬剤全てが使用できなくなる可能性もあるわけですが、今の食品汚染問題などを見ていますと遠からぬ将来そうした問題も大きくマスコミを賑わすことになる気がして仕方がありません。
「同じ効果があるはず」の後発品に変更するだけでこの騒ぎですから、医療費を削るというのもこのように詳細に見ていけばなかなか大変なことではあるわけです。

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2008年9月21日 (日)

今日のぐり「さぬきうどん 庵」

しかしまあ、マリノスにも勝てないということになるといよいよ覚悟を決めなければならないでしょうかねえ…
これで勝ち点4差、むしろ下と詰まってきていることがヤバくなってきました。
しかしずっと上でやってきたジェフもいよいよ今年は年貢の納め時でしょうか?

今日のぐり「さぬきうどん 庵」

うどん屋には有名店も数多いですが、全く話題にならないからと言って必ずしも不味いというわけではないのは当然です。
むしろ名も無き店の中からうまい店を見つけ出した時の方がうれしいものですよね。
連島中学校の真向かいにあるこの店ははるか昔、とあるうどん喰いからわざわざ行ったと聞いていた店で少しばかり期待して行ってみたのですが、妙に新しく見えるので店が違うのかと戸惑いました。
いかにも古くからの店と言う感じで無理矢理しつらえたような駐車場が窮屈な店構えなのですが、店舗自体の見た目は改装したのか結構今風のおしゃれな(と言うよりうどん屋らしく見えない)感じです。

中にはいると昼飯時のせいかほとんど満席に近く、とりあえず席が片付くのを待ってすわりました。
ちなみにテーブル席についたのですが、何故か席にメニューがないというのはいただけないところですか。
壁に貼ってあるという店でもなく他所の席から店員が持ってきたあたりからして、どうもメニュー板の総数が足りていないのでは?と言う気もします。
店員もみなさん声が出るのは良いのですが、特に一人きりのフロア担当(家族経営なのでしょうか?)はややバタバタとした印象なのが残念でしたね。
客席数からすると満席近くになれば確かに少しきついのでしょうが、放置でない事が理解できれば客は待てるはずなのですから、もう少し落ち着いて対応しろよと言いたくなります。

肝心のうどんですが、ぶっかけ¥380、かけ¥300、定食がプラス¥200と値段は安いのはありがたいところ。
冷たいぶっかけを注文しましたが、運んできたトレイの上のうどんを見てちょっとばかり嬉しい驚きだったのは、この値段にしてダシと薬味が別容器になっているところですね。
当然洗う手間が増える分コストもかかるわけですが、見た目上はうどんのダイレクトな色艶が判りやすくちょっと良い感じなのは確かです。

肝心のうどんですが、表面の色やつやは悪くなく、食べてみての舌触り、のど越しも良好、決して出来の悪いうどんではありません(ただし香川レベルで見るとあくまで水準ですが)。
難点と言えば腰もあるのは確かなのですが、基本的には硬いうどんであるという点でしょうか。
これは暖かいうどん、あるいは釜揚げで食べたらちょうど良いのかなとも思ったのですが、残念ながら釜揚げというメニューはないようです(なんでやねん!)。

容器が別なのは好印象のダシですが、量はまさしく最低量というところ。
比較的濃いめの味は特にいりこが効いているわけでもなく際だった特徴もありませんが、うどんとのバランスはよくぶっかけとしての総合評価はかなり良好です。
ダシの少なめな点も結果としてちょうどいいものではあるのですが、こういうものはちょうど良い量プラスアルファであって初めて自分の手で加減して用いる意味が出てくるのではないでしょうか?
まあこのあたりはたまたまこの日だけのことであったのか、コスト的なかねあいであるのか、あるいはこれがベストの量であるという店側の主張なのかによっても評価が分かれるところでしょう。

近くに大学が出来ている場所で価格帯が安く、店の雰囲気からも若いカップルなどが入っていることは納得なのですが、意外だったのは普通の家族連れや年配の方々も一緒になって食べていることです。
こういう限定された地域客を相手にした店でこれだけ広い客層に対応できるということは、それだけで好印象なのは確かですね。
値段が安く、店の雰囲気も悪くなく、味も上の部類に入るとなればもう少し名が聞こえてきても良さそうなものなのですが、全く噂を聞かないのはどういうことなのかとかえって疑問に思うのですが…
また今度にでも再訪してそのあたりの事情を探ってこようかなと言う気になってきているところです。

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2008年9月20日 (土)

医療事故報道に寄せて

まずは例によって記事を紹介します。

血管内に空気、女性死亡 医師を書類送検

 脳血栓の手術中に誤って空気を血管内に混入させ、患者を死亡させたとして、宮城県警捜査1課と古川署は18日、業務上過失致死(医療過誤)の疑いで、宮城県大崎市の大崎市民病院に勤務する男性医師(43)を書類送検した。

 調べでは、男性医師は昨年6月6日、入院していた患者の女性=当時(40)=の脳内にカテーテルを挿入する手術をした際、点滴していた生理食塩水のパックが空になったことに気付かず、女性の血管内に空気が混入。女性の脳動脈内に空気塞栓(そくせん)症を発症させ、同月12日に脳循環不全で女性を死亡させた疑い。

 同病院と女性の遺族の間では、同年10月に損害賠償として約4500万円を病院が支払うことで和解が成立。同病院の大場周治事務部長は「患部が脳内の難しい場所だったため、通常は20分程度で終わる手術が1時間以上かかったと聞いている。民事上は解決しており、後は司法の判断に任せたい」と話している。

例によって記事だけでは何のことか判らずな話なのですが、静脈ルートから点滴していたと言うわけではなくカテのルート内に充填する生食が空になったと言うことらしいですね。
この場合生食を加圧バッグで押していたと想定するなら確かにエアー混入で塞栓症が発症するだろうと思われます。

民事的な争点がないということからも恐らく不起訴になると勝手に予想していますが、亡くなった患者さんには不謹慎ながらこれは病院にとって色々と興味深い学習機会になりそうな事件だと思います。
この種の状況は臨床の現場ではよくあって、例えば内視鏡での処置中に低酸素状態になったのに気付かずと言うような場合も時々新聞紙面を賑わせたりします。
処置を行っている術者にとっては次から次へと針穴に糸を通し続けているような状態ですから、視野の外側に位置するものにまで注意を払う余裕はありません。
そうであるからこそ、周囲の者がボトルの残量やモニターの数値をチェックし必要であれば術者の注意を喚起しなければならないし、例え気がつかなかったとしても大丈夫なようにあらかじめ完全なルート内のエアー抜きを行ったり低酸素アラームが鳴るようにしておかなければならないわけです。

いずれにしてもこれは病院内のシステム上の欠陥であって、執刀医の罪を問うて終わりというのは明らかな間違いでしょう。
このあと院内でこの事故がどう総括され、どういう再発防止の対策が取られるかの方がよほど意義があるし、特に公立病院だけにどんな斜め上の対策が飛び出してくるのか見ていくことに要注目なんですが、事後を追っかけての報道なんて間違ってもされないでしょうね。

ところでかねて医療紛争解決のための組織の必要性は言われていましたが、日弁連が動き出しているようです。

医療ADRを全国に拡大-日弁連

 日本弁護士連合会(宮﨑誠会長)は、解決が困難とされる医療紛争を処理する第三者機関(医療ADR機関)を全国に広げる方針を決めた。弁護士会が運営する「紛争解決センター(全国29か所・25弁護士会)」内に設置していくもので、来春までに高等裁判所の所在地など5か所以上で運営を始める予定だ。

 日弁連の医療ADRは、「患者側の仲裁委員」「医療機関側の仲裁委員」「双方のまとめ役となる仲裁委員」を配置するのが基本。3人がそれぞれ裁判官のような中立的な立場となり、双方の当事者も交えて話し合いながら、事実関係の説明や争点の整理などを支援する。場合によっては、患者側と医療機関側に代理人が付くこともある。

話し合いは一回当たり2-3時間をめどに行われ、原則的に3回で解決を目指す。渡部委員長は「裁判のように長期にわたらず、お互いに消耗することがない。非公開のため、デリケートな問題の解決にも向いている」と述べた。

  ADRは、法律判断を重視して仲裁委員など第三者の判断に従う「評価型」、当事者同士の話し合いに頼る「自主交渉援助型」などに分類され、どれを採用するかで議論が分かれている。これについて日弁連ADRセンターの渡部晃委員長は「話し合い中心の事案もあれば、法律問題の解決が中心の事案もあるため、ケースごとに柔軟に方法を選んでいる」と話す。

 申立手数料は1万500円(税込み)で、仲裁が開かれるごとに期日手数料5250円(税込み)が必要となる。申立人と相手側がそれぞれ支払う。成立手数料は紛争解決額によって異なるが、解決額が100万円の場合、8万4000円となる。成立手数料の負担割合は仲裁委員などが定めることになる。

 昨年9月に医療ADRを設置し、今回の全国展開のモデルとなった東京の3弁護士会では、今年7月までに45件の申し立てがあり、数十万円-数百万円の支払いや謝罪を内容とした和解が7件成立している。

三回で解決を目指すということですから、基本的な事実関係の争点がこじれているような場合にはなかなか解決は難しいかも知れませんね。
東京のADRでの支払金額を見ると基本的に大物の事例と言うものは扱っていないようですから、ある程度病院側も過失なりを認めているが訴訟に持ち込むのは躊躇するという事例での患者救済が主目的ということになりそうです。
こういうものは本来無過失補償制度なり医療損害保険なりが充実していれば随分と話が簡単になってくるものも多いと思うのですが、当分そういうものの実現はなさそうですね。

またこの手数料を高いと見るか、安いと見るかですが、患者側からするといっそ刑事告発というのが最も安い手段と言うことになるでしょうか。
昨今一部の噂に言われていることですが、まず刑事訴訟である程度話の道筋を付けてから民事に持ち込むというような法廷テクニックを用いるような動きもあるようですし、例えばこういう調停で得た賠償金を元手に訴えを起こすという可能性もあるわけですね。
その点では残念ながら、これは信頼関係の崩壊と報復感情の増強という負の連鎖を断ち切るシステムとはなり得ないかも知れません。

以前にも紹介した北欧諸国の例では医療上の損害賠償保険が導入されて以来、こうした負の連鎖反応が劇的に改善されたと言います。
例えばスウェーデンにおいても日本と同様、患者と医療との対立関係という中で肝心の補償が十分機能していないと言う現実がありました。
何らかの立法によって患者補償をするということは(日本におけるのと同様に!)色々と問題があって実現困難だったようで、結局は患者保険導入という方法が選択されたと言うことです。

患者障害法の一考察

この保険により、過誤や不作為に関係なく賠償金が支払われるので、治療傷害を被った人々が補償を受け取るチャンスは大きく改善された。この保険は客観的根拠に基づいて賠償金を支払う。患者保険の導入以降、賠償責任の問題は賠償支払いの問題から切り離された。それでこの保険は保健医療責任局とも保健厚生全国委員会とも結びついていない。したがって患者は賠償を受ける権利を得るためにもう医師を「やっつける」必要がない。この保険は医師などの医療要員と患者の間の信頼を強化するための基盤を創造した。現在の状況は、もし医療に関連して傷害が発生したら、傷害報告に着手するのは通常医療要員である。推定によると傷害報告の40‐80%は医師や看護師、民生委員が患者の報告を手助けしている。この事実に外国人、特にアメリカ人は驚いている。この保険の最重要機能は、賠償金の問題の他に、信頼の維持と、賠償金受け取りに当り患者が経験する是正されたと言う気持ちである。

このような具合に、患者保険の導入で治療障害を被った患者に賠償するチャンスは根本的に改善された。現在では、年間で9500件ほど治療に関する紛争が報告されている。その45%(年あたり4000件以上)に対して賠償金が支払われている。賠償金の年間合計は3億クローナと推定される。

1スウェーデンクローナは約16円くらいですから、一件当たりの賠償額はおよそ120万円と決して目を見張る高額と言うわけではありません。
それでこれだけの満足度が得られる、そして何より患者と医療との対立関係が是正されているという点は大いに学ぶべきものがあるとは思いませんか。
金銭という物的補償が全てを解決するとは言いませんが、確実な物的補償の道筋が存在することによって解消ないしは軽減されるものも確かに少なくはないのです。

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2008年9月19日 (金)

解散間近な政治情勢と医療との関わり

福田総理の辞任を受けて自民党総裁選から一気に総選挙になだれ込みそうな勢いですが、その陰ではかねて言われていた消費税値上げ論争が盛んなようで、近い将来の10%程度への値上げは確定的と言う感じになってきました。
ところでご存知のように消費税と言うものは最終消費者が負担するという建前の税制ですが、幾つかの業界ではこうした消費者への転嫁が税法上出来ないようになっています。
この一つが医療業界で、病院の仕入れには消費税がかかるのにも関わらず、売り上げの方では患者から消費税を取ることが出来ないということになっているのですね。

政府厚労省は「消費税分は診療報酬で配慮している」という立場ですが、実際に計算してみるとこの配慮分(1.53%と言います)を超過し赤字という医療機関がほとんどであって、これが医療機関の損税問題と言われるものです。
実際の額が幾らになるかという試算については諸説あるようなのですが、一病院あたり平均五千万円前後という計算が多いようですね。
面白いのは、同様に最終消費者に消費税を転嫁できないと認められた輸出産業などは、輸出戻し税と称して巨額のお金が戻ってくるシステムになっていることです。
まあそのあたりは政府に対する力関係というものも大きいわけでしょうから、選挙に対する影響力をどの程度発揮できるかが業界団体の発言力に直接関わってくるわけですが、その点医師会という団体は凋落著しいようです(苦笑)。

茨城医師連が民主候補推薦

 茨城県医師会の政治団体、茨城県医師連盟は17日、次期衆院選の県内7選挙区すべてで民主党の立候補予定者を推薦すると発表した。同連盟の民主党候補推薦は初めて。
 日本医師会の政治団体、日本医師連盟や各都道府県の医師連盟は自民党の有力支持団体で、民主党候補推薦は異例だ。
 茨城県医師連盟の原中勝征委員長は記者会見で「後期高齢者医療制度に表れた国民生活無視の政府の社会保障制度に対して行動する時と判断した。自民党とは長年にわたる深い関係があるが、自民党支持の意見は出なかった」と述べた。
 推薦されなかった自民党議員は、有力な厚生労働関係議員として知られる丹羽雄哉元厚相や、額賀福志郎前財務相ら。

9月17日の時点でこういうニュースが出まして、まあそんなものだろうと思っていましたら、翌日に出たニュースがこちらです。

麻生氏、社会保障費圧縮を凍結  「10年度予算で」日医連に伝達

 日本医師会の政治団体、日本医師連盟(日医連)の羽生田俊常任執行委員は18日午前、都内で記者会見し、社会保障費の自然増を毎年2200億円削減する政府方針について、自民党関係者が麻生太郎幹事長の意向として「2010年度予算で凍結したい」と伝えてきたことを明らかにした。
 日医連はこれを受け、衆院選の対応について「自民党を中心とした政権与党の候補者を推薦する」との方針を決めた。
 羽生田執行委員は「医療費抑制策をしている自民党をなぜ推すのかという意見は2年前からあるが、政権与党に政策を訴え、理解は十分に進んだ」と述べた。

「茨城の自民候補推薦もあり得る」―日本医師連盟

 日本医師連盟(唐澤祥人委員長)は9月18日午前、記者会見を開き、政権与党への支持をあらためて表明した上で、都道府県医師連盟に対して「日本医師連盟は自民党を中心とする政権与党の候補者を推薦する。各地域の会員にはその主旨にのっとった行動をお願いする」などとする文書を送付したと発表した。茨城県医師連盟(原中勝征委員長)が次の衆院選で同県内の7つの小選挙区すべてで民主党候補を推薦すると発表したことを受けたもの。

まあ何と言いますか、小林まことの「What's Michael?」と言う漫画に登場する隣家の不幸な犬「伸之助」を連想させるような話ではありますかね(笑)。
前回参議院選挙でも日医御推薦の武見敬三が落選したことはそこそこニュースになりましたが、そもそも医師会の方針決定システム自体が一部幹部が勝手に決めていると批判にさられれているのが現状で、これが更なる医師会離れを招くという末期症状に陥っている観すらあります。
医師会はいい加減に足許を見つめ直して抜本的な組織改革を行っていかないと、世間や勤務医からだけでなく現会員からも本当に見放されることになりそうですね。

郡市医師会が日医に反論「9割が聞いてない」―死因究明厚労案

 「これでは日医がわたしたち一般会員の代表だとは言えない」―。長崎県諫早市の諫早医師会(髙原晶会長)が行ったアンケート調査によると、約9割の郡市医師会が、厚生労働省が創設を検討している死因究明制度の第三次試案などについて、「日本医師会や都道府県医師会から質問されたことはない」と答えていたことが分かった。日医は4月に、約8割の都道府県医師会が第三次試案に賛成するとの内容のアンケート結果を公表しているが、今回の調査結果により、日医の信頼性が問われることになりそうだ。

 厚労省は、医療機関で死亡事故などが起こった場合に原因を調査するなどの機能を持った「医療安全調査委員会」(仮称)の設置を柱とする死因究明制度の創設を検討している。

日医は厚労省の検討会にも委員として参加しており、制度の第三次試案や「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」には肯定的な立場だ。5月には「厚生労働省第三次試案に基づく、医師法第21条の改正と、医療安全調査委員会設置の法制化を強く要望する」とする見解を発表しており、この見解は日医が都道府県医師会に対して実施したアンケート調査結果を踏まえたものとしていた。アンケート結果は、「第三次試案に基づき制度を創設すべき」が76.6%、「創設すべきでない」が14.9%などで、8割近くの都道府県医師会が第三次試案に賛成していることを示していた。

■アンケートは一部の意見だけ?
 しかし、このアンケートには疑念の声が上がった。7月末に東京都内で開かれた死因究明制度に関するシンポジウムの会場に来場していた高原会長は、日医の木下勝之常任理事に対し、「たった1回のアンケートが根拠で、それに答えたのは(都道府県医師会の)常任委員の一部だけ。郡市医師会まで話が来ていない」と不満をぶつけた。さらに、諫早医師会が第三次試案などに反対する内容のパブリックコメントを日医や都道府県医師会、厚労省に出していたとした上で、「わたしが郡市医師会に対し、地べたの医師会員として問う」と、諫早医師会から各郡市医師会に対してアンケートを実施する考えを伝えた。

■「賛否決まってない」郡市医師会が9割
 諫早医師会のアンケートは、960の郡市医師会に送付され、447医師会から回答があった。
 それによると、日医や所属している都道府県医師会から厚労省案への賛否を「質問されたことがない」が88.4%に上ったのに対し、「されたことがある」は10.7%にとどまり、郡市医師会の意見が都道府県医師会に反映されていない様子が浮き彫りとなった。
 また、厚労省案について理事会などで「正式に賛否を議論した」と回答したのはわずか5.6%。「していない」が72.7%、「議論したが賛否は決めていない」が21.3%で、厚労省案に対する正式な見解がまとまっていない郡市医師会が94.0%にも上っている
 「正式に賛否を議論した」医師会のうち、厚労省案について「おおむね賛成」が3.4%、「趣旨には賛同するが、厚労省案には問題があるのでこのままでは賛成できない」が9.8%、「反対」が3.6%、「回答なし」が83.2%だった。
 また、死因究明制度に関連する情報を会員に広報するための説明会などを「実施していない」医師会が95.6%と圧倒的に多かった。
 厚労省案の対案となる、民主党の「患者支援法案」についての質問では、「内容まで知っている」が9.4%、「聞いたことはあるが内容を知らない」が 48.1%、「聞いたことがない」が41.4%など。また、「議論していない」が98.5%で、ほとんど周知が進んでいない様子だ。

■「日医のやり方、将来に禍根残す」
 また、自由回答では、次のような意見が寄せられている。
「日医の常任理事のみのレベルで今回の医師会全体の賛成論議とするのは非常に問題」(兵庫県三田市医師会)
「このような重大な問題を抱えた法案を日医執行部のみが医師会員の意見を問うことなく代弁しているかのごとき処理の仕方は、将来に禍根を残す」(岡山県吉備医師会)
当医師会でも正式文書で県医師会へ厚労省第三次試案への反対を表明。しかし、議論されずに県常任理事会レベルで賛成表明がなされた。県医師会としての意見の総意を反映したものとは言えず、郡市医師会として無力感を感じており、県医師会への意見上程が必要。民主党案が厚労省案より良いという多くの会員の声を聞いている」(長崎県大村市医師会)
「関心を持って記事を読んでいるが、議論の場や時間が確保できない」(名古屋市医師会緑区支部)
「介護保険制度から後期高齢者医療制度まで次から次へと創設される『新制度』。それでよくなったことはあるのか?」(北海道空知南部医師会)
「この新制度が始まって困るのは国民で、医療従事者ではないことを理解する必要がある」(山口県吉南医師会)
「日医はこの問題でも政府の言いなり。しかも誤った政府の説明(うそとも言える)をそのまま伝えるだけ。医師会員や国民の医療ということがまるで頭にない」(大阪府富田林医師会)
「第三次試案では人間は死なないものという発想があるように思われる。医師が通常の死亡と判断した場合でも、遺族の出方次第で事故死となる可能性がある。航空機事故や鉄道事故と異なり、人間の場合には解剖を行っても死因がすべて分かるわけではないことから、医療事故死の定義を明確にすべき」(広島県呉市医師会)

 諫早医師会は9月12日、日医に対して「新しい死因究明制度に関する要望書」を郵送。要望書では、同会のアンケート内容を示した上で、日医が実施したアンケートが会員の意思を表しているものではなかったとして、「この死因究明制度は、わが国の医療の未来を左右するほど重大で、また医療従事者の間でも賛否が大きく分かれる極めて複雑な問題。このような問題については、十分な情報に基づいた広く開かれた議論を行い、なるべく多くの日医会員の合意を得るよう、最大限の努力がなされるべき」とした。最後には、厚労省案だけでなく民主党案も含めた情報を一般会員に周知し、再度議論した上で、あらためて日医としての見解を出すよう要望している。

■活動全般にわたって会員の声を
 高原会長はキャリアブレインに対し、「今回は死因究明制度に対する意見をメーンとして日医に声を上げたが、本当は日医の活動の全般にわたって、一般会員の声を吸い上げるようにしてほしいという趣旨がある。きちんと話し合いをしなければならないということ。これでは日医はわたしたち会員の代表ではないのではと思う。会員の合意がないままに、日医の中だけで意見をまとめたものを『会員全員の合意だ』と大声で言ってもらっては困る。日医は診療報酬改定や選挙の時だけ目立って声を上げているが、そうした意見や行動は会員の総意ではないということだ。日医には変わっていただきたい。次期衆院選に向けても、候補者すべての意見をきちんと聞いて決めていくつもりだ」と語った。
 また、今後はインターネットなどを活用して郡市医師会の横のネットワークをつくる活動も展開する予定だという。

一方、日医の中川俊男常任理事は17日の定例記者会見後、キャリアブレインに対し、この件について把握していないと述べた。

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2008年9月18日 (木)

厚労省老健局長はおピンクな夢を見るか?

まずは少し古い話ですが、9/3CBニュースから抜粋して紹介します。

介護療養型病床は財政再建の「いけにえ」か

 2006年度の国民医療費は約33兆円。厚生労働省は年々伸びている医療費を抑えるため、06年度から始まった医療制度改革の中で、「医療費適正化計画」を打ち出している。療養病床再編計画は、「メタボ健診」といわれる「特定健診・特定保健指導」などと並ぶ、この計画の重要な柱の一つだ。
 療養病床再編計画では当初、38万床(医療型25万床、介護型13万床)ある療養病床のうち、介護型は11年度末までに全廃し、医療療養病床は15万床にまで削減するとの方針を打ち出していた。しかし、実際の再編が計画通りに進んでいない現状を踏まえ、現在は医療療養病床を22万床、回復期リハビリテーション病棟を3万床残すとし、残りは転換型の介護老人保健施設(老健)である「介護療養型老健」などへの転換を勧めている。しかし、老健よりも一般病床に転換する療養病床の方が多いことを指摘する調査もあり、現場からは「転換型の老健ではスタッフが足りず、患者に合ったケアが提供できない」「転換すると採算が合わない」などの声が上がっている。

■療養病床削減は行き当たりばったり
元財務省官僚の村上正泰氏
 療養病床削減方針が打ち出された背景には、「骨太の方針06」による毎年の社会保障費2200億円削減がある。厚労省も抵抗したが、これだけ財政再建方針のプレッシャーが強いと、削減対象を見つけなければならず、06年度診療報酬改定で療養病床がターゲットになったのだろう。
 療養病床削減方針はあまりにも突然に決まった。まず、05年に出された厚労省の「医療制度構造改革試案」や、与党の「医療制度改革大綱」にも、「介護型療養病床廃止」や「15万床にまで削減」という内容は入っていなかった。これは普通の政策決定プロセスと比較すると異常な事態。例えば、税制改革の場合、まず議論された内容について合意された後、「税制改革大綱」がまとめられて法案となる。しかし療養病床削減の場合、大綱がまとまっているにもかかわらず、法案提出直前になって突然「療養病床削減計画」が出てきたため、与党の法案審査でも猛反対が出て大紛糾した。
 急にこの方針が出た背景には06年度診療報酬改定がある。同改定では、全体の改定率が過去最大のマイナス幅に決まったことを受け、療養病床に導入された「医療区分」について、「医療区分1」の患者に対する点数は採算が合わず、医療機関として経営が成り立たない水準にまで大幅に引き下げられた。その分、医療保険適用の療養病床が削減でき、そうなれば延べ入院日数も減るので、結果的に入院日数短縮も達成されることになる。この医療区分と平均在院日数短縮の目標の整合性を取るために、「医療制度改革大綱」がまとめられた後ではあったが、「療養病床削減計画」が第一期医療費適正化計画の柱として、急きょ位置付けられることになった。
 介護型療養病床の廃止についても、老健局の方から05年末になって突如その方針が出た。それまで医療と介護の役割分担の明確化についてはいわれていたが、廃止という議論は全くなかった。こうしてそれぞれで検討していた方針を掛け合わせると、「療養病床を15万床にまで削減」ということになった。このように決められた計画なので、細部ではおかしいところがたくさんある。通常は受け皿の議論をしてから廃止するかどうかを話し合うはずだが、受け皿の整備が不確かなまま、先に削減が決められた。このため、当時の国会でも追及されたが、政府は「これから地域ごとの計画を立て、患者の追い出しにならないようにする」との答弁を繰り返すだけだった。言葉の内容が可能かどうかは不確実なまま、厚労省を信じるか信じないか、という話になってしまっていた。政策の進め方の順序が明らかに逆だったと思う。
(略)
■療養病床削減、自民は「部会長一任」で了承
飯島夕雁・自民党衆院議員
 06年1月半ばに開かれた自民党の厚生労働部会で、初めて厚労省から療養病床削減計画について説明を受け、議員からは多くの異論が噴出した。部会長からの提案に続いて厚労省から説明があったが、数字などのベースは既に決まっていて、会議だけが開かれたという感じが否めない。わたしも厚労省が出した数字を見た時に医療・介護難民が出ると思った。ほとんどの議員が「現場はこんなことはない」とかみついたが、最終的に「部会長に一任を取り付けていただいたということで閉めます」として、その会合は終わった。納得がいかなかったので、部会終了後に開催された、上部組織である総務会に駆け付けた。「部会では部会長一任を勝手に取り付けたのであり、一任を了解したものではない。しっかり議論してもらわないと困る」と訴えた。しかしその席では、「療養病床再編については厚労省が言うように議論していくが、受け皿整備を約束するという条件で法改正していきたい。少子・高齢化が続く中、保険給付の見直しをしていく中で避けて通れないことだ。今後は国会議員が嫌がる、消費税の議論で自己負担を増やすかどうかなどについても議論していくので、法律を通させてくれ」というのが当時の流れだった。こうして、「削減したからには高齢者が幸せになる受け皿をつくる」という内容の付則が付き、この法案が通された。

■宮島老健局長の発言に注目
清水紘・日本慢性期医療協会副会長
 これが7月の人事で新しく就任した、今の厚労省老健局長、宮島俊彦氏の就任時記者会見の発言だ。
「療養病床の医師は1万人いるが、なぜ子どもや妊産婦を診てくれないのか」
「療養病床では病状が急変すると一般病床に送るという。それで病院なのか。病院という名前はやめてほしい」
 これを聞いてどう思うか、判断は皆さんに任せたい。
 そして、療養病床削減という重要なことがたった約1週間で決められたという事実を皆さんにはよく覚えておいてもらいたい。

これを見るとこの厚労省老健局と言うのが中心に何やら粛々と療養病床削減に動いている構図が見えてくるわけですが、老健局長宮島俊彦なる人物については2006年の神戸新聞インタビューが「新小児科医のつぶやき」などでも詳しく取り上げています。

-治療と療養を目的とする療養病床を大幅に減らす理由は何か?

    「三点ある。一つは病院ではなく、自宅などで療養したり、亡くなったりする環境を整える必要があること。約50年前までは自宅で亡くなる人が全死亡者の約八割を占めていたが、今は逆に約八割が病院や診療所でなくなっている。できるだけ終末期は自宅で療養したいという人が約六割いるという調査結果もある。二つ目は医療提供体制の変換が迫られていることだ。老人医療無料化の『副作用』として、本来、福祉で対応すべき高齢者を病院で対応してきた歴史的経緯がある。高齢者の長期療養を自宅で対応できるようにすれば、長すぎる平均入院日数を短くし、医師や看護師を人材不足が深刻な小児科や産婦人科に回すことができる。」

-三点目は?

    「調査の結果、療養病床にはほとんど医療の必要性のない患者が約8割もいることが分かった。介護施設や在宅に向かわせるべきだ。」

-増え続ける医療費の伸びを抑えることが大きな狙いでは?

    「目的のすべてではないが、保険財政上の問題もあることは確かだ。療養病床では月に四十九万円くらいの医療費がかかるが、老人保健施設なら三十四万円、在宅サービスならもっと少なくすむ。入院が長期化して亡くなる人が増えれば、(医療保険制度は)やっていけなくなる」

ま、この御仁に限らず厚労省のやることは目的と手段が逆転している気もしますが…
しかしこういうのを見ますと先ほどの「療養病床の医師は1万人いるが、なぜ子どもや妊産婦を診てくれないのか」「療養病床では病状が急変すると一般病床に送るという。それで病院なのか。病院という名前はやめてほしい」といった発言も首尾一貫して聞こえるのは確かです。
おそらくこの人の脳内においては医師と言えばどんな医師でも同じ能力を持っているし、病院と言う名がつけばどこでも同じ内容の治療が行えて当たり前だと言う認識なんでしょうかねえ。
現場を見ずして役所の中で数字だけを相手に格闘しているとこういうふうになるのかも知れませんが、この人なりに日本医療の将来を考えてしかめっ面で記者氏に語っている姿が想像できます。

いずれにしてもこれらの話は既に旧聞に属することではあるんですが、今日わざわざ取り上げたはこのしかめっ面のオッサン(想像)のさらに旧聞に属するこんなものを見てしまったからです。

ノーパンしゃぶしゃぶ「楼蘭」 顧客名簿(平成10年2月26日)

話題の ノーパンしゃぶしゃぶ「楼蘭」の顧客名簿を入手しましたので掲載いたします。
楼蘭では昭和62年から昨年末までの12年間、政界、財界、官界、等々、多方面の顧客1万人以上の名簿を FDに保存しております。
その顧客名簿の中から官界の一部をプリントアウトしたものが当方に送られてきましたので、そのまま掲載いたします。
(略)

● 厚生省
宮島 俊彦 (指導課長)

ちょww
説得力ねえよオッサンww

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2008年9月17日 (水)

ある意味で予想通りの結末だった話

福島・大野病院事件の加藤医師がいよいよ復職だそうです。おめでとうございます。

無罪の産科医が勤務再開へ 10月中旬から民間病院で

 福島県立大野病院で平成16年、帝王切開で出産した女性=当時(29)=が死亡した事故で、業務上過失致死罪などに問われ、無罪が確定した産婦人科医、加藤克彦さん(41)について、平岩敬一弁護団長は16日、民間の会津中央病院(福島県会津若松市)で10月中旬から勤務を再開することを明らかにした。県職員は辞職する
 加藤さんは県職員として県立大野病院に勤務していたが、18年に起訴され、休職になっていた。無罪が確定した今月、県病院局が辞令を出し、復職した。
 加藤さんは弁護団を通じ「地域医療のため頑張っていく」とのコメントを出した。

まあね、あれだけのことをされて今なお県職員として復職するというならさすがにそれはちょっとどうよと人事ながら心配になるところだったのですが、さすが加藤先生空気を読まれたようです。
しかし辞令を出した直後に辞職された県病院局担当者の顔が見てみたかったですね(苦笑)。

ところで話は変わりますが、先日毎日新聞のこういう記事が一部方面で話題になっていたことがありました。

洛書き帳:「病院には遺体に対して『不浄』という意識がある」… /京都

 「病院には遺体に対して『不浄』という意識がある」。先日ある取材で医療関係者がそう打ち明けた。かつて彼がいた病院では、患者が亡くなれば地下の安置室に移し、裏口のドアから外に出していたという▼「死」を人目に触れない場所に隠す意識が働くのだろうか。どこか死者を冒とくしている気がして薄ら寒くなった。こうした対応に理不尽さを感じる医師も少なくないらしい▼彼が現在勤務する診療所では、患者が亡くなれば病室でお別れ会をし、顔にハンカチをのせることなく玄関から送り出す。遺族からは必ずお礼の手紙が届くという。私が患者なら死んだ後も人間としての尊厳を守ってほしい。【木下武】
毎日新聞 2008年8月10日 地方版

某便所の落書き医者板あたりでは「まあ毎日だから」とちょっとした笑い話のネタになった程度だったわけですが、何かしら意外なところで受けていたようです。
言われてみれば確かにそうかも…と思うところもあるわけですが、それはともかく、この記事にも意外なオチがついてしまったという話がこちらの記事。

斎場:出棺見える…隣人訴えにフェンスかさ上げ命令 京都

 京都府宇治市の葬儀場「宇治葬祭駕辰(かごたつ)」の近隣男性が「出棺の様子が見え、宗教的平穏を侵害されている」として目隠しフェンスを高くすることなどを求めた訴訟の判決が16日、京都地裁であった。井戸謙一裁判官は「ひつぎの搬入と出棺の様子を観望できるのは受忍限度を超えている」と述べ、フェンス(高さ1.8メートル)の1.2メートルかさ上げと20万円の損害賠償を命じた。
 判決によると、葬儀場は05年10月に開設。市道を挟んで向かいの住宅2階から敷地内の参列者や出棺の様子が見える。住民男性は「大声を上げて笑うことができず、カーテンを閉め切っての生活を強いられている」と主張し、フェンスの1.5メートルかさ上げと月額2万5000円の慰謝料などを求めた。
 葬儀場側は「葬儀場には高度の公共性がある。かさ上げは費用がかかり、威圧感も増す」と反論。判決は、参列者が見えるのは受忍限度内としたが、かさ上げについては「費用が営業を困難にするほどではない」と判断した。【熊谷豪】

同じ京都の話で先日の自社の記事を思い出しながらこの記事を書いたのであればなかなかその心理も想像すると楽しいものがありますが(苦笑)。
まあ法的措置を取るほどまでの話かという点では異論もあるかも知れませんが、基本的に日本人の感覚って最大公約数的にみて死=不浄ってものなんじゃないかなと言う気はします。
お葬式の時に塩を配ったりするのもそういう「お清め」の意識があるってことで、別にそれは死者を冒涜するとかそういう話とは違うんじゃないでしょうか。
それを無理矢理病院の意識の問題に結びつけるところはさすがに医療潰しに邁進する毎日新聞の素晴らしい感性と言えなくもないですが、問題は毎日新聞の感性が一般的な日本人のそれと合致するかどうかですよね。

毎日新聞の目指す方向性が垣間見えたと言う点では、結果として意外に良い記事だったと言えなくもないのかも知れません。

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2008年9月16日 (火)

医療という名の共有資源 その三

前回の引きで限りある医療資源の分配云々という話をしましたが、今回はその続きです。

危機的状況にある医療資源として今現在もっとも騒がれているのが産科と小児科です。
産科に関しては多くの施設ですでに分娩予約制限が行われており、一部地方ではいわゆる「里帰り出産」も困難となりつつあると言います。
地方のみならず首都圏ではすでに産みたくても産む場所もないという状況とも言われますし、札幌では産科輪番制度が崩壊間近かと騒ぎになっています。

小児科については少子化・核家族化による育児経験の減少や共働きによる時間外受診の増加なども従来から言われていますが、そもそも全国小児科医の疲弊を招いたのが小児医療費無料化政策であったと言う声も根強いようです。
少子化対策とも絡めてこのあたりは政策上もやむを得ないところもあるのでしょうが、現実に医療費抑制政策が解除される気配もなく供給側に改善の見込みがない以上、少なくとも深夜帯以降の有料化の議論は必要ではないでしょうか。

産科や小児科の場合はそれでも現実に需給バランスが崩壊しており(好意的に解釈すれば)やむを得ないという面もあるわけですが、不要不急の時間外救急受診による現場の疲弊はこれらとは文脈を異にするものと考えておかなければなりません。
医療の場合応召義務の問題もあって無碍に不要の受診受け入れ拒否ということも言い難い事情がありますが、もう少し実際的な対策として最近ちょっとしたブームになっている夜間時間外料金の徴収は有効であると言う結論が出つつあるようです。
これは「緊急の受診の必要性はないが患者が自己の都合により時間外診察を希望した場合」に徴収する費用で、大きな病院を紹介状なしに受診よる場合の初診料割増加算と同じように診療報酬による規定ではなく病院独自に金額を設定してよいことになっています。
この制度自体は以前からあったのに何故最近話題になっているかというと、「緊急やむを得ない事情による時間外の受診」については診療報酬に規定される時間外加算の対象(保険診療扱い)となり、患者支払いも少ないことから従来全ての時間外受診をこちらで算定している病院がほとんどだったわけですね。
ところが最近ではこれを文字通り保険診療外の加算金として、患者に応分の(おおむね\3000~\8000程度)自己負担を求める病院が増えてきたということなのです。
実際のところどれくらい効果があるのかですが、少ないところで受診者数2~3割の減少、多いところでは半減に近いという施設もあるようです。

時間外加算で「効果」 志太・榛原の4公立病院、軽症の利用者減少

 4月から順次、軽症患者に限って時間外加算分の診察費を実費請求している志太・榛原地域の4公立病院(焼津、島田、藤枝、榛原)は30日、時間外に利用する軽症者が減った、と発表した。
 4病院の事務局を務める近藤真言・島田市民病院副院長は「金銭という痛みでようやく効果が出てきた。本当に診察すべき患者に力をさくことができる」と話した。
 4病院は、当直・宿直医の負担を減らすため、軽症者に限り最大4800円の時間外特別診察費を保険適用外に切り替えた。
 その結果、2~5月に救急車を使わず4病院に来て時間外利用した患者数は、過去2年間より約3割少ない計1万8967人にとどまった。救急措置が必要な患者の割合を示す入院率は14・2%と前年より3・5ポイント高くなった。
 重症者の多い救急車搬送患者数や開業医が担当する救急医療センターなどの受診者数は横ばいで、軽症者の利用が減ったとみられる。懸念された重症者の受診控えや窓口トラブルなどはなかったという。

窓口レベルでの抑制に加えて今の時代、そろそろ救急車有料化の議論も必要でしょう。
平成15年内閣府の世論調査や各地自治体、マスコミ等による世論調査の結果はおおむね一致していて、有料化すべしとの意見と今まで通り無料(公費)でとの意見はほぼ同数程度であるようです。
もちろん救急受診の場合と同様に不必要な救急車利用は控えるというのは常識レベルの大前提だと思いますが、現状はそうした理想とは程遠いというのが大きな問題ではないでしょうか。

軽傷や不適切な要請多数

 横浜市安全管理局では、平成17年4月の1週間、傷病者が救急業務に該当するのかを判断する調査を行った。調査期間中に搬送された傷病者は市内で2千936人おり、そのうち緊急でないと判断されたものが全体の28%を占めた。これを平成17年中の横浜市内における搬送人員14万9千308人にあてはめると、緊急でない患者は、年間約4万人の試算となる。
 「夫婦喧嘩をして家を出てきたが、家で何かあったかもしれないので見に行って欲しい」「子供が野菜を食べたら泣き止まなくなった」「日焼けの痕が痛い」「深爪をした」「病院がわからない」─これは実際にあった救急要請事例の一部だ。これらの要請に対しては、その場で適切なアドバイスをし救急車を出動させないのが基本。しかし、ケガの重さが電話では伝わりにくかったり、“非常識”と思える要請でも「もしかすると重症では」という考えの下、出動させるケースも少なくない。
 市安全管理局の調べによると、こうした軽症や不適切な要請による「時間のロス」が、毎年約4千800人もの危篤状態の傷病者を発生させているという。

救急出動:佐賀など3市、昨年過去最高に 不必要な要請も…適正利用呼びかけ /佐賀

 搬送人員を年齢別でみると、特に65歳以上高齢者の伸びが目立っている。00年からの8年間で2822人から4879人となり、割合でみると1・7倍。また、05年にはそれまでトップだった成人(18~64歳)を抜いた。
 一方、搬送したケースを程度別にみると、中等症(入院日数1~20日以下)と軽傷(同0日)が約4割ずつを占めている。
 だが、出動要請が増加する一方、救急車を使う必要がないのに救急車を呼ぶケースも目立っている。例えば、「夜間開いている病院がわからない」「予約していた病院に間に合わない」など“タクシー代わり”に救急車を呼ぶ例も後を絶たず、極端な例では、夫婦げんかの仲裁を頼まれることもあるという。

夜間時間外受診料請求の場合も同様ですが、こうした話をすれば必ず「有料化によって必要な医療を受けることにためらいが出るのでは」という話が出てきます。
しかし救急車の出動費用(一回あたり\50000~\100000と言います)の全額を負担させようと言う話ではなく、当面議論されているのは過剰な利用抑制のための数千円からせいぜい1万円程度の自己負担金の話ではないでしょうか。
ほんとうに命に関わるような状況であれば当然救急搬送後にそれなりの医療が必要となるわけであって、救急車搬送費用より肝心の医療費の方が高くつくはずだと容易に予想されるわけですから、心配する方向が違うのではないかという気がします。
また「命がかかっている以上、金がなくとも最良の医療を提供されるのが当然」という話であるなら、そうしたコンセンサスがあった一昔前ならともかく、金銭的余力の全くない現在の医療機関において支払い能力のない患者の受け入れ問題はまた別の議論すべき課題ではないでしょうか。

さて、どのくらいの状況から時間外受診を考えてよいのか、どんな場合に救急車を呼んでよいのか迷うという声に応えて、各地で夜間、時間外の電話相談の試みも始まっているようです。
専門家の話を聞いて安心できたという患者はもとより、明らかに不要不急の患者の振り分けにも効果を期待されるところですが、実際のところ「常連」と呼ばれるような要注意受診者の場合は周りが何を言おうと聞く耳持たずという場合が多く難しいところではあります。
これは医療で限った話ではありませんが、一つ一つの負荷はごく小さなものであっても満たされたグラスに注がれる最後の一滴は水をあふれさせる原因になり得るわけです。
本質的な問題は「一人一人の与える現場への負担が大きいか小さいか」の議論ではなく、「ごく小さな負担の追加であっても医療現場が崩壊してしまう危機」の話なのであって、供給側のキャパシティー増大が直ちに見込まれない以上は増え続ける医療需要を総体でどれだけ減らせるか、その点で実効性のない議論は正しくとも意味はないということになりかねません。

その実現を図るのに草の根市民運動レベルから盛り上げていくのがよいのか、国の政策として行っていくべきなのか、それとも現場からの受診制限という形で強制的に適正化を図るのがよいのか。
最終的にはなるようになるとしか言えない話ではありますが、ほぼ確実なのは医療資源というパイの大きさは限られており、しかも今後当分の間ますます一人当たりの取り分は小さくなる一方だろうということです。
医療者であれ被医療者としての国民であれ、事情を知った上でより望ましい未来図に向けて早めに動いていかなければ自分自身の利益確保すら図りがたいという時期になってきているというわけですね。

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2008年9月15日 (月)

ヴァージンギャラクティック社宇宙旅行計画続報

以前に紹介しましたヴァージン・ギャラクティック社の商業的宇宙旅行計画が、また少し進歩したようです。
宇宙船を運ぶ母船(航空機)「ホワイトナイト2」のテスト飛行が近日始まるそうです。

英ヴァージンの宇宙旅行 数週間以内に母船のテスト飛行開始 10年で5万人の乗客計画

 民間人の宇宙旅行を目指している英ヴァージン・グループの宇宙旅行会社「ヴァージン・ギャラクティック社」が11日、東京都内で記者会見し、宇宙船を運ぶ母船「ホワイトナイト2」のテスト飛行を数週間以内に始めることを明らかにした。

  同社の宇宙船「スペースシップ2(SS2)」は全長約18メートル、両翼が約13メートルでパイロット2人と乗客6人の8人乗り。宇宙船は高度15キロで 母船と切り離され、高度約110キロまで上昇。そこで乗客はシートベルトを外して、約5分間の無重力体験を楽しむことができる。数週間以内にテスト飛行が 行われるのは母船で、本体となる宇宙船のテスト飛行は来年からの予定という。

 既に35カ国270人が予約を済ませ、この中に前ライブドア社長の平松庚三氏ら日本人10人が含まれる。

  記者会見には、ヴァージン・ギャラクティック社のスティーブン・アッテンボロー副社長が出席。同副社長は「商業旅行の開始後、10年間で5万人の乗客を計 画している」と見通しを述べた。商業旅行開始の具体的時期については「テストで満足いく結果が得られ安全が保障されない限り打ち上げられない」と述べるに とどめた。

 ただ、同副社長は「宇宙船本体は70%完成しており、この1年のうちには見せたい」と、宇宙旅行の実現へ向け自信をのぞかせた。

 気になる宇宙旅行の費用は、事前訓練も含めて約20万ドル(約2500万円)と高額だが、同副社長は「10年後には5万ドルを目指す」とした。

当面は金持ちの道楽レベルであることは当然ですが、問題は将来的にどの程度まで安くなるかという点ですよね。

例えばトレーニングコースに多少前後の観光も含めて数日間で数百万円というレベルになってくるようなら、年収1000万クラスの比較的大きな層が顧客として対象になってくる気がします。

近ごろでは客船での世界一周といった旅にもちょっとしたゆとりのある一般顧客が結構参加してくるようですから、一生に一度の記念という話になれば好きな人間はそれくらいの金は出すんじゃないでしょうか。

利用者数が増えるほどさらに安くなる道理ですから、一人100万くらいまで値下がりしてくれば行ってみたいですね。

ところでJTBと言えばその昔貧乏バス旅行などでもお世話になったことのあるあのJTBなんでしょうが、何かいつの間にやら宇宙旅行まで扱っていたとは知りませんでしたよ(苦笑)。

JTB宇宙旅行

ネタなのかと思ってざっとサイト内を見てみたんですが、まあ出るわ出るわ。

・月周回飛行=約110億円
・ISS滞在8日間=約33億円
・宇宙体験(弾道飛行)=約1120万円
・無重力体験=約46万円

ええと…マジなんですか?(汗)。
そう思ってFAQを見てみましたらこんな項目がありました。

Q.各プログラムはいつ頃実現するのですか?

A.月旅行は2012年以降実施予定です。
本格宇宙旅行はすでに実施しており、今までに5人の民間宇宙飛行士が宇宙旅行を体験しています。
宇宙体験旅行については、現在ロシアで開発中の機体(エクスプローラー)を最有力候補としています。
その他にもロシアやアメリカの企業で機体の開発が進められています。
アメリカやロシアでの無重力体験はすでに実施しております。

ま、要するに将来のビジネスチャンスを見越して一応こういうこともやりますよというアピールなんでしょうね。
いや~しかしマジでびっくりしましたわホント、JTB侮り難しですな。

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2008年9月14日 (日)

医療という名の共有資源 その二

前回の引きで国民にとって医療とは何なのかと言う問題に言及しましたが、これに関連して昔から続いているのが「医療は贅沢品なのか、必需品なのか」という議論です。
一部では「日本人は水と安全、医療はいつでもただ同然で手に入って当たり前だと思っている」なんてことを言いますが、実際のところ日本ほどそれなりに高水準な医療が身近にありふれている国はそう滅多にはないと言えます。
この現実をごく簡単な例で示すものとして、一昔前の小説やドラマ、そして今現在の外国でも普通にある「金がないから治療も受けられなくて」といった類の話が現代日本ではほとんど聞かれないという一事で十分でしょう。
それほど国民皆保険制度の恩恵というものは小さからざるものがあるわけですが、一面でそのシステムが医療の首を絞め始めていることもまた確かなのです。

そもそも医療というものがろくに発達していなかった何十万年かの歴史を通じて人間は増え、栄え、発展してきたわけです。
医療が、少なくとも今の日本で行われてきたようなWHO公認世界一(だった)の医療が必需品であるとすれば、世界中のほとんどの国は必需品として欠くべからざる医療すら受けられない医療飢餓状態にあると言えるはずです。
食糧支援の如く大規模な医療支援が直ちに行われなければならないはずだが、現実にはどうでしょうか?
大規模災害の時に医療チームが送られることが話題になる程度で、時折貧しい第三世界の医療レベルの低さを報じるニュースに接しても「まああの国なら医療事情もそんなものだろう」と思っているのではないでしょうか?

実際のところ国別で一人当たりGDPと医療費支出とを比較してみると、見事な相関関係を示すことが知られています。
豊かな先進諸国ほど医療費支出が増大する傾向にあるという事実は、誰しも懐具合に余裕があれば健康で長生きしたいものだろうと考えれば容易に予想できることではありますが、まさにそれこそ医療の本質を示すものであるかも知れないわけです。

ちなみにこのGDP比での医療費支出が少ない国として日本やイギリスと言った国の名が上がってくるわけですが、この日本という国はコスト面からは最低限の必需品レベルでありながら、贅沢品なみのクオリティーとアクセスが揃っていた希有な国であり、同時にイギリスの後を追って医療崩壊まっしぐらな国であるという点には留意すべきでしょう。
こういう安い、早い、うまいと三拍子揃った日本の皆保険制度が成り立つ大前提が何かと言えば、必要最低限を越えて医療を過剰利用しない、過剰供給しないという節度が保たれているということであったわけです。
日本の医療を評したヒラリーの「医療従事者の聖職者さながらの忍耐によって支えられている」という言葉はしばしば引用されますが、彼女が日本の医療現場を視察した際に述べた「病室は雑魚寝、共同浴室でまるで50年代の米国の病院、米国人には耐えられない」と言う言葉の方はあまり広まっていないようです。
一連の発言を一つの文脈で眺めてみれば、かつて重巡足柄を見聞したイギリス人が言ったという「私は今日はじめて軍艦に乗った。我々が今まで乗っていたのは客船だった」との発言に相通じるものがあると言いますか、少なくとも単純な称讚の言葉ではないと言うことはご理解いただけると思います。
いずれにしても医療への自制いう暗黙の了解がなくなってしまえば容易に崩壊してしまうという点で、日本の医療は性善説に基づいて設計されてきたのだとは言えるかも知れません。

むろん放置すれば100%死ぬが、治療によって延命が行われるという類の疾患もあるじゃないか、そのためにいつでも医療を受けられる体制は必要不可欠だという考えもあります。
それでも最善の医療を施されたとして、いずれ全ての人間が死ぬという最終結果は変わりない、ただ数年、あるいは最大限で数十年の余命が手に入るというだけとも言えるわけです。
ある意味で矮小な人間の壮大な悪あがきと言いますか、最終的に決定づけられている結論を単に先延ばしにするだけというのが医療の一つの限界であるとは言えるでしょう。
無論のこと、そうやって手にした幾らかの余命に大きな意味を込めたくなるのが人間という存在であるのは事実でしょう。
では、あってもなくても本質的な違いはないかも知れないが、存在することによって人生が少しだけ豊かになるものを我々は何と言うべきなのでしょう?
それを贅沢品と言うのなら、医療は疑う余地なく贅沢品の範疇に含まれるべきものでしょう。

いつしか現代日本人は医療が必需品であるという思想にとらわれていますが、今まさに日本人に必要なのは、本質的に医療は贅沢品であると言う認識ではないでしょうか。
同時に、一面で医療に必需品としての側面があることも事実であればなおのこと、生物学的に一日何カロリーの栄養が必要というのと同じレベルで、人として生きることにあたって必要とされている最低水準の医療水準とはどのようなものなのかをまず定義付けしていかなければならないでしょう。
そして何より重要なことは医療のキャパシティーは有限であって、贅沢品としての医療を享受すればするほど必需品としての医療が削られていくという側面があることを周知徹底することでしょう。

思えば医師会あたりを主体にして、「不安があればすぐ医者にかかりましょう」などと言っていた時代も遠いことではありません(今でも時にお年を召された先生がテレビでそういうことを言っていたりもするようですが…)。
問題は不安があってかかる先が声の大きい医師会関係の開業医などではなく無関係な地域の基幹病院であったり、しかも「三日前から熱が…」などと言っては真夜中に時間外受診するという患者が増えたりという結果、勤務医疲弊が進んでいる点です。
その結果何が起こっているかと言うと、今や国を挙げて病院にかからないようにしようと言う時代になってきたというわけですね。
例のメタボ検診などもかつての「早期発見早期治療」から更に進んで「病気にならないことを目標にする(結果として医療費も下げる)」と言う点でこの文脈から出てきた発想ですし、更に一歩進んで不要な救急受診を控えようという動きも各地で具体化してきています。

兵庫・伊丹市:「不急119番減少に効果」 24時間相談電話が好評

 兵庫県伊丹市が7月から、市民向けに24時間無料の電話医療相談を始めたところ、同月だけで相談件数が2122件と、当初予想(1000件)を大きく上回った。相談電話は病院探し目的などでの119番利用を減らす方策として近畿で初めて導入した。同市の7月の119番通報は前年同月比4・7%減少しており、市は「定着すれば不要不急の119番も減るのではないか」と期待する。

 「いたみ健康・医療相談ダイヤル24」で、広報紙などで市民のみに知らせた番号に電話すると、看護師や医師らが急病時の対処などの相談に乗る。予算は年間約1500万円。

 市によると、7月の相談内容は、急病など「身体の症状」が21%と最も多く、次いで、治療法や薬について(12%)▽受診科目の選び方(11%)などが続く。また、1~6歳の幼児に関する相談が25%を占め、電話してきた人の80%が女性だった。子供の急な発熱などを心配し、母親が電話をかける、といったケースが典型的で、相談相手の少ない核家族化をうかがわせる。

 一方、市消防局によると7月の119番は1292件と前年比4・7%減少。市は相談電話の普及で徐々に効果が出ることを見込んでいる。【池内敬芳】

いずれにしても無自覚に、思い立ったままに気軽に医療を享受するという時代は終わりを告げつつあるのかも知れません。
例えば病院の外来で、初診でやってきた患者の過半数は放置しておいても大過なく治るものであるし、何より彼ら自身が経験的にそれを知っているはずなのです。
それなのに何故病院にやってくるのでしょうか?症状がつらいからでしょうか?
しかし実際問題多くの症状は売薬で十分に対応できるものであるし、実際かつての日本も現代の多くの他国もそうやって対応しているのです。
では万一重大な病気であったら大変だからという不安からでしょうか?
不安であるから保険に入る、心配だからセキュリティー会社と契約するという行動心理と同じと見なせるものだとしたら、それらは社会的には必須のものとはされてないもののはずなのです。
何故医療だけ、より正確には現代日本の医療だけがこうまで過剰反応とも言える受診動機をもたらしているのか、そしてその行動が何をもたらしているのかを考えていくべき時期だと思いますね。

最近では医療資源という言葉も用いられていますが、その資源は決して無尽蔵なものではなく、むしろ供給が需要を下回っていることで奪い合いが起き始めている状況にあるという認識が必要です。
金のある者が望む資源を最大限に、貧乏人は残った資源を手の届く範囲でという医療を行っている国もあるし、むしろ世界的にはその方が一般的でしょう。
日本の医療はかなりの部分で国家的に管理されており、実際にはともかく方向性としては公平な分配を目指しているといえるのでしょうが、その大前提となっているのは貪欲な欲望の赴くままに医療を過剰に利用しすぎないという被医療者各人の節度だと思います。
今や限りある資源を如何に最大多数の最大幸福につながるよう利用していくか、その配分こそが最も問われているとも言えるわけですが、その件についてはまた次回以降に。

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2008年9月13日 (土)

今日のぐり「お好み焼き どん 」

ファジアーノ6-0勝ちとはちょっと想像してませんでしたね。
最近ちょっとお疲れモードっぽいところが気になってたんですが、これで息を吹き返しますかね。

今日のぐり「お好み焼き どん 」

以前に食べた日生名物「かきおこ」がイマイチだったので、どこか良い店はないかと探していておすすめされたのがこの店です。
久しくお好み焼きと言えば広島風という時代が続いていたのですが、十数年ぶりに関西風を食することになりました。

平日の昼飯時も過ぎかけた時間帯にも関わらずなんとまあ、こんな田舎の(失礼)駐車場も店内も一杯じゃありませんか。
話に聞くところによると混雑時には焼いてもらうのを待つか、自分で焼くかと訊かれるそうですが、さもありなん。
席が片付くのを少し待ってからカウンター前にすわりました。

いろいろとメニューは並んでいるのですが、ここは至ってオーソドックスに豚玉を注文。
店内は店主らしい親父さんが調理一切を仕切り、他に数人のおば…もとい、お姉さん方が働いているようです。
焼くところを目の前で見ていましたが、ああ関西風ってこんな感じだったなあと妙な感慨がありました。

鉄板からそのままコテでいただきましたが、これは確かになかなかの味です。
ふわふわの生地はダシの味もよく、これに甘めのソースがぴったりマッチ。
個人的にはもう少し表面をさくさくカリカリに焼き上げてもいいかなと思っていましたら、ちゃんと工夫がしてありました。
お好み焼きと言えば薄切りの豚バラを脂が抜けるくらいまで焼いている店が多いのですが、ここの豚肉はかなりしっかり形を保つくらいの厚みがあります。
こいつのカリコリした食感がふわふわ生地とのコントラストを浮き立たせるようになっているんですね。
コテでも歯が立たないのがやや難点と言えば難点ですが、このアイデアは面白いなと思いました。

強いて味にケチをつけるとすれば、キャベツのあしらい方でしょうか。
お好み焼きのキャベツと言うとじんわりじっくり火を通して甘みを引き出すのが基本ですが、ここのようにざっくり大きく切ったキャベツですと葉脈部分がそのまま固まりで入ってしまうことがあります。
千切りにして葉脈も薄くスライスしている状態ならまだしも、この部分は葉の部分より火も入りにくいですから、火の通り方によっては何とも微妙な(個人的には好ましくない)風味を感じてしまうんですよね。
見ていると親父さんも目についた部分はその場でコテで裁断しているようですが、この辺りは下ごしらえの段階で手間暇をかけて葉脈を取り除きスライスしていくなどの方が本筋でしょう。

気になったのは店員の数こそ多いのですが、今ひとつ気が回らないと言いますか"do this"気味な人が多いようなのですね。
親父さんは人柄も練れているし非常に気がつく人で良いんですが、この親父さんが率先して声を出しているのに周りが静まりかえっているというシーンがしばしば見られました。
先ほどのキャベツの件にしても本来裏方が気をつけるべき部分なんですが、まあ親父さんも気苦労が多いんじゃないでしょうか(苦笑)。

しかしこの近所には「にぼし屋」や「あかり」もありますが、見た目とは裏腹になかなか侮れないところがありますね。

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2008年9月12日 (金)

医療という名の共有資源 その一

最近医療問題を積極的に取り上げている「NEWS ZERO」で、医療崩壊アンケートなるものをやったそうです。
HPを通じて全国の医師804名の意見を集めたと言うのですが、これがなかなか面白そうなので紹介します。

「医療崩壊」 緊急 医師アンケート 集計結果

Q1:医療崩壊を招いた最大の原因は何だと考えますか?
A_01
医療崩壊の原因にマスコミという項目があればさぞや大人気だったんでしょうが、何故かこの質問にだけ意見を書き込めないようになっているあたりマスコミの思惑が見え隠れする気がします(苦笑)。
それはともかく、医療費抑制、医師の過重労働、訴訟リスクおよび患者のモラル低下がほぼ横一線というところですが、複数回答なので思い当たるものを総ざらえでチェックしているのでしょう。
個別にどれが一番と言うよりこのデータから見て取るべきものは、巷間医療崩壊の主因のように語られている新臨床研修制度について現場の医師は必ずしもそうは見ていないと言うところでしょうか。

Q2:医療再生の最も有効な対策は何だと考えますか?
A_02
こちらもかなり意外と言うべきか読み方を考えさせられるところですが、目立つのは診療報酬改定、訴訟リスクの軽減およびコンビニ受診の抑制といったところ。
非常に興味深いと思う点はQ1医師の過重労働が医療崩壊の主因としてあげられているにも関わらず、医師や医療補助員の増員、女医の復職支援といった最も直接的と思われる改善策が軒並み低評価だと言うあたりでしょうか。
医師増員に関しては医師の間でも意見が極めて分かれるところであって、医療費削減のまま医師数だけ増やすことは待遇低下を招くとか、大勢の医師を抱え込んでいる大学、公立病院の医師業務改善が先だとか、あるいは指導医がいなければ医師数大幅増員など不可能といった意見もあり票が割れるところかも知れません。
このデータからごく大雑把かつ大胆すぎる要約を試みるとすれば、医療業界内の改善策よりもそれ以外の動きに期待するところが大であると言うことになるでしょうか。
A_02_2 A_02_3_2

このQ2の場合小児科と産科は別集計を出しているのですが、これがかなり異なった結果になっているのも興味深いところですね。
小児科がコンビニ受診抑制を掲げるのは例の小児医療費無料という公的扶助が小児科コンビニ受診の元凶とも言われているところからも首肯できるところです。
産科については生涯産科医をやっていればおよそ半数が訴訟トラブルに巻き込まれる計算というくらいに全診療科の中でも最も訴訟リスクが高いと言われていることに加え、福島大野事件のような世間の注目を集める一大イベントの最中であったことも理由でありそうです。

Q3:政府の打ち出している医師不足対策は効果があると思いますか?
A_03
Q2の結果を見れば容易に予想できるところですが、当然ながら評価は芳しくなく80%以上が否定的評価を下しています。
個別の意見を見れば医師数増員という厚労省の方針転換自体にはある程度の評価をしているものの、実効性に疑問を持つ意見が目につきます。
総医師数が充足したとしても偏在が顕在化するだけという意見はその典型だと思いますが、思うに医療崩壊と医師不足問題は重なりあってはいるものの別問題という点に注意が必要なのでしょうね。
設問の対象を「医師不足問題の解決」と見るか、「医療崩壊の回避」と見るかで答えはかなり変わってくるのではないかと言う点でやや煮詰めの甘い設問だったかなという気もします。

Q4:医師を適正に配置するためにはどうすれば良いと考えますか?

ここからは選択ではなく個別意見の書き込みになっていますが、総じて強制配置といった政策にはある程度の実効性は認めるにしても現場の志気低下などの点からも否定的な意見が多いようです。
一方で医師を集めようとするならそれ相応の見返りを用意するべきであって、逆にそうした環境になれば自然に医師は集まるはずだという意見も目につきます。
医局制度の再評価とも関連して、昨今言われている公的な医師派遣システムは医局制度の焼き直しではないのかという(やや皮肉な)声も散見されますが、こうした医師派遣システムが成功するかどうかのカギはかつての医局制度と同様に僻地勤務等の義務とそれに対する見返りという二つの要素のバランスを保てるかどうかでしょうね。
ただこの設問も純粋に(現場の声を無視してでも)医師配置の適正化のための有効策を答える意見と、その悪影響まで考慮し現実的解決策を検討する意見が混在してしまっているように見える点は設問の甘さと言えるかも知れません。

Q5:その他、医療崩壊を感じた体験談などご自由にお書き下さい。

ま、いかにもテレビのネタ仕込みという感じを受ける設問ではあるんですが(苦笑)。
非常におもしろいなと思うのは、こういう言わば公的な場で明らかに労働基準法違反であると考えられる書き込みが散見されるのですが、これらに対してマスコミとして今後どのように対応していくつもりなのかと言うことですよね。
ちなみに日本テレビはそのコンプライアンス憲章の中において「私たちは、放送人、報道機関の一員として、法令の遵守はもとより、社会的良識に基づいたより高い倫理観のもと行動し、公正で健全な事業活動を行います」と宣言していますが、さて…

今日はもう一つ、最近医療関連記事で評価が高くなってきている週刊東洋経済からも一つ記事を引用します。

医師不足はなぜ起きたのか

医療の現場が疲れ果てている。
医療関係者は口々に「20年前と比べようもないほど過密・過重労働になった」と指摘し、産婦人科、小児科を中心に医師不足が顕在化した。世界一の水準と評された日本の医療にいったい何が起きたのだろうか。
医師不足を説明する有力な仮説は次のようなものだ。1990年代末の医療ミス報道に端を発し、患者は医師への不信感を高める。医師は医療の正当性を保証するための仕事が増えるだけでなく、患者からの攻撃を受けやすい診療科から逃避する。そこに2004年からの臨床研修制度の導入による大学医局の弱体化が重なって、医師不足が起きたというものだ。
ここでもカギとなるのは不確実性である。そもそも医療サービスとは確率論的な財・サービスなのだ。
たとえば、自動車や家電製品が故障した際、原因となる部品を交換すれば100%直る。しかし医療はそうはいかない。患者により年齢、遺伝子、既往歴、生活環境などはさまざまで、生命ははるかに複雑だ。また医療技術にも限界がある。病因を完全に特定するのは難しいし、手術操作も標準化できるようなものではない。つまり医療でコストを払って手に入れるのは、あくまで治癒する確率の改善なのだ。
 ところが患者やその家族は、そういう現実を受け止めるのは難しい。患者の信頼を損なう振る舞いをとる医師がいることは確かであるが、医療関係者とわれわれ普通の人びとの間に、医療の不確実性に関する意識の違いがあるのは否めない。
(中略)
 繰り返すが、同じ治療法でもよくなる人もいれば、悪くなる人もいるというのが医療の不確実性だ。
 善意で行った治療が、結果次第で犯罪行為になるとすれば、医師としては自己防衛に動くしかない。そして、その自己防衛の表れが、リスクのある患者を扱わず、楽で収入の多い別の診療科や開業医に移ってしまうことだ。
(中略)
 現在の医師不足が示唆するのは、「不確実なものを不確実なものとして受け止めないでいると、どんなことが起こるか」ということだ。まずは医師不足が深刻な診療科への支援策が必要だが、不確実性の地素区を医師ばかり押し付けるのではなく、社会全体が負担し合う仕組みづくりが重要だ。

医療の不確実性と言うことと並べて、ここでは医療従事者と被医療者の意識の差というものに言及していますが、この意識の差という言葉の中には現状に対する危機感の差ということも含めてよいのではないでしょうか。
地域医療の崩壊や救急たらい回しという現象が一般マスコミにおいても連日報道されるに及んでようやく国民の中にもこうした問題に目を向ける動きが出てきたようですが、一方で笑い話のようなこういう例もあります。

とっくに還暦も過ぎたとあるベテラン医師の話ですが、長年勤めた病院を定年退職した後は頼まれて幾つかの病院を掛け持ちで非常勤医として働いているという状態でした。
この先生が持病が悪化し周囲から入院を勧められたのですが、当人は交代医もいない勤務先の迷惑になるからと頑として拒否し点滴を受けながら仕事を続けていました。
結局のところは何とか落ち着いたのは幸いだったのですが、後日この先生の奥さんが世間話の最中に何気ない態度で言うことには「近ごろ医師不足って言うけど、このあたりじゃ実感ないわよね」だそうで、老先生も思わず苦笑いだったとか。

結局のところ国民にとっての医療とは何かと言うことが問われているのがこの医療崩壊という現象なのだとすれば、現状はある意味で医療というものを国民全てが自分の目線で考え直す絶好の学習機会とも言えると思うのですが、長くなりましたのでそのあたりに関しては次回以降へ回そうかと思います。

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2008年9月11日 (木)

医療の電子化推進 その功罪

まずは珍しく医師業務を軽減しようという話の一つを紹介します。

講演会:勤務医負担軽減へ、医療事務員普及を--山形市 /山形

 データ入力など事務業務に追われる勤務医の負担を減らそうと、医師の指示で、カルテの記載や処方せん発行、
診断書作成などの専門的な事務作業を行う医療クラーク(事務員)の普及拡大を狙った講演会が5日、山形市で開かれた。
日本海総合病院を運営する県・酒田市病院機構の佐藤護法人管理部長が「医師が本来の診療に専念できれば、
患者にとっても良いこと」と訴えた。
 同病院は、電子カルテ導入で、データ入力など医師の負担が激増したことを受け、昨年10月に医療クラークを導入。
現在、正社員11人と派遣社員3人の計14人おり、県内で最も多い。人件費に、年計約2100万円かかるが、
医師の負担が軽くなり、診療に充てる時間は増え、診療費の収入が増えるなどメリットは多いという。

クラーク導入はいいんですが、そもそもこの電子カルテなるものが怪しいですよねえ。
表向きの話によると電子カルテ導入は業務効率を改善するということになっていますが、そんなものは嘘っぱちなのは近ごろではさすがに広く知れ渡ってきました。
現代の病院内で最大のボトルネックになるであろう医師業務に関していいますと、例えば外来診療の効率はざっと二割減というのが常識です。
個人的にはむしろ医療現場の電算化推進賛成派ではあるのですが、現状の現場スタッフの力量や余力、PCの処理能力等を総合的に考えるならば時期尚早ではないかというのが正直な感想です。

そもそも電子カルテで効率化されるのは診療後の精算などの事務仕事が主であって、本来なら導入と併せて事務員を削った上でその分のマンパワーを医師の診療補助に回すというのが筋であるはずなんですね。
今まで病院事務がやっていたコスト計算などの裏方仕事を医師(とPC)に回そうというシステムなんですから、医師の業務量が増えるのは誰が考えても判ることなんですが、何故かこれが業務効率化だなんて言われるわけですから、一体誰の業務を効率化しているのかという話です。
ところが実際に多くの公立病院では色々な事情から(苦笑)死んでも事務員削減なんてことはありえませんから、診療効率低下の分だけ診療報酬減になってしまうわけです。

そこで業務効率化でお暇になられたお役人事務長あたりが「せっかく電子カルテ導入したのに収入減ってるじゃないですか。先生方ももっと頑張ってもらわないと困りますよ」なんてせっつくわけですが、青息吐息の現場は白けるばかりという構図が容易に浮かんできます。
で、現場が何とかしてよと言えばあくまでも事務員の数は減らさずに新規のクラーク導入ですから(苦笑)、せっかく業務を効率化したはずなのに何故か人件費が増えるという意味不明の話になるわけです。

電子カルテというものもタダではなくて、導入には億単位の金がかかるのが一般的ですから、昨今の赤貧洗うが如しという零細医療機関にとっては決して安いものではありません。
全くメリットがないわけではないにしろ使い勝手の面で紙カルテ以上のシステムが現状では存在しない上に、一度でもシステムダウンした現場で働いた経験を持つ人間であればこれに人の命を預けるヤバさというものはすぐ理解できるというシロモノです。
少なくとも地方の中小病院にとっては積極的に推進したがるほどの魅力あるものではないと思うのですが、連年大赤字のくせにやたらと建て替えたがる一部公立病院を始め何故か医療の電算化に対して夢のような未来図を語りたがる方々がいらっしゃるのは不思議と言うしかありません。

それはともかく今のところ力不足を感じざるを得ない医療の電算化推進なんですが、実はこんなものでもちゃんとメリットもあるのですね。
例えば誰がどう考えても使えない、それでも首を切るにも切れないというスタッフに自主退職を促すにあたっては、この手のPC絡みのシステムってものは実に良い仕事をしてくれる場合があることが知られています。
実際に院内電算化を目前にして中高年層スタッフの大量退職なんて構図はどこの病院でも見られる光景ですが、さすがは天下の厚労省がこうした効能を見逃すはずもありません。
今まで紙で出していた診療報酬請求(レセプト)を、今後は全部オンラインで提出しろと言う話が進んでいたりします。

3600施設が廃院検討  医療費請求オンライン化で
 オンラインによる医療費請求が2011年度から義務化されることについて、日本医師会に加入する医師が運営する診療所などのうち、約3600施設が「廃院を考えている」と回答したことが、日医の調査で分かった。

 調査は3-4月に都道府県医師会を通じて実施。有効回答率は59%。

 義務化への対応(複数回答)を尋ねたところ「間に合うように対応」が50%、「厚生労働省の環境整備を待ちたい」が24%などとなった。

 これに対し「廃院を考えている」は9%に相当する約3600施設。これを運営する医師の年代別に見ると、70歳以上が約2100施設と6割近くを占めた。

 医療機関が、健康保険組合などに医療費を請求する場合、現在は紙やFDなどの磁気媒体に記録した診療報酬明細書(レセプト)を郵送することが多いが、審査の効率化などのため厚労省は今春からコンピューターによるオンライン請求を段階的に拡大。11年度からは、診療所を含めた全医療機関が対象となる。

年配の医師がやっている零細診療所ではまともな医療事務などそうそう雇う余裕もないところが多いです。
古いレセコンなんかを使ってちまちまやっていた作業をオンライン化しなさい、そのためのシステムを導入しなさいと言われても、資金的にも能力的にも対応無理だって話になる診療所が多いでしょうね。
厚労省は「医師には定年など存在しない」と豪語しているようですが、定年はなくとも近い将来高齢医師の大量離職が発生するだろうと予想されている背景にはこういう事情もあります。

しかし少し前までは「かかりつけ医をもちましょう」だの「すぐ大きな病院にかかるのはやめましょう」なんて言ってたと思いましたが、近ごろはいつの間にか「やっぱり医者は集めないと」と言いつつ開業医の診療報酬を削ってみたりと地域のかかりつけ医潰しに熱心ですよね。
そう言えば鳴り物入りで導入したはずの新臨床研修制度も早速見直すだとか、せっかく潰したはずの医局制度をまたぞろ復活させようだとか猫の目行政とも見える話が相次いでいるんですが、まさか行き当たりばったりで適当なことをやってるなんてことはないですよね。
しかしまあ、近年の厚労省の政策というものはむしろ行き当たりばったりでやってるにしてはあまりに「的確すぎる」って事が気になるところではありますが…

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2008年9月10日 (水)

毎日新聞社が新聞協会賞受賞

もう既に大勢の方がご存知ではないかと思いますが、なんとあの毎日新聞が!驚くべき事に三年連続で!優れた報道に送られるという新聞協会賞受賞という快挙を達成しました!

毎日新聞社、編集部門3年連続の受賞 石綿被害、一連の報道で

 日本新聞協会は3日、08年度の新聞協会賞を発表した。優れた報道に贈られる編集部門で、毎日新聞大阪本社科学環境部の大島秀利編集委員の「『石綿被害 新たに520カ所 厚労省は非公表』のスクープなどアスベスト被害の情報公開と被害者救済に向けた一連の報道」(ニュース部門)など3件が選ばれた。毎日新聞社の編集部門での受賞は、06年度の「『パキスタン地震』一連の写真報道」、07年度の「長崎市長銃撃事件の写真報道」に続き3年連続23回目で、編集部門の最多記録を更新した。

 06年、石綿が原因でがんを発症するなど労働災害認定を受けた人数を事業者ごとに公表してきた厚生労働省が突然、非公表方針に転じ、患者らの間に波紋を広げていた。

 大島編集委員は、息長い取材を通じて信頼関係を築いてきた支援団体から入手した約3500人分の被害者資料の分析から、これまで知られていなかった520以上の事業所で労災があった事実を07年12月に突き止めた。石綿被害は全国各地のさまざまな業種の事業所に広がっている深刻な実態が浮かび上がった。

 同協会は授賞理由を「この特報により、厚労省は方針転換を余儀なくされ、2年7カ月ぶりに事業所名を公表した。10年以上にわたる地道な取材の成果は、法改正を促し、救済拡大の道を開く価値ある報道」としている。

ちなみに新聞協会賞とは新聞協会から贈られる賞ですが、そもそも新聞協会とは何かということから話を始めなければなりません。
日本新聞協会は昭和21年設立の社団法人で、新聞社や放送局といったマスコミ各社を会員としている団体だそうで、活動内容は取材や報道に関する各種綱領制定や声明発表など色々と多岐にわたりますが、いわゆる一つの典型的な業界団体という認識でよろしいのでしょうか。
ちなみに新聞協会賞の規定にはこのように書かれています。

新聞協会賞

 1957年に新聞(通信・放送を含む)全体の信用と権威を高めるような活動を促進することを目的として設けられ、毎年新聞大会の席上、編集、経営・業務、技術の三部門で顕著な功績をあげた新聞人に、賞状と金メダルが贈られている。

「新聞協会賞」に関する規定

第1条
新聞(通信・放送を含む)全体の信用と権威を高めるような活動を促進することを目的として「新聞協会賞」を設ける。

第2条
本賞は第1条の趣旨によって次の各部門で顕著な功績のあった協会加盟社所属の新聞人若干名に対し、毎年新聞週間に際して与えられる。

ええと…実は全てが壮大なネタなのでは…
しかしまあ、毎日新聞の一部がああいうことをしたと言うことと、毎日新聞の一部がこういうことをしたと言うこととは別件であると言うのであれば、それはそれで構わないと思うんですよ。
問題は毎日新聞に限らず報道各社が他人の非を鳴らすに際しても同じような態度を貫き通せるかどうかでして、そうでなければ身内に甘いというレッテルはますます強固に張り付いたままと言うことになるでしょうね。

ところで話は変わりますが、例の毎日捏造報道問題に関連してこういう記事を目にされた方もおられるかと思います。

毎日新聞低俗記事問題、神戸市の男性が毎日新聞相手に損害賠償訴訟

毎日新聞社が提供を行っていた英文サイトのコーナー「WaiWai」で日本人を辱める自虐的な低俗記事を外国人向けに提供していたことに関連して、神戸市在住の男性が毎日新聞を相手に損害賠償の民事訴状を神戸地方裁判所に起こしていたことが7日までに明らかとなった。

 毎日新聞社を相手に損害賠償訴訟を起こしたのは神戸市に住む室井孝洋さん(33)。

 訴状の中で室井さんは、「1999年から現在に至るまで、毎日新聞英語版において、日本人全員を侮辱する、何ら根拠に基づかない記事を故意に配信した行為は社会の公器たる新聞社の行為として到底許されるべきものではなく、違法性は極めて高いといわざるを得ない」と糾弾。その上で「かかる記事は日本人全員を侮辱するものであって、原告も日本人の一員として、被告に対し強い憤りを感じ、被告の行為によって強い精神的苦痛を受けた」として10万円の損害賠償の支払いを求めた。

 第一回口頭弁論は神戸地裁で9月にも行われる予定。

で、予定通りに始まっちゃってるみたいなんですが、その後全然続報がないのが悲しいですよね。
弱小な個人対巨大組織なんていかにも良心的な報道各社が好みそうな構図なんですが、どこかこの裁判についてももっと詳しく取り上げてくれないかなあと期待しているのですが…

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2008年9月 9日 (火)

JR西日本社長送検

JR尼崎線の脱線事故の件、何となく記事を眺めておりましたら色々と突っ込みたくなる話があるようです。
あちこちの報道から主だったところを抜粋してみます。

JR西日本・山崎社長ら10人書類送検 宝塚線脱線事故

 乗客106人が死亡し、562人が負傷した05年4月のJR宝塚線(福知山線)の脱線事故で、兵庫県警は8日、JR西日本の山崎正夫社長(65)ら歴代幹部9人と事故で死亡した高見隆二郎運転士(当時23)の計10人を業務上過失致死傷容疑で神戸地検に書類送検した。列車の運行や安全管理を担う幹部が過失責任を問われるのは異例。地検は年内をめどに起訴の可否を判断する。

神戸地検は被害者対策の一環として、近く事故の遺族と負傷者全員に、どんな処罰を求めるか、検察官との面談を求めるかなどを尋ねる手紙を郵送するほか、問い合わせに対応する専用の電話回線を設置する。検察当局が本格捜査の前に、多数の被害者から捜査や処分に関する要望を集約するのは例がない。

 尼崎東署捜査本部の調べでは、高見運転士は05年4月25日午前9時20分ごろ、兵庫県尼崎市のJR宝塚線塚口―尼崎駅間で快速電車(7両編成)を運転し、カーブの制限速度(時速70キロ)を超過した時速116キロで進入。1~5両目を脱線させ、先頭車両が線路脇のマンションに突っ込むなどし、乗客668人を死傷させたとされる。

福知山線事故、JR西日本社長ら10人書類送検…兵庫県警

 発表によると、山崎社長、梅原利之・JR四国相談役(69)ら5人は、1996年12月に現場カーブを半径600メートルから304メートルに付け替えた前後に、安全対策を担当する鉄道本部の幹部らだったが、自動列車停止装置(ATS)を設置しなかった。この結果、2005年4月25日、快速電車(7両)が速度超過で現場カーブに入って脱線し、乗客を死傷させた疑い。

 県警は、付け替え当時、鉄道本部長だった山崎社長らが、ATSを設置せずに安全対策を怠った過失があると判断。起訴を前提とした「厳重処分」に次いで重く、刑事処分の判断を地検に委ねる「相当処分」の意見をつけた。

 また、徳岡研三・元鉄道本部長(61)ら4人は、2003年9月に決まったATS設置の工事遅れや、懲罰的な日勤教育と余裕のないダイヤで運転士にプレッシャーを与え適切な安全管理を怠った点で過失があったとされるが、県警は、「事故との因果関係は薄い」とし、起訴を求めない「しかるべき処分」との意見にとどめた。

 調べに対し、9人全員が「あれほどの速度でカーブに入るとは想像できなかった」と事故の予見可能性を否定している。

【JR脱線事故】「いばらの道」振り返る捜査員 3年半に及んだ捜査

 兵庫県警はJR西日本関係者10人の書類送検という答えを出した。電車に乗り合わせただけの乗客が犠牲になった重い結果と、個人の過失を問う業務上過失致死傷罪の適用の難しさの間で、ぎりぎりの選択の結果だった。「幹部立件か見送りか。どちらを選ぶにしてもいばらの道だった」。県警幹部はこう振り返った。
(略)
 捜査本部は信楽高原鉄道事故(平成3年)や、日航ジャンボ機墜落事故(昭和60年)など過去の大規模事故を担当した他県警の捜査員にノウハウを学ぶことからはじめ、これまでにJR西社員500人以上から事情聴取。他の鉄道会社や学識経験者50人以上からも説明を求め、あらゆる角度からの検証を尽くした。

 それでも捜査本部は事故後しばらく、立件を前提とした山崎社長の被疑者としての聴取は想定していなかった。個人の過失を問う業務上過失致死傷罪の適用には「壁」があったからだ。

 今年2月、停滞していた捜査に転機が訪れた。遺族の1人が、現場カーブの付け替え時に自動列車停止装置(ATS)を設置しなかった過失を問い、山崎社長ら3人の告訴状を提出。3月には別の遺族が、別の安全対策部門の幹部を含む7人を告訴した。

 刑事訴訟法は、警察が告訴を受理した場合、書類を検察庁に送付(送検)しなければならないと定める。この告訴で、送検を前提とした捜査が可能となった。

 捜査本部にとって、2つの告訴は「追い風」。「立件を目指して捜査を進めてきたが、正直なところ告訴が出たことで半分は肩の荷が下りた気がした」。ある捜査幹部は、告訴状を目にした瞬間の胸中を率直に明かした。

遺族に配慮、苦渋の結論 JR西とせめぎ合い

 一方、遺族らでつくる「4・25ネットワーク」をはじめ、事故被害者は何度も県警に足を運び「役員も厳正に捜査し、立件してほしい。情報も教えてほしい」と訴えた。

 「捜査中で詳しいことは申し上げられない」と県警。しかし、紋切り型の回答とは裏腹に、遺族らが納得できる結論を出したいとの思いが募っていった。

「なぜ乗客が百六人も亡くならねばならなかったか。普通に安全対策を実施すれば起こるはずがない」。捜査本部に幹部の声が響いた。

 ▽起訴への道

 日勤教育、過密ダイヤ…。捜査はさまざまな角度から進んだ。その中で「カーブ付け替え時にATSを設置していれば、事故は回避できた」だけが明白だった。安全対策を決定していたのは鉄道本部の会議。本部長だった山崎社長らの責任を問う余地があった。

 しかし、当時はATSの設置義務はない。予見可能性を裏付ける証拠も乏しいままだ。

 起訴を求める「厳重処分」ではない「相当処分」の意見は、本部長以下の幹部が顔をそろえた会議で決まった。反対はなかったという。

 何とかJR西経営陣を立件する道を残した書類送検。今後の判断は検察に委ねられたが、鉄道事故で経営陣が起訴された例はなく、県警幹部からも「起訴は難しいだろう」との声が漏れる。

 検察関係者も「証拠がないのに情に流されて起訴はできない」とした上で、「しかし、突然命を奪われた遺族は簡単に納得できないだろう。不起訴となっても、検察審査会の議決を経れば、公判廷で責任を問うのは法的には可能だ」と話した。

社長送検 JR事故捜査1230日 <下>

 「JR西日本への憎しみや怒りは事故発生当初から少しも変わっていない。JRの責任が問われないのは納得がいかない」

 今年に入り、遺族の一人が1通の告訴状を兵庫県警尼崎東署の捜査本部に提出し、こう訴えた。
(略)
 刑事訴訟法上、告訴を受けた警察は速やかに書類送検しなければならない。兵庫県警にとって、告訴はまさに、捜査を推し進める“追い風”となった。

 「真の意味で、再発防止を尽くす体質に生まれ変わってほしい」。書類送検こそ、その契機となるはずだ、と。約4時間に及んだ聴取で、捜査本部は遺族の心情を調書に記した。

【JR脱線事故】神戸地検の起訴の可否判断が今後のカギに

 遺族や負傷者らが起訴を求めているのは懲罰感情だけでなく、公判が開かれなければ捜査資料が開示されないとの理由も大きい。

 このためすでに一部の遺族の中では、仮に5人を含む幹部らが不起訴となった場合、検察審査会へ申し立てることが想定されている。

 これまで、検察審査会の議決には法的拘束力がなかった。「不起訴不当」や「起訴相当」を議決され、検察が再捜査するケースはあったが、大半は再び不起訴となり、公訴時効を迎えることが多かった。

 しかし、裁判員制度とともに来年5月に施行される改正検察審査会法では、2度の「起訴相当」で必ず公判が開かれるようになる。具体的には「起訴相当」が議決されると、検察は3カ月以内の再処分を求められる。ここでも不起訴だった場合、再審査が開かれ、審査員11人中8人以上が「起訴相当」と判断すると「起訴議決」が出され、裁判所指定の弁護士が強制起訴。公判に持ち込まれることとなる。

 今回の事故の場合、改正法が適用される公算が極めて高く、今後の行方が注目される。

【JR脱線事故】経営トップの責任はどこに 書類送検で立件困難さ浮き彫り

 JR福知山線脱線事故で兵庫県警は8日、JR西日本幹部ら10人を書類送検し、3年4カ月以上に及ぶ捜査を終結した。平成8年の現場カーブの付け替え時や事故当時の経営トップは送検対象に含まれなかった。安全が第一に求められる公共交通機関が引き起こした未曾有の大惨事だけに、遺族の一部や専門家からは、当時の経営トップの刑事責任を強く求める意見があがっていたが、法的な壁もあり、立件は見送られた。

 「当然、トップの刑事責任は検討したが、社長が出席する役員会議で安全面に関する話はあがっていなかった」

 県警幹部がこう説明するように、経営トップが送検対象に入らなかったのは、事故当時の安全状況について詳しい報告を受けていなかったと判断されたことが大きな理由だ。
(略)
 公共交通機関の事故で組織トップの責任を問うことが難しいのは、適用罪状が個人の過失を罰する刑法の業務上過失致死傷罪であるためだ。現行法では、事故発生時に組織としての過失責任を問う法律はない。捜査当局は社長であってもあくまで個人としての過失を立証しなければならない。

 福知山線の事故で書類送検された安全対策の幹部らの立件でさえも「個人の過失を問うのは非常に難しかった。あらゆる切り口を考えた」(兵庫県警幹部)というほどだ。

 鉄道事故に詳しい安部誠治・関西大教授(公益事業論)は「事故の再発防止という観点から言えば、経営トップの刑事責任を問うのは必ずしも有益とは言えない。とはいえ、大きな事故について、責任者に業務上過失致死傷罪を適用する現状にのっとって考えるならば、業務を統括する社長が書類送検されないという今回の書類送検の内容は理解しがたい。事故の法人責任のあり方については、さらに検討を進めていく必要がある」と話している。

まずは事故で亡くなられた犠牲者の方々のご冥福をお祈りすると共に、ご遺族の方々にお悔やみを申し上げます。

さて、これらの記事を見ていきますと、どこかで見たような構図と言う気がしてくるのは自分だけでしょうか。
警察や検察という組織は法に則った公平な判断をするというのが大原則だと思っていたのですが、むしろここに見られるのは法解釈を歪めるかの如き恣意的な判断のオンパレードではないですか。
会社幹部の責任を追及するという点の是非はまた別問題としても、遺族感情に配慮するという一点を錦の御旗にどんな方法論でも許されるのだというのであれば、それは私的制裁機関と何ら代わりはないのではないでしょうか。
何よりそれ以上に、本当に追求すべきJRの問題点はそこだったのかと言う最大の疑問が全く置き去りにされている気がして仕方がありません。

この事故に関して言えばまだ完全に解明が終わっているわけではないと思いますが、時刻表通りの運行というプレッシャーだとか運転手の精神状態など今まで指摘されている改善すべき問題点は幾らでもあるわけです。
「普通に安全対策を実施すれば起こるはずがない」とか「ATSを設置していれば、事故は回避できた」なんて要約をして終わってしまっていいんでしょうか?
この事件が仮に有罪判決で終わったとして、「それじゃATS設置を急ぎますね」で本当に同種の事故は二度と起こらなくなると言えるんですか?
この警察の捜査方針からは、心身ともに悲鳴を上げながら今日も列車を走らせているだろう現場の生の声が何一つ聞こえてきません。

何かあれば業務上過失致死傷という法律を振りかざすという今の日本では仕方がないのかも知れませんが、後ろ向きに過ぎる対応を取ることまではともかく、それによって前向きの対応が阻害されるという本末転倒の事例があまりに多すぎませんか。
こういう「警察、検察は攻め易きを攻め、個人や団体は守り易きを守る」という構図が続く中で本当の再発防止策というものがどれほど停滞してきたのか、その結果としてどれだけ国民が損をしてきたのかと言うことを改めて考えてみるべき時期なのではないでしょうか。

大野事件のような社会的影響大となって初めて誰もが気がつくことなのかも知れませんが、何より怖いのは水面下で着々と進行する静かな社会の劣化と崩壊です。
ネットであれ実社会であれ大騒ぎをしている医師達はまだ燃え尽きていない、現場がここを改善しろと声を出してくれているうちはまだいいんです。
本当に問題なのは現場の人間が声を発することもなくただ黙って立ち去っていくことなのだと言う、今の医療崩壊の構図と根が同じという気がして仕方がありません。

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2008年9月 8日 (月)

大野事件後に医療事故調問題を考える その四

前回につづいて医療事故調についてもう少し考えていきたいと思います。
それぞれの立場から夢のような未来図が語られるばかりでも現実味がないのは確かなので、事故調導入のメリットとデメリットをもう少し現実的に予想してみる必要はあるでしょう。

現場の意向を全く反映していない医師会なる組織の公式発言はともかくとして、医師の間でも事故調導入には賛否両論ですが、医療訴訟の場に引き出されていく一般臨床医にとっては実のところ、現状と比べて悪化する要因は少ないと見ています。
どの組織の出している案であれ、複数の医療専門家(当該分野の経験豊富な医師?)による検討という点では一致しています(この人選もまた議論の余地多々あるところですが、ここではスルーします)。
これは恐らく医者という人種に限りませんが、各分野の権威とも目されるような人間は基本的に他人の意見を素直に首肯するより、自分なりの見解なりひと言なりを付け加えたがる傾向があります。
そして何より自分たちの議論の結果が直接裁判の行方をも左右しかねないともなれば、よほどの事でない限り断定的な結論は出てこないでしょう。
結果として出来上がる報告書は両論併記、どちらとも取れる灰色というものが多くなるのではないでしょうか。
そして大野病院事件判決で示された基準に従って判断するならば、そういう灰色の報告書に基づいて起訴することには検察も躊躇せざるを得ない、とすれば刑事訴訟のリスクは低下するか、少なくとも今より高くなることはないと見ていいのではないでしょうか。
一方で民事訴訟のリスクについては、現在多くの医療訴訟において原告側の要求はただ真実が知りたいだけだと言う声を耳にするところです。
とすれば、民事法廷の方が事故調の報告書より正しい真実を得られそうだという予測がない限り、事故調導入は民事においても抑制的に機能するのではないでしょうか。
最も訴訟に至る率としては低減したとしても、後に述べるように実数としては何とも言い難い部分はあるかとも考えているのですが。

一方の患者、遺族側にとってはどうでしょうか。
訴訟といういわば全面対決の場以外に詳細な検討を行える方法が存在するということに関しては、少なくとも事故調導入に反対する患者団体の意見を見たことがない点からも一定の評価が得られるのではないかと考えています。
しかし患者が求める真実を事故調によって手に出来るかどうかが何よりの問題なのであって、まして事故調さえ出来れば何かが変わるという過剰な期待感こそ禁物だろうと言う点には留意する必要があります。
すなわち医療における事実と、患者や遺族が求める真実とが同じであるという保証は全くない以上、ある程度の確率で事故調の報告に納得できないという声が上がるだろうことは想像に難くありません。

そもそも人が病気になること、生ある者が必ず死ぬことこそ患者にとって最も理不尽極まる現実なのであって、それを納得させるということはたやすく出来るような簡単なものではないはずなのです。
医師は医療の専門家であって人間の持つ事実の一端に迫る能力を他の誰かよりは持っているのは確かかも知れませんが、その事実を最も正しく患者に伝え理解させることに関しての専門家では全くない。
つまり医療の専門家が大勢集って検討する調査委であるなら、患者を納得させ得る報告書を出せるはずだという保証も必然性もどこにもないということです。
そして何より問題なのは、こうした「非専門家」の片手間仕事によって日々刻々と医療現場での誤解の連鎖が広がっていることでしょう。
そうであるなら方向性こそ違えど、患者と医師の双方が持っているこの種の誤解あるいは傲慢を払拭することこそが何よりも必要なのではないかと思います。
そのために最も必要とされるものが本当に事故調の設立なのかどうか、あるいは事故調がなければそうした現状を打破できないのかをもう一度考えてみるべきなのかも知れません。

ところで、事故調の実現性、実効性を考える上で考慮すべき最優先の課題はそれに必要なマンパワーではないでしょうか。
現在医療訴訟は年間千件ペースに達していますが、訴訟外の中立的調査機関となれば今の訴訟件数よりずっと増えることはあっても減ることは考えがたいのではないでしょうか。
結果としてそれぞれの案件に数人の医師が関わるとして、のべ人数で少なくとも数千人、下手をすると万のオーダーの医師が毎年事故調の業務に拘束されることになるわけです。
問題は今の医療界にそれだけの余裕があるのかどうか?と言う点ですね。

考える材料として、とある基幹病院での事例を取り上げてみましょう。
そこはスタッフが馬車馬のように働かされることで有名な病院で、今の時代にあっては当然のように医師の逃散相次ぎ、看護婦の離職率も高くそれが更なる過重労働を招くという典型的な悪循環を来していました。
その病院でオーダリングシステム上のささいな入力ミスから医療事故が起き、院内ではさっそく事故対策委員会が開かれました。
委員会の結論は、これはチェック体制が出来ていないことによるヒューマンエラーだと言うものでした。
既にダブルチェックを徹底するという内規は存在していたが、それで不足であるなら仕方がない、かくしてあらゆる薬品、物品は使用前に医師と看護師によるトリプルチェックを受けることになったのです。
この結果どうなったかと言えば、医師、看護師の残業時間が更に伸びることとなり、過労による単純ミスとスタッフの逃散は今まで以上に悪化したのでした。

この場合自分なりに考える結論として、チェック体制の充実はミスを減らす一つの方法であるかも知れないが、それが有効に機能するのは関わるスタッフの業務量に十分な余力がある範囲に限られるということです。
そして不幸なことに、現在の医療現場に暇な人間などそう多くはいないのです。
事故調設立後の医療界の労力が現状より増えるのか減るのか、もし増えるのであるのならどの程度増えるのかという予測は今のところ厚労省からも他団体からも明確には示されていないようですが、もしそれが医療界に破滅的な結果を招くほどのものであった場合にどうするのかという対策は考えておかなければなりません。
正しい方法が結果を改善するのに必ずしも有効な方法と言うわけではないのであれば、求めるべきは方法の正しさなのか、結果の正しさなのかと言うことはもう一度よく考えてみるべきだと思いますね。

そしてもう一点重要なことは、訴訟リスクに対する恐怖とは数字で評価されるものではないということです。
早い話が統計的に幾ら安全であると言われたところで、飛行機に乗るのが怖い人間というのは一定確率でいるものなのです。
怖いのならば飛行機に乗らなければいい、実際飛行機にだけは乗らないという人も存在するわけで、医療の世界においてだけそうした恐怖感と無縁であるなどと考える根拠はありません。
厄介なのが「危ないことには手を出さない」、いわゆる防衛医療といわれるようなものは医師の心構えの問題であるだけに、統計的に示し得るような社会的影響が出てくるような段階に至って初めてその実態が明らかになるということです。
「事故調が出来たのだから医師達も安心して医療を行うことができるはずだ」などという根拠のない期待感は、それが正しいのか正しくないのかすら当面検証のしようがないというわけです。
事故調設立が医師の逃散、ひいては医療崩壊に対する何か特効薬のように感じている者がいるとすれば、現段階ではそれは単なる幻想に過ぎないことだけは承知しておくべきでしょう。

結局のところどんなシステムを作るかという議論の前に、一億の日本人が医療というものの目標点をどこに置くのか?という話が必要になってくるのではないでしょうか?
現状ではそうした議論も合意形成も全くなされていないとしか思えない中で、「とにかく何かつくってしまえば」という妙な期待感だけが先行しているのが気になるところです。
現実問題たった一つ確実なのは、医療に限らずどんな分野であれ事故や失敗は決してゼロには出来ないという単純な事実だけではないでしょうか。
何かしら過誤があったから補償しましょうという論理は、逆に過誤がなかったから補償は出来ませんと言う論理へと結びつきやすいものであって、実際に福島大野事件の発端もこうした「補償のための過失認定」という本末転倒の話が契機となったことは記憶に新しいところです。
そうであるなら無過失補償のようなものであれ患者用医療補償保険のようなものであれ、避けられないものに対する何らかの対応策というものは社会的に整えていかなければならないのは必然ではないでしょうか。
医療というシステムが存在することによる国民全体の利益を最大限にしていくためにはどうすればよいのか、そのために国民がどんな負担をしていかなければならないのか、遠回りなようでももう一度そこに立ち返り国民全てが当事者として議論を行っていかなければならないと思います。

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2008年9月 7日 (日)

今日のぐり「焼肉 千屋牛」

早起きして二度寝したので何となく一日ぼんやりと過ごしてしまいました。
しかしまあ、一つめはともかく二つめの失点はいただけませんね。
レバノンアジアカップの初戦サウジ戦の失点を思い起こさせるような間の抜けたシーンでした。
結果として憲剛のスーパーミドルに救われましたが、やはり今の時代世界中どこの国とやっても簡単に勝てるような時代ではないですね。

今日のぐり「焼肉 千屋牛」

JAあしんの運営している直売所に併設の焼き肉屋、その名もずばり千屋牛。
となればやはり本場の千屋牛のいいところをがーっと食わせてくれるのかとその気になるじゃないですか。
いかにもこういう場所にあるこういう店と言う感じの外見で見た目はあまりうまそうには見えないんですが、リーズナブルな価格で結構食わせるという評判です。

ちょうど昼飯時でしたが、店内は既に満席で後から後から人がやってくるという状態。
こんな過疎の田舎町(失礼)になんでこんなにと思うような繁盛ぶりでした。
千屋牛セットなるものがあるようなのですが四人前だそうなのでとりあえず今回はスルーして(二人でした)、千屋牛特選ステーキサーロインに特選ロース、特選カルビを注文。
込んでいる時間帯と言うこともあるのでしょうが、フロア係もちょっとパニクり気味で正直対応はあまりよくありません。
結構まったあげくに順番にやってきた肉をちびちびと焼いて食しました。

昨今ではちょっと良い肉と言えば何でもかんでも霜降りだらけというご時世ですが、この特選ロースのサシはさすがにちょっとやりすぎでしょう、幾ら何でも…
て言うかこれもう肉じゃなくて脂、少なく見積もっても2/3は脂ってかたまりですぜこれは。
まあ焼肉食うのにコレステロールがどうのとあまり野暮なことは言うつもりもないのですが、純粋に味として考えてうまいのかこれは?と疑問に感じるレベルです。
それに比べると特選カルビはまだ納得できる程度のサシの入り具合で、焼肉として食うならこちらの方がおすすめですね。
しかし肉の味を味わうなら今回の中では特選ステーキのサーロインが一番好みでした。
それでも何となく脂身部分は切り分けてしまうのがなんと言いますか、人間の心の弱さですよねえ…

脂の味を差し引いて肉の味を味わってみますと、以前食べた千屋の「ふゆさと」よりマシとはいえやはり旨味が薄い肉だなという印象です。
しかし今まで食べた千屋牛というのはどれも共通の味を感じるのですが、これは若いのか熟成が足りないのか?
但馬牛や広島牛などは良い肉は素直にうまいとわかるんですが、千屋牛の場合は何か納得できないものが残るんですね。
幾ら何でもこれで世間で言うほどの高評価が得られるとも思えないので、どこかに本当にうまい千屋牛もあるんでしょうかね。

何にしろ千屋牛に限らず行きすぎた霜降り信仰はもう少し何とかしていかないことには、何を食っても脂の味しかしないのではロースもカルビもありません。
今回は食べていないのですがこの店、おそらく特選より並みか上くらいの肉の方がじっくり味わえるんじゃないの?と言う気がします。
値段は確かに高くないので、これで赤身主体の肉であの価格帯であれば結構お値打ちかなという感じですね。
ただ場所柄のせいもあるのか昼飯時は気忙しいので、のんびり焼肉を楽しみたいという向きには時間帯を工夫する必要がありそうですね。

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2008年9月 6日 (土)

大野事件後に医療事故調問題を考える その三

前回は厚労省の見解を引用しましたが、これに対して医師団体の立場はどうでしょうか。
長年にわたって実質的に唯一の医師団体として君臨してきた日本医師会は、末端会員の声なき声による根強い反対にも関わらず厚労省案を全面支持という格好です。
さすがにこれには愛想が尽きたという医師も多いようですが、最近ネット上で活躍する医師諸氏が中心となって医師会に対抗する第二の医師団体とも言うべき日本医師連盟が設立されました。

この医師連盟なる組織、まさに医療崩壊という現象が契機となって危機感を抱く医師達によって結成された団体ですが、未だ会員数からすればいたって弱小の組織にしか過ぎません。
組織の行く末も現段階ではあまりはっきりと見えてこないところもあるのですが、とりあえず医師会の見解=医師の意見の代弁者という世間の偏見を解消する意味では対立軸としての存在意義は決して小さなものではないと思いますね。
さてこの医師連盟はかねてから厚労省案に反対の姿勢を示していましたが、先頃ようやく独自の調査機関案を発表しました。

全国医師連盟試案の骨子平成20年9月1日 

 医療関連死および医療行為に伴う健康被害に関しての、原因究明・再発防止に結びつく調査機関の制度設計は、WHOガイドラインなどの国際的水準に合致する形で行うことが必要であると言われています。また我々は、それが、現在危惧されている萎縮医療を防ぐ為にも有用と考えています。

 理想的な調査機関を作るには、本来、過失犯の刑事処罰が社会にとって有益であるかどうかという議論を踏まえたうえで、刑法 209条、210条、211条の改正を視野に入れて国民的議論を喚起することが必要と思われます。しかし、実体法の改正は多方面への多大な影響が予想され短期間には困難と考えています。

 そこで、全国医師連盟では、医療事故の鑑定システムの構築と、刑事・民事訴訟に事故調の判断を先行させる仕組みを手続法の改正により実現する、全医連試案骨子を作成しました。なお試案本文は、9月中の発表を予定しています。

医療崩壊を危惧して誕生した組織だけに、まず継続的、持続的な医療供給の確保という視点を基本線として打ちだしている点と、警察、検察との合意という口約束だけの厚労省案と異なって事故調を司法捜査より優先することを明文化している点、そして事故調と同時に患者救済システムの設立をうたっている点が注目されます。
全体の方向性としては厚労省案より民主党案に近い印象を受けるのですが、以下に続く概要はいささかあれもこれもと盛り込みすぎて読みにくく報道記事の方がわかりやすいと思いますので、ここではCBニュースから引用してみることにします。

医療事故原因究明で試案骨子―全医連

 病院の勤務医らでつくる全国医師連盟(黒川衛代表)は9月1日、医療事故の原因究明・再発防止策に関する試案の骨子を公表した。捜査機関が犯罪の疑いを抱いた場合は、事故原因の究明を担う医療安全調査委員会(医療安全調)に調査を依頼し、医療安全調による意見が出るまでは捜査に着手してはならないこととするよう提案している。9月中に試案の全文を発表する予定で、全医連では「舛添要一厚生労働相などに陳情したい」としている。

 試案の骨子によると、医療安全調は内閣府の外局として設置し、全国の高裁の所在地に地方委員会を置く。また、医療安全調が取り扱う対象は、医療事故による死亡(疑いがあるケースを含む)だけでなく、「医療行為に伴う健康被害が生じた場合」で、地方委員会の下に置く調査チームが調査を実施するとしている。

 医療安全調への届け出は医療機関か医療従事者が行い、医療安全調は、患者・遺族からの調査依頼も受け付ける。調査に必要な証拠を保全するため、医療安全調には、裁判所の発行する令状に基づき、強制的に資料を収集する権限を持たせる。調査の結果、医療機関の行為が医学的に不適切で「刑事手続き相当」と医療安全調が判断した場合は、捜査機関に通知。同時に、根拠となる客観資料(調査対象になった医療者の供述内容の記録は除く)を交付する。

業務上過失致死について、試案の骨子では「刑事手続き相当」とする医療安全調からの通知と、遺族による告訴の両方を起訴要件とする「親告罪」に位置付けるよう提案している。捜査機関は、医療行為に関連する死傷の結果に疑念を抱いた場合、医療安全調に調査を依頼し、委員会が「刑事手続き相当」と判断するまでは捜査に着手してはならないようにするなど、謙抑的な刑事手続きの運用を打ち出している。

 医療安全調は調査結果を患者や遺族、医療機関、厚労省の医道審議会に報告。調査の結果、事故の原因がシステムや制度に起因すると判断した場合は、医療機関による再発防止策を提言したり、関係省庁に必要な措置を勧告したりする。医療安全調の報告書は「民事紛争での使用を妨げない」としている。

 また、医師法21条を改正し、医療関連死の警察への届け出対象を、過失犯を除く刑法犯によるものに限定するよう提案。さらに、安全対策を講じない医療機関の管理者や設置者に対する処分や、医療機関に対する行政処分の新設も打ち出している。

■「医療被害補償基金」の設立も提案

 試案の骨子では、医療被害者救済策の一環として、無過失補償を目的とする「医療被害補償基金」の設立も提案している。
 医療安全調による調査で医療側に過失がないと認定された場合、患者や家族は法令で定める額を補償金として受け取ることができる。医療機関に対する損害賠償請求権など「一切の請求権」を放棄することが条件

 一方、調査により医療側の過失が認められた場合は、▽医療機関に損害賠償を請求する▽損害賠償請求権を放棄した上で補償金を受け取る―のどちらかを選択できるとした。

このなかで特に注目されるのは、医療訴訟との関連で下記の三点でしょうか。

・業務上過失致死について、試案の骨子では「刑事手続き相当」とする医療安全調からの通知と、遺族による告訴の両方を起訴要件とする「親告罪」に位置付けるよう提案している。

・医療安全調の報告書は「民事紛争での使用を妨げない」としている。

・医療安全調による調査で医療側に過失がないと認定された場合、患者や家族は法令で定める額を補償金として受け取ることができる。

福島大野事件に見られるがごとく刑事訴訟の医療界に与える影響大なることを考慮すれば、専門家による調査でよほどの事が認められない限り刑事訴訟には至らせないというルール作りには意義があると思われます。
また民事訴訟への報告書の流用を認めるという点で証言の信頼性をどう担保するかという問題が発生するわけですが、被害者補償制度によって遺族側の不満を解消することで実質的な訴訟への持ち込み件数を減らすという方向性は、北欧あたりのシステムに近いもののようです。

一読した印象では厚労省案と比較して、医療と司法の関係をより突き詰めて考えている案だなというところでしょうか。
もともと医師連盟の創設メンバーには「元検弁護士のつぶやき」など司法系サイトで活躍された方々が含まれているようですから、そちらの筋から色々と検討を重ねてきたのかも知れません。
このように構想としてはかなり練られているなという印象を受けるのですが、それだけにやや理想論過ぎると言いますか、関係省庁間のすりあわせ作業や関連法令の整備といった実作業面を考えると実現への道はかなり遠いのかなという思いも拭いきれないところがあります。

また医療側の懸念にかなり配慮したところが見て取れる案であるだけに、最大の問題点は患者側(国民側)がこの案に納得するかどうかということではないでしょうか。
何しろ「医療事故被害者の声」と言うものはマスコミ的な扱いも大きい上に、何より有権者数として考えるならば医療サイドは最大限に見積もってもたかだか一億人の中の数十万というレベルの少数派に過ぎないわけです。
厚労省案に対しても既に諸団体が不満の声を上げていますが、それと比較してもさらに医療側寄りの案と見られるだけに国民からの支持を得られるかどうかが実現性をはかる一つのポイントでしょう。

この辺りも絡めて次回以降へ続きます。

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2008年9月 5日 (金)

大野事件後に医療事故調問題を考える その二

前回に引き続き今回はいよいよ医療事故調に関して検討していきたいと思いますが、この点で最重要なのは厚労省の目指すところではないでしょうか。
ちょうど厚労省側の見解を示す記事が出ていますので、今回まずこれから抜粋しながら検討していきたいと思います。

医療版「事故調査委」--厚労省の見解 再発防止が最大の目的

 厚生労働省は、医療死亡事故の原因を究明する第三者機関として、10年度の設置を目指す「医療安全調査委員会(仮称)」の第3次試案と、試案から法制定が必要な部分を抽出した「医療安全調査委員会設置法案大綱案」を相次いで公表した。調査委は、国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会の医療版。従来は刑事・民事裁判に委ねられていた医療過誤による死亡事故などの解明に、医療関係者や法律家らがあたることで再発防止を目指す制度だ。ただ、医療界には調査結果が刑事手続きに用いられることなどへの反発もある。厚労省医政局の佐原康之・医療安全推進室室長に、これまでの経緯や現状、課題を聞いた。

 ◇事故前提のシステム設計

Q:そもそも、医療安全調査委員会を設置するということになったのは、どういう経緯からですか。

A:長い経緯があります。医療事故や医療安全ということについて、1990年代まで社会的にはあまり問題にされていませんでした。医療事故がなかったわけではないと思うのですが、医療機関から公表されることは少なく、また、患者側からの声も上がりにくい状況でした。しかし、1999年に横浜市立大学附属病院での患者取り違え事故や都立広尾病院での死亡事故を契機に社会的な関心が高まり、次第に医療事故の実態が明らかになってきました。一方同時期に米国で、「人は誰でも間違える」と題する報告書が出て、医療事故はどこでも起き得るのだから、それを前提に医療システムを設計していく必要がある、との提言がなされました。

 日本の医療法は1948年に制定されましたが、医療事故があることを前提に作られていませんでした。したがって、事故発生時の対応、例えば、何を事故と定義するのか、患者遺族への説明はどうするのか、事故をどこに届け出て、どのような調査を行うのか、その調査結果の取扱いはどうするのか、といった点できちんとした制度ができていません。事故があることが誰の目にも明らかな、例えば航空機事故の場合には、事故を起こした航空会社が国土交通省に報告し、航空・鉄道事故調査委員会が事故原因を調査する、という仕組みがありますが、これとは対照的です。

 医療事故の原因究明・再発防止を図る仕組みが必要ですが、医療事故についてはこれを専門的に行う機関がありません。結果として、捜査機関が犯罪捜査の観点から医療事故を扱う、あるいは民事裁判で真相を明らかにする、という流れになっていますが、これは、医療従事者にとっても患者・遺族にとっても満足できる仕組みではありません。

 医療行為は常に事故のリスクを伴うものです。医療者に過誤がある場合もありますが、不可避の合併症もあります。そのような医療事故の原因究明を、捜査機関が犯罪捜査の観点から行うことに、医療界には強い抵抗感があります。また、患者遺族には、自分の肉親はなぜ死んだのか原因を究明してほしい、また、自分の肉親の死を無駄にせず二度と同じような事故が起きないよう再発防止に役立ててほしい、との願いがあります。しかし、刑事手続や民事手続は原因究明や再発防止を目的としたものではなく、このような願いは十分にかなえられません。

 医療事故の原因究明・再発防止を担う中立的第三者機関の創設については、2001年の日本外科学会声明を皮切りに、2004年の日本医学会加盟の19学会の共同声明、2005年の日本学術会議の報告など、様々な提言がなされてきました。2005年からは「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」が開始され、医療事故発生時の診療内容を、第三者の医師等が医療機関からも遺族からも中立的な立場で評価するという事業も行われています。そんな中、2006年2月に、産科医が医師法21条違反と業務上過失致死容疑で逮捕されるという事件があり、警察に医療事故を届け出るのではなく、医療の専門家を中心とした中立的第三者機関に届出し、この第三者機関が専門的な観点からしっかりと原因究明を行うという仕組みが必要であるとの声が大きくなりました。2006年6月には国会の衆参厚生労働委員会での決議もなされました。厚労省では、2007年の3月に第三者機関の創設に関する第1次試案を公表し、併せて同年4月から有識者による検討会を設置し、様々な議論をしていただきましたが、これらの議論を踏まえて同年10月に第2次試案、そして第2次試案に対して寄せられたご意見を踏まえて2008年4月に第3次試案を発表したところです。

厚労省側は繰り返し「再発防止が目的」と言っていますが、さてどんなものでしょうか?
記事を見ると厚労省は航空事故調と同様のシステムを目指しているように見えますが、実はここにまず大きな問題があります。
日本の航空・鉄道事故調査委員会の本家とも言うべきアメリカの国家運輸安全委員会(NTSB)は警察、検察よりも強い捜査権限を持つ組織であって、調査の結果は基本的に一般公開されることになっています。
原因究明と再発防止のためには徹底して正確な情報を引き出すことが重要なわけですが、このためNTSBの調査レポートを民事訴訟の証拠に用いる事は禁止するよう法的に保証されているのですね(アメリカでは故意によるものなどでない限り事故の刑事責任は問わない)。
問題は日本版航空事故調においても、そして今のところ医療事故調においても、調査レポートを法廷に持ち出さないという保証が全く存在しないことです。

実はこの問題は単なる想像上の話ではなく、97年の日航706便の事故(乱高下によって乗客・乗員14人が死傷)において機長が業務上過失致死傷罪に問われた際(判決は無罪)航空事故調の調査報告が証拠採用されたことに、日本のみならず世界中の航空関係者から一斉に反発の声が上がりました。
事故機(MD-11)自体がかねて色々と操縦性に噂のあった機体と言うことで現在も原因ははっきり解明されていませんが、事故の原因究明と再発防止を徹底するためには事実を証言することによって証言者に不利益が及ばないことを保証しなければならないというのが国際的なコンセンサスです。
厚労省の医療事故調案においても色々と言葉は変遷していますが、結局のところ重大な「過失」に関しては警察へ通報していくという方針は当初から一貫していますし、そのために事故調の報告書を転用することも否定していません。
この点は過失に対して厳しく罪を問うという日本社会全体の問題とも言えるかも知れませんが、アメリカでは既に以前から「誰でも間違える」「過誤を罰しない」ことを前提に如何に過誤を減らしていくのかという実効的対策が取られているという点を強調しておきたいと思います。

さて、記事の続きを見ていきますが、結局のところどういうメンバーが調査委に含まれるのかという点も気になるところです。

 ◇メンバーに法律関係者も

Q:調査委員会のメンバーは、どういう方で構成されるのでしょうか。そして、それはどういうことを想定しているのでしょうか。

A:医療の専門家を中心に、法律関係者やその他の有識者で構成してはどうか、と提案しています。

 医療の専門家については、病理医等の解剖担当医、臨床医や看護師等が想定されます。これら医療の専門家が議論の中核を担うと思います。現在モデル事業では、全国8地域で約2500名の協力医リストがあり、医療事故の内容によって、例えば産科の事故なら産科医を中心に、心臓外科の事故なら心臓外科医を中心に集まっていただき、ディスカッションしています。

Q:調査委メンバーの「法曹界」や「医療を受ける立場を代表する者」とはどういう方をイメージしているのでしょうか。

A:「法曹界」としては、弁護士が中心になると思いますが、法学部の教官なども想定されます。また、医療を受ける立場を代表する者とは、広く医療のユーザーサイドの方が入ると考えていただければ良いと思います。調査委員会のメンバーは、医療者だけとすべきとのご意見もあります。ただ、委員会での審議は、その性格上非公開で行われることになりますので、委員会の透明性や中立性を確保し、社会の信頼を得ていくためには、医療者以外のメンバーが加わることが必要と考えられます。

 また、委員会は、医療という国民誰にとっても身近な事象を扱うため、その報告書は専門用語がちりばめられ、医療者しか理解できないというものでは、社会に受け入れられません。医療者以外でも理解できる内容にしていく必要があります。それともう一つ、モデル事業での審議を傍聴していて感じることですが、委員である医師等は本当に真剣に議論をしています。ただ、非公開なためにそれが十分に外に伝わりません。医療には一定の限界があり、不確実な点がたくさんある、避けられない事故もあるのだと言うことを、医療者以外の人たちにも理解していただく必要があります。医療者だけで議論をしていては、いつまでたっても、医療者以外の方々の理解が得られません。医療についてのサポーターを増やす、といったくらいの視点が必要なのではないでしょうか。

複数の医療側専門家の参加については必須条件として誰しも異論のないところだと思いますが、法曹関係者については結局のところどのような立場の者を加えるべきか議論の余地のあるところだと思います。
厚労省は医学的見解と司法的見解の仲立ちをする翻訳者のような存在をイメージしているのかなとも感じられるのですが、この辺りは記事中に「判断する責任を医療界自ら引き受けていただく」と言う文言が見えるように、問題があれば裁判にもっていくという前提での委員構成であることに留意する必要があるでしょう。
またかねてから異論数多の「その他の有識者」ということですが、結局のところ当事者である被害者やその家族と言うより一般論としての患者側の立場を代表してという程度の意味で語られているようです。
しかしそうなると出てくるであろうと予想される名前が幾つかあるわけですが、果たしてそれが適任かと言うとなお議論の余地多々ありというところでしょう。

大野事件でも問題となった医師法21条(異状死体の届出義務)については「医療死亡事故が発生した場合には、医師法21条に基づく警察への届出ではなく、医療安全調査委員会へ届け出るという仕組みを創設するとともに、医師法21条を改正し、医療事故の届出をすれば、警察への届出は不要とすることを提案」すると言っています。
文字通りに読めばいわゆる原義的な異状死体(たまたま見つかった死因不明の死体など)に関しては従来通りの取り扱いとも読めるのですが、この辺りはあまり詳しく語られていません。
いずれにしても厚労省としては少なくとも院内での異状死に関しては警察ではなく事故調へというビジョンを描いていることは理解できますが、相変わらず何をもって届出対象とするかという点に関しても明確な定義付けは行われていません
たまたまこの時の記者が問わなかったのか、あるいは意図して語らなかったのかですが、今までの話の流れから想像するに厚労省側の意向としては経過や死因に何らかの疑問がある場合は全例届出がベストというものだと見ていいでしょう。
問題はその場合何が起こるのかと言うことなのですが、これについては次回以降に回したいと思います。

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2008年9月 4日 (木)

大野事件後に医療事故調問題を考える その一

本日9月4日0時をもって控訴の期限を迎え、大野病院事件の無罪判決が確定しました。
やれやれと言ったところなのですが、これで全て解決万々歳とは到底言えなさそうな気配なんですよね。
まずは共同通信の記事を紹介します。

産科医の無罪確定  帝王切開死の大野病院事件

 福島県大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開で出産した女性=当時(29)=が死亡した事故で、業務上過失致死などの罪に問われた産婦人科医加藤克彦医師(40)に無罪を言い渡した福島地裁判決が3日、控訴期限を迎え、4日午前0時で無罪が確定。

 福島地検は地裁の判断を覆すのは困難として控訴断念を決めていた。

 県病院局は4日、休職中の加藤医師に復職の辞令を出す。勤務先などは本人の意向を含めて決めるとしており、減給とした処分について見直しも検討する。遺族から賠償の要望があれば交渉に応じるとしている。

長くもない記事の中にも突っ込み所といいますか、まず気になるのが処分見直しを検討というくだりです。
当然県当局も言っていたように例の「疑惑の報告書」も見直さざるを得ないわけですが、そうすると加藤医師の罪を認めるものは何も無くなってしまうわけです。
このあたり、ちょうど「産科医療のこれから」でMTproの記事から引用されていますので参照いただければと思うのですが、いずれにしてもこういう状況下で遺族に賠償を行うということになるのであればどういう名目で公金を支出していくのか?
医療訴訟保険であれば過失がないのに保険金を出すということもなかなか認められそうにないところだけに、これから先の議会の判断なども注目していかなければなりません。

判決後のマスコミ関係の報道はおおむね毎日など一部を除いては抑制された口調で、以前のように医療バッシング一辺倒というものでもないようです。
勝谷誠彦氏などはいつもの調子で余計なことまで口走っている気がしますが、むしろこうした医療側に共感的な論調すら見受けられるという点ではマスコミも変わってきたのか?という印象を受けた方も多いのではないでしょうか?
個別の記事を見ていけば色々とスタンスの違いが見え隠れして面白いのですが、大本営発表よろしくべったり同一色に塗り込まれるよりは報道機関としては健全という言い方もできるでしょう。

公的な立場からのコメントについては、警察庁長官がコメントを発表したことは記憶に新しいところですが、他にも幾つか見られるようです。
保岡法相は「これから医療事故捜査は謙抑的になる」と言ったようですが、自身が総理辞任騒ぎに巻き込まれてしまっているような現状でこの発言がどれほど担保されるか微妙なところでしょう(苦笑)。

「医療事故の捜査謙抑的な対応を」…保岡法相

 保岡法相は29日、大野病院事件で検察当局が控訴を断念したことを受けて記者会見し、「医療事故の真相究明については、第三者機関が専門的な判断を下すようにし、刑事訴追は謙抑的に対応するべきだ。私のこの考えなどもあり、検察や警察では謙抑的な対応が事実上始まると思う」と述べた。

ま、そういう社会情勢下ですので現時点で注目すべきは政治家よりも厚労省の見解なのですが、このタイミングでこういうちょっと気になる話が出てきているようです。
少し判りにくい話なので記事を長々と引用します。

医療事故の報告範囲を再通知―厚労省

 医療事故に関する情報を医療機関から収集し、事故原因を分析している財団法人・日本医療機能評価機構の「医療事故情報収集等事業」に関し、厚生労働省はこのほど、同機構への報告が義務付けられている医療機関に対し、「報告すべき事案の範囲」について周知徹底を図るよう求める通知を出した。厚労省の担当者は「大野病院事件や医師法21条の議論とは全く関係がない。有用な情報を積極的に出していただき、事業の一層の充実を図りたいという趣旨」と話している。

 通知では、「医療事故情報収集等事業」に関し、厚労省が2004年9月21日付で出した通知(医政発第0921001号)を「御確認いただき、事故等事案を報告されるよう宜しくお願いします」としており、報告が必要な事案の範囲について変更がないことを確認している。

 「医療事故情報収集等事業」は、医療事故の原因究明や再発防止に当たる第三者機関(医療安全調査委員会、仮称)の創設に向けたモデル事業として、日本医療機能評価機構が04年から実施している。医療法施行規則により、報告義務のある医療機関は、特定機能病院など273施設(07年12月31日現在)で、事故などの報告があった施設数は、05年176施設、06年195施設、07年193施設となっている。

 同事業では、診療行為に関連した死亡のうち、報告すべき医療事故の範囲について定められている。それによると、報告が必要となる場合の一つとして、「誤った医療または管理を行ったことが明らかではないが、行った医療または管理に起因して患者が死亡し、もしくは患者に心身の障害が残った事例または予期しなかった、または予期していたものを上回る処置その他の治療を要した事案」が挙げられている。
 つまり、医療行為に過失があったかどうかが不明でも、「予期しなかった」場合は報告が必要な事案であるとしている。医療安全調査委員会の創設に向けた厚労省の検討会でも、同様の基準に基づいて議論が進められていた。ただ、「予期」の意味が、「死亡という結果の予見可能性」か、それとも「因果関係の相当性を判断する際の予見可能性」かは明確になっていない

■大野病院事件の判決とは関係がない?
 産科医が無罪となった大野病院事件の判決では、医師が癒着胎盤と認識した時点で、「胎盤剥離を継続すれば、現実化する可能性の大小は別としても、剥離面から大量出血し、ひいては、本件患者の生命に危機が及ぶおそれがあったことを予見する可能性はあったと解するのが相当である」としている。
 このため、死亡に対する予見可能性を認めた大野病院事件を「医療事故情報収集等事業」の要件に形式的に当てはめると、「報告すべき事案には該当しない」という解釈もあり得ることが指摘されている。

 また、医師法21条の「異状」の解釈について、大野病院事件の判決は「診療中の患者が、診療を受けている当該疾病によって死亡したような場合は、そもそも同条にいう異状の要件を欠く」としている。その一方で、「死亡という結果は、癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為をもってしても避けられなかった結果といわざるを得ないから、本件が、医師法21条にいう異状がある場合に該当するということはできない」とし、過失の有無と「異状」の判断とを完全に切り離してはいない。

 このように、医療事故情報の収集事業における報告すべき範囲と、大野病院事件の判決が示した届け出の範囲は異なっているようにも考えられるため、医療事故の届け出範囲をめぐって混乱が生じる恐れがあることが懸念されている。

 しかし、今回あらためて04年9月の通知を示した狙いについて厚労省の担当者は、「大野病院事件や医師法21条の議論とは全く関係がない」と強調している。今年8月に「医療事故情報収集等事業」に関する07年年報が公表されたことを受け、「今後も有用な情報を積極的に出していただき、事業の一層の充実を図りたいという趣旨。対象病院には、幅広く情報を出してもらいたい」と話している。

 詳しくは、厚労省のホームページで。

 相変わらず役人言葉は何を言っているのか意味不明で結局何なの?という話になるのですが、平たく言えば疑わしきは全部レポートを出せという姿勢でやれと言うことですね。
表向き大野事件判決は関係ないということを言っていますが、判決を知っている医師ほど届出不要と考えるマージンを広く取りがちになるという予測をしての通知なのは見え見えです。
ま、今のところ一部医療機関だけが関わっている事業なだけに、この段階では何でもかんでも届け出てもらうという姿勢で全例届出という一つの極限状態を見ておきたいという気持ちは判らないでもありません。

元々この医療事故情報収集等事業というものは「医療事故の発生予防・再発防止のため、「第三者機関」において、医療機関等から幅広く事故に関する情報を収集し、これらを総合的に分析した上で、その結果を医療機関等に広く情報提供していく」ものとされています。
で、この事業の実施主体となっているのが例の「病院機能評価事業」を手がけている日本医療機能評価機構…とくれば、この時点でいかにも眉に唾をつけたくなる話という気もしてくるのですが、どうなんでしょうか。

それはともかく、後日紹介する別な記事の記述などもあわせて考えていくと、厚労省としては事故調はあくまで医療事故の予防・再発防止目的のシステムであるという点を強調していきたいようです。
そしてこれは事故調のパイロットスタディであって、教訓として活用する目的であるから届出を躊躇せずなるべく広く事例を集めましょうねという公式見解の一方で、実際に全医療機関で事故調なるものを立ち上げた場合にどの程度の業務量が必要になってくるのかという予測にも役立つという気でしょう。
ま、その結果「こんなにとんでもない業務量が必要なのです!だからもっと人手と予算を増やさねば!」なんて結論になってくれれば万々歳という…ああいやいや、そんなことはどうでもいいんですがね。

そこでようやくスレタイの事故調の話になってくるわけですが、長くなったので今日はここまで。

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2008年9月 3日 (水)

今日のぐり「餃子の王将 国道太子店」

ETCバーが上がらないという不具合の現場に遭遇しました。
幸い自分が運転していたわけでもないのでガッチンコしちゃっても懐は痛まないのですが(おい)、やっぱ20km制限って必要なのねとちょっと納得。
wikipediaの記載などを見ながら原因をつらつら考えてみますに、

環状のルートを経由しUターンしたような状態で、最初に入ったICから出るか、進行方向が限定されるICにおいて車両の走行ルートとの整合がとれない場合も開閉バーは開かないことがある。

何でもカードの記録上は行きで入ったICから帰りにそのまま出たような形になっていたとのことなので、どうやらこの部分で引っかかったのではないかと(しかし行き先のICでの出入りにはトラブルなかったんですが…)。
しかしこれ、機械なり道路公団の不具合だったら車の傷は弁償してもらえるのかと思っていたんですが、どうやらかなり一方的な契約になっているみたいなんですね。

利用規程には、開かない場合に衝突しないように通行するよう定められており、開閉バーが開かずに衝突事故などが発生した場合、開かない原因が運転者 に無い場合においても事故の責任は一般に運転者が負う(高速道路会社側は責任を負わない)。例えば開閉バーを折損した場合、標準的な物で1本あたり 65,000円を請求されることがある 。(略)

また、安全速度(20km/h)を越えて通過しようとしてバーが開かないために急ブレーキをした場合、違反行為となる。これによって後続車が追突した場合、交通事故の責任(刑事、民事、行政)を問われる(追突した側も同様)。

いやあマジでこれは知りませんでしたが、間違ってもあそこで事故なんて起こすなって話でしょうかねえ…
それはともかく、本日のぐりを。

今日のぐり「餃子の王将 国道太子店」

チェーン店、とくにこういう規模の大きいチェーン店となると、いつどこで食べても同じ味を保証することが第一かなと考えています。
その点で今まではあまり取り上げることがなかったのですが、久しぶりに王将で食べてみて少しばかり意外な変化に感じたのでレポしてみます。

ここはわりあい新しい店なのでしょうか?王将と言うと昔の関西界隈では小汚い店ばかりという印象だったのですが(失礼)、こちらはすっきりと今風の明るいデザインで客層も家族連れが多いようです。
メニューはレギュラーの他に色々とセットがてんこ盛りなのは昔からですが、少しばかり焦って吟味する間もなく目についた豚骨味噌ラーメンセットを注文してしまいました。

レギュラーサイズのラーメンに小チャーハン、蒸籠には焼売と何故か鶏唐が入っているという、それなりにボリュームもカロリーもあるセットです。
このラーメンが白豚骨でも豚骨醤油でもなく豚骨味噌なのですが、一昔前の王将の寂しい醤油ラーメンを知っている目でみると見た目はかなり今風のまともっぽいラーメンです。
スープを口に運んでみると、今どき珍しいくらい薄っぺらい豚骨スープを味噌だれの味で何とかまとめたかと思うような味(無茶失礼)。
ただ、これがラーメン屋であったら売れそうにない味なんですが、この店でのラーメンの位置づけや客層を見ると、専門店風の濃いラーメンよりむしろこういう味の方が正解なのかも知れません。

そういう視点で見るなら他の料理を突きながらちびちびラーメンをすするというスタイルが多くなるわけですから、麺にも少なからず気を配っていただきたいものです。
麺自体は太めでそこそこ加水率も高そうで伸びにくくはあるようなのですが、デフォルトの状態が既に茹ですぎなのが残念でしたね。
チャーシューは分厚く食べ応えだけというものですが、トッピングのネギ多めなのは個人的にマルです(ただしこのスープに合わせるにはちょいとネギが強すぎですが)。

チャーハンは王将のチャーハンですから、例によって香ばしくもなければパラリとほぐれもしないというもの(今も出来合いを炒めて出すだけのスタイルが続いているんでしょうか?)。
王将に限って言えばお玉で丸く盛りつけるより素直に皿に載せただけの方がまだしも良いんじゃないか?とはいつも思いますね。
まあそれでも昔はひどいギトギトの油炒め飯を出す王将も多かったですから、ここは比較的マシな方ではないでしょうか。

この手の店で焼売がうまいという店も滅多にないですから仕方ないのかも知れませんが、ずっと保温器にでも入れていたのかと思うほど幾ら何でも火が通りすぎです。
鶏唐はこのスパイスなら薄い皮身の部分だけをもう少しカリカリに揚げた方がいいかなと思うのですが、そうすると年配や子供さんも多いここの客層にはきつくなりそうですね。

こういう大衆店は味だけの評価だと辛くなりがちなのですが、全体を通しての印象はまあ値段相応で悪くはないのかなというところ。
昔のいかにもチープな味と比べるとむしろずっとまともになったと思いますから、その意味ではイイ感じで普通の店になってきたのかなと好印象を受けました。
あと普通になったという点でもう一つ、昔からのいかにも安っぽいプラスチック皿が一掃されてまともな皿に置き換わったところもあげておかなければなりません。
小さな子供連れが多くなる店でこういうところは自分的に高ポイントなのですが、そうすると昔ながらの安っぽいプラ容器に入った餃子のタレが妙に目立ってしまうのが痛し痒しでしょうかねえ?

ところでこの店、接客自体は悪くないのですが何故か店員が皆さん声が小さく、食事時の喧噪の中にあってはほとんどジェスチャーだけで意思疎通しなければいけないというのは何か理由でもあったのでしょうか?
と言いますかね、自分のイメージの中にある「とにかく店員が大声で怒鳴りまくる店」という王将の世界と違うのですが(苦笑)。
しかし久しく来てないわりに値段はそれほど値上がりしてないあたり、昨今の原料高の中で企業努力はそうとうなものなのでしょうね。
それでいて全般的に昔より良い方向に変化してきているとなれば、企業としては正しい方向で活動できていると言えるんじゃないでしょうか。


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2008年9月 2日 (火)

「マスゴミ」と呼ばれ続けているのはそれだけの理由が…?

どうもこのところ医療ネタとマスコミネタに話題が偏っている気がするんですが、それだけネタが幾らでも涌いて出る状態なんですから仕方がないですかねえ…
今日はマスコミの自意識というものが垣間見える興味深い記事を紹介しておきます。

「マスゴミ」と呼ばれ続けて

 ここ数年,筆者は友人たちの間で「マスゴミ」と呼ばれ続けている。
 具体的にはこうだ。

筆者「最近,△×が流行ってるよね」
友人A「どうせお前らマスゴミの情報操作だろ」
筆者「…」

友人B「何か凶悪事件が起きるとすぐにネットやゲームのせいにする。これだからお前らマスゴミは」
筆者「…」

 筆者と友人は敵対関係にはない。筆者が特別横柄な態度を取っているわけでもない。彼らはITの最前線で活躍しているということもあり,仕事絡みの情報収集も含めて,よく話すし,よく飲む。普段は普通の友人たちだ。ただ,彼らが抱くマスコミに対する不満につながりそうな話に差しかかると,いつもこうなる。

タイトルから冒頭の一文を見れば近ごろ流行りの自虐ギャグかとも思いますが、読んでみれば別な意味で笑えるというなかなかの力作です。
全体で3ページにわたる記事ですので順番を追って見ていきますが、まず話題になっているのが彼らマスコミの持つダブルスタンダードに対する批判です。

 上記の指摘を受けたのは,毎日デイリーニューズの問題が話題になっている最中だった。当時,毎日新聞に対する批判が掲示板やブログ,ネットメディアに偏っていたことが「マスコミは同じマスコミに甘い」という主張の根拠になっていたと思われる。「マスコミは謝らない」という指摘も,この問題についての毎日新聞の高圧的とも取れる謝罪手法が背景にあるのだろう。

 ただ,筆者の感覚では,マスコミが同じマスコミに対する報道で筆力を緩めることはないし,謝罪についても,事実と異なる記述をした際などは即座に訂正をして謝罪する。従って,筆者はこれらを省いて導き出される友人たちのマスコミ批判は,「ダブルスタンダードがある」「ネットの情報の方が信頼できる」---という2点に集約できると考える。

待て待て待てい!結局のところ毎日捏造問題に関するダブルスタンダード批判に対しては何一つまともな釈明もないじゃないか(苦笑)。
他人に対しては頭を下げようが土下座しようが「心からの謝罪になっていない」と追い回す人々が、同じ業界の犯罪行為に対しては通り一遍の釈明を額面通りで受け取って是としていることを世間では「ダブルスタンダード」と呼んでいるのですがねえ。

朝日は珊瑚落書き事件についてまともな謝罪をしたつもりですか?
TBSはオウム問題に関してまともな謝罪をしたつもりですか?
毎日はアンマン空港クラスター爆破事件についてまともな謝罪をしたつもりですか?

別に彼らの内部基準ではあれで誠実に対応したつもりだと言うならそれでもいいんですが、この場合問われるべきは謝罪を受け取る側がどう感じるかなんじゃないですか?
彼らが日頃ワイドショーでやっている聞くに堪えない他者への糾弾と同様の基準でこれら同業者の不誠実さもバッシングするか、あるいは同業者に対するぬるい追求と同じ水準を他業界にも適応するか、いずれも行なっていないからダブルスタンダードと言われているんですよ?

 しかし,本当にそうなのだろうか。友人たちにマスコミは本当に不要なのかと聞いてみると,次のような言葉が返ってきた。

友人A「お前らマスゴミは事実だけ報道していればいいんだよ」
筆者「…」

 正直,当初はこのぶっきらぼうな物言いにカチンときた。また,「事実だけ」という表現から「それ以外のことはすべて不要」という含みを感じ,不快感を覚えた。

 ただ,この発言をきちんと咀嚼(そしゃく)すれば,間違ったことは言っていない。

 マスコミの強みは,記者という肩書き1つでさまざまな話題の当事者,つまり一次情報に接しやすいところにある。一次情報からしか知り得ない事実を拾い上げることは,マスコミにしかできない最も重要な役割の1つだ。
(中略)
 そう考えると,「ダブルスタンダード」に対する友人たちの厳しい批判は,マスコミに対する期待を裏返しにしたものと見なすこともできる。「ダブルスタンダード」の存在は,「fact(事実)」とその積み重ねというマスコミの本質を誤らせるものだからである。

いきなり自画自賛かいっ!という突っ込みは置くとしても、この後に続く取材活動とダブルスタンダード問題に対する彼らの認識が興味深いのですね。

 マスコミがダブルスタンダードに陥る誘惑には,例えば,以下のようなものがある。

 筆者は以前,ある取材先から出入り禁止を申し渡されたことがある。書いた記事が気に入らないというのだ。記事はこの取材先を批判するものだったが,内容に間違いはなかった。また,ある知り合いの記者は,取材先からその記者が所属する媒体への広告出稿を止められたことがある。同じく,取材先が記事の内容を気に入らなかったからだ。こちらも記事の内容に間違いはなかったという。

 「取材源を確保しておきたい」「広告出稿を維持させたい」---。事実を報道するという本質を貫くならば,こうした誘惑に負けてはならない。しかし,友人たちの指摘通り,マスコミがダブルスタンダードに陥る誘惑は,末端の記者の間にいくらでも散らばっている。
(中略)
 ダブルスタンダードの誘惑に負けない公平な報道をするには,記者たちの日ごろの取材姿勢によるところが大きい。難しいだろうが,堅い意志を持って継続的に一次情報に触れつつ,公平な視点で事実を報道し続けることを心がけるしかない。

ええと、彼らの認識ではマスコミのダブルスタンダード問題は現場の記者達の意識に責任を帰すべき問題であるということのようです…
なにかもう、あまりに認識が違いすぎてどう突っ込むべきやら迷うのですが、ここで注目しておくべきはこの一文でしょうか。

記事の内容に間違いはなかった

俺たちは事実を書いているんだから問題ないとは、彼らが全く問題意識を持っていないことがよく判る一文だと思いますね。

たとえば彼らがよく使う「一方の主張だけを取り上げる」形で自ら何かを主張するというやり方、更には一歩進んで自らの主張を補完するための捏造までするというやり方。
まさに件の毎日新聞が奈良において行ったことがこれに相当するわけですが、驚くことに彼らの感覚ではこれは受賞に値するほど称讚されるべき行為らしいのですね。

あるいは「数ある情報の中から特定のものだけを取り上げて流す(=別な何かを意図的に隠す)」ことで自らの主義主張に不都合な何かを秘匿するやり方。
報道における実名主義を標榜しているはずの朝日新聞某在日民族系の犯罪についてだけは頑なに偽名主義を押し通しているという一例を挙げるだけで十分でしょう。

これらも現場の記者の心がけの問題なのですか?

彼らにとっては「記事の内容に間違いはなかった」で全て終わりなのでしょうが、問題は今や世間がそれを認めなくなっていることではないのですか?
毎日新聞の行為が批判されるべきなのは社やマスコミの内規に違反したからですか?そうじゃないでしょう?何か根本的な部分で問題点の所在を勘違いしているんじゃないですか?

あるいはこうも言えるかも知れません。
彼らが必死になって代弁しているつもりの一般大衆の声なるもの、その場所に本当に実体としての一般大衆が存在しているのかということです。
彼らの脳内でのみ存在する声なき声の代弁者を自認して「読者(視聴者)が求めているんだ!知る権利だ!」と好き放題やったところで誰がまともに相手にしますか?

後半は「ネット上にこそ真に迫る事実がある」という批判に対してマスコミの役割を強調するという、今どき一体どこの国策メディアのプロパガンダよ?と思うような内容。
特に見るべきところもないまま、記事はマスゴミ批判とはマスコミに対する期待感の裏返しなのだと自画自賛して終わります。
まあ、その…金持ち喧嘩せずと言いますが、日本全体が冬の気配濃厚な今の時代にこうまで脳天気でいられる職業というのはある意味でうらやましいのは確かなのでしょう。
最後に当の記事から以下の一文を引用して彼らに対する言葉としておきます。

筆者は取材先との信頼関係の構築こそ重要と考える。取材先の主張したい自分たちの強みや抱えている課題などに耳を傾け,こちらからも取材先に情報を提供し,誠実に取材先の今ある姿を理解しようと努める。そうすれば,記者と取材先の間には一定の信頼関係が生まれる。その上での批判は,大抵の場合「書かれちゃったけど,事実だからしょうがないな」と取られることがほとんどだ。これが成り立たない場合,取材先の対応に問題がある場合もあるが,記者の取材姿勢に問題があることの方が多いのだろう。

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2008年9月 1日 (月)

毎日新聞がまたまた謝罪

毎日問題はつい先日「まだだ!まだ終わらんよ!」とばかりに取り上げた気がするのですが、またネタを提供していただきました。
本日9月1日、何故か?唐突に?今頃になって?毎日新聞が改めて捏造記事問題の謝罪文を発表したということです。
う~む、よほど多くの「ご批判、お叱り」が殺到してるんでしょうかねえ(苦笑)。

 「毎日デイリーニューズ」刷新 改めておわびと決意

 毎日新聞社は9月1日、英文サイト「毎日デイリーニューズ」(http://mdn.mainichi.jp/)を刷新し、再出発しました。

 皆様からいただいた多くのご指摘、ご意見を踏まえ、ニュース、解説、評論に重点を置いてサイトの内容を整理し、毎日新聞の紙面に掲載された社説やコラム、識者による評論「時代の風」などを翻訳します。題字などデザインも一新しました。

事実の裏付けのない不適切なコラムを国内外に発信してしまった反省から、編集体制を立て直し、記事や企画の選択などのチェック機能を強化します。元カナダ大使の沼田貞昭氏、東京経済大学客員教授のアンドリュー・ホルバート氏、フリーライターのスーザン・ミリントン氏によるアドバイザリーグループも発足させ、定期的に意見をうかがい、サイト上で紹介するとともに運営に生かします。

 日本のニュースを世界に発信する国際メディアとしての役割を果たすべく、全力を尽くします。
◇信頼回復を目指して

 毎日新聞社は1日、毎日デイリーニューズの編集体制を改め、再出発しました。出直しにあたり、1989年10月から英字紙に、01年4月からウェブサイト上に掲載していたコラム「WaiWai」について改めておわびします。

今年6月21日(日本時間)、このコラムのコーナーを閉鎖し、過去のものにもアクセスできない措置を取りました。コラムを転載しているウェブサイトやブログなどへの削除要請も続けています。その理由は掲載したコラムの多くが著しく節度を欠き、国内外に発信するにはふさわしくない内容と判断したからです。

 「WaiWai」は、国内で出版されていた雑誌などを了解を得ずに利用していました。明らかに事実とは思えない情報を英訳、転載し、一部については不適切な加筆もしていました。日本および日本人や特定の国、職業などについて誤解を生じさせる情報を長期間にわたって流し続けました。

 報道機関としてあってはならない読者の信頼を裏切る行為であり、多くの方々にご迷惑をおかけしたことをあらためて、心よりおわびします。誠に申し訳ありませんでした。

 7月20日朝刊と毎日新聞のホームページ、毎日デイリーニューズにおわび、検証記事を掲載しましたが、その後も多くの方からご批判、お叱りをいただいています。みなさまからの声を重く受け止め、今後、こうした事態を二度と引き起こすことのないよう、全力を尽くします。

毎日新聞社

何かしら肝心の「どこがどう問題なのか」をこうも徹底して隠蔽されると思わず「何の話をしてるのですか?」と突っ込みを入れたくなりますが、こうやって謝罪を小出しにしていくことこそ最悪の謝罪の仕方なのだと誰かに教わらなかったのでしょうか?
すでにあちこちのサイトで検証が進みきってしまっている現在に至ってようやくこういうことを言ってきたところで、「また適当に言いつくろって裏で舌出してるな」と受け取られてしまうだけでしょうに。

伝え聞くところでは毎日新聞社内では今回の一件に関して「不当なバッシング」という声も大きいようですが、気がついているのでしょうか?
今まで毎日新聞をはじめとしたマスメディアが行ってきた「重箱の隅も穴が空くまで徹底的に突く」という方法論がそのまま自分に返ってきているだけの話なんですよ。
今どき他人に向かっては「風の息づかいを感じていれば、事前に気配があったはずだ」なんて非科学的妄言まで使っても批判し放題で、自分だけ安全な場所にいられると思っているのなら脇が甘すぎると言うものでしょう。
毎日新聞には「うまくいって当たり前でひとつ間違えば叩かれる。これを理不尽に思ってはいけないと思うのです。それはどんな職業でも当然のことなのです」という言葉をよく噛みしめてもらいたいですね。

さて、話は変わりますがこういうものがあるようです。

検定!毎日新聞

変態記事問題で揺れる毎日新聞について、あなたはどれだけ知っているか?
合格率:    44.2%
受験者数:    1917名
合格者数:    847名
問題数:    10問
判定基準:    7問以上の正解

ためしにやってみましたが、結果は正答率40%であっさり不合格…
修行が足りなかったと言うべきなのかどうか微妙ですが、毎日の場合ですとまだまだ幾らでも書き足したい項目は思い浮かびますよねえ。
ネタ新聞といえば昔から某社が有名でしたが、近ごろでは毎日のほうが一枚上手と言えるかも知れません。

んん…?もしやこうして集蛾灯に群がる羽虫の如く毎日新聞に釣られているのでは…

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