« 救急医療、崩壊!? その五 | トップページ | 大野病院事件は無罪判決(本日随時更新中) »

2008年8月19日 (火)

「ポスト大野時代」を見据えて その一

以前に「【医療崩壊番外編】 8月20日は何の日?」で書きました通り、明日8/20は福島県立大野病院産科事件の判決が出る日です。
加藤先生はじめ当事者とは全く縁のないこちらとしても何となく落ち着かない感じがしているくらいですから、ご本人や御家族、患者遺族などなど大勢の関係者の心中はいかばかりでしょうか。

さて、あちこちの医療系サイトでも注目度の高い当事件の行方ですが、判決は医療崩壊への最後の一撃になるだろうという声の一方でこんな意見も根強いようです。

「判決がどうなろうが医療崩壊という現象にはあまり関係ないんじゃない?」

つまり、既に逃散だの防衛医療だのと言った行動を取る人たちはとっくにそうしているのであって、現状で残っているのは今後も動く意志のない人たちなのだという考え方なのですね。
そもそも医療崩壊という言葉があまりにキャッチーであったためか言葉だけが一人歩きしている印象もなきにしもあらずな状況なのですが、どうもこの言葉に対して持っているイメージというものは用いる各人で随分と違っているようなのですね。
一つの参考として、ここでは某所で作成されて以来あちこちに流用され有名になってしまったコピペを紹介しておきます。

日本の医療制度は崩壊

  しないよ派─┬─医者が騒いでるだけだよ派
          ├─代わりはいくらでもいるよ派
          ├─足りなくなったら海外から呼べば大丈夫だよ派
          ├─俺が崩壊させないよ派(純情派、絶滅?)
          ├─俺は逃散したけど馬鹿が死ぬまで頑張るよ派(他力派)
          └─三千万出せばいくらでも㌧んでくるよ派(尾鷲派)

  するよ派─┬─このままでは崩壊するよ派(警鐘派、2003年頃までの主流)
         │    ├─事故調と刑事免責が必要だよ派
         │    ├─予算の拡充が必要だよ派
         │    ├─医者の給料を減らせば解決だよ派
         │    ├─医学部の定員を増やせば大丈夫だよ派
         │    └─医者を強制的に働かせるべきだよ派
         │
         ├─もう手遅れだよ派(諦念派、現在の主流)
         │    ├─崩壊の後に再生があるんだよ派─┬─アメリカ式になるよ派
         │    └─再生なんてないよ派(太公望派)   └─イギリス式になるよ派
         │         └崩壊を生暖かい目で見守るよ派
         │
         └─むしろ早く崩壊したほうがいいよ派(推進派)
              ├─早く崩壊した方が再生は容易だよ派
              ├─自由化して市場に任せるべきだよ派(市場原理主義者)
              ├─医者がいなくなれば医療事故も0になるんだよ派(委員会派)
              ├─金持ち相手に荒稼ぎしてやんよ派(BJ派)
              └─事業拡大のチャンスだよ派(宮内派)

この表で一つ注目しておくべき点は「むしろ早く崩壊したほうがいいよ派(推進派)」と言われるような、医療崩壊を歓迎する立場もないわけではないことです。
保険業界の思惑がどうとか病院株式化による市場参入がこうとか噂は多々ありますが、政府としてもこれ以上の医療費に対する公費負担は認めないという立場を堅持しているわけですから必ずしも医療崩壊を否定するものではないかも知れません。
一方で医療現場の中でも「中途半端につぎはぎで延命するよりこの際抜本的な医療改革を進める機会と考えるべき」と捉える人々もいれば、「国民の医療に対する期待値が天井知らずに高まる一方であることが現場の疲弊の根本原因であって、一度崩壊によってリセットすることも必要」という考えを持つ人々もいるようです。
この場合も一つ留意しておかなければならない点は、医師をはじめとする現場の人間にとって医療崩壊=明日から職を失い困るという認識では必ずしもないということでしょうか。

さて、かの有名な「医療崩壊ー立ち去り型サボタージュとは何か」を著した小松秀樹氏は著作の中で「立ち去り型サポタージュ」という言葉を用いて、医療崩壊という現象を「医師がリスクや負担の大きい現場、特に過酷な勤務医生活から去っていくこと」と定義しています。
そもそも年代を経る毎に次第に労働環境向上への要求が強くなっていくことは医療業界に限らないことであって、過酷な現場から立ち去ることがその実現に最も迅速確実な手段であるとすれば労働者としての権利を行使するのは当然であり、それでは困るというなら逃げられない環境を整えればよいだけのこと。
言ってみれば従業員が辞めて会社が立ちゆかないなら辞めないよう対策を考えるべきは従業員ではないだろうと言う理屈ですが、問題はこの場合立ちゆかないという言葉の意味するものが従業員と経営者、あるいは顧客や株主の間でそれぞれに異なるということなのですね。

一例を挙げるなら全国の公立病院の9割は赤字ですが、自治体からの公費投入によって何とか維持されています。
赤字運営を続けざるを得ないという点ではこれを既に破綻しているという見方も出来るわけですが、医療を消防や警察等と同様の公共サービスと見るならば自治体の負担可能な範囲である限り破綻を来してはいないという見方もあるわけですし、税負担増にあえぐ住民からすれば「幾ら何でももう無理」という声も当然上がってきておかしくはない。
一方でそこに勤める医師とすれば安い給料と過酷になる一方の労働環境からして「この病院終わってるよ」と逃散していく事は当然あるわけですし、病院事務とすれば医局派遣なりで額面上の医師の頭数さえ揃うならば「嫌なら辞めろ。代わりは幾らでもいる」と主張することも可能でしょう。

救急の崩壊と言う言葉からイメージされるものも人それぞれに違っていて、救急指定の返上が相次ぎどこの病院も急患受け入れに難色を示すような現在に近い状況を考える人もいれば、救急車を呼んでも全く受け入れ先が見つからずどうしようという極限的状況を思い浮かべる人もいる。
以前に脳梗塞の3時間ルールについて書きましたが、同じ脳梗塞患者に関わる医師であっても急性期を担当する脳梗塞専門医と慢性期を担当するリハ担当医では救急搬送の現状に対する意識が異なるでしょうし、36時間勤務でひぃひぃ言っている末端勤務医と「どんな急患も絶対に断るな!」と厳命する院長、あるいは普段からきちんとかかりつけ医を持っていた患者と検診未受診のまま飛び込み出産を図った妊婦などとの間でも違った認識があるでしょう。

少なくとも医療現場の状況が数十年前、否、数年前と比べて明らかに変化しているという点だけは事実ですが、同じ一つの事実から既に医療は崩壊していると見なす者もいれば、まだ医療は崩壊していないと考えている者もいるわけです。
こうした違いは個人の基本的なモノの考え方の違いも無論あるにせよ、ネット上でのやり取りから類推するところ各人の依って立つところの違いという面もかなり大きいんじゃないかなと言う印象も受けているのですが、まあこれはあまり根拠のない主観ですかね。
いずれにしても結局のところは医療が崩壊しているかどうか、あるいは崩壊するか否かが問題なのではなくて、各人にとってどのような医療体制が必要とされているのか、最低限どんな医療レベルであれば受容可能であるのかという点こそが最も問われるべきところなのではないでしょうか。

さて、以前から言われていることに医療を評価する場合の三要素として「医療にかかるコスト」「医療の質」そして「医療へのアクセスの容易さ」というものがあるわけです。
この三要素を同時に満足することは不可能とされていて、唯一奇跡的に全てを高いレベルで保ちWHOからも「世界一の医療」との認定を受けていた日本の医療制度も今や崩壊の足音間近という状況です。
そうした現状で巷間に医療問題に関する議論というものもずいぶんと煮詰まってきている部分もあるようですが、見たところ「コスト増やむなし」、「アクセス制限やむなし」という声は聞こえるのですが質の低下を受容するという声はあまりないようです。
つまり現時点での最大公約数的な国民の意見としてもっとも守るべきは質だということなのでしょうし、職人気質の多い医者においても質の低下は受け入れがたいという考えの者が最も多いのではないでしょうか?
コスト増やアクセス制限を受容してでも「手の届く範囲で最良の医療を」、これには応召義務の撤廃や混合診療の導入、当直とは名ばかりの夜勤体制の改善など課題も多いのですが、一見して実現可能性もそこそこ高そうに見えますしね。

しかしひと言で質の維持と言っても、そもそも医療における質とは何かと言う点でどうも世間的には誤解をされているのではないかと言う気もしています。
例えば救急車を呼んだが良いが、どこにも受け入れ先がなく結局救急車内で患者が亡くなってしまったと言う場合、これは医療の質が保たれていないのではないかと受け取られるかも知れません。
しかし実際にはその地域の救急病院は既に来院していた患者に今までと同レベルの医療を施していたのであって、医療の質を保つために限界を超えたアクセスを制限していたのだとしたらどうでしょう?
あるいは従来は保険証一枚あれば数万円程度の窓口支払いで受けられた手術がブラックジャックもびっくりの数千万円も請求されるようになった、とても払えないと手術を拒否して患者が亡くなった場合には?

あるいはよくある治療成績問題も同じ文脈で考えることが出来るかも知れません。
近ごろでは良い病院悪い病院とランキング本なども出ているようですが、そもそも癌手術一つとっても簡単に病巣全部を切り取れるような患者だけを相手にしている病院の成績がよいのは当然です。
ですがそれが本当に患者にとってベストな医療かどうかは別問題であって、どんな難しい患者でも受け入れる、最終的には癌死するという負け戦ばかりを引き受けている病院でも患者のためを考えた良い治療をしているところは幾らでもあるわけです。
しかし悲しむべき現実と言うべきでしょうか、手の届く範囲の治療しか行っていない病院よりも難治の患者をも引き受ける病院の方が真っ先に医療訴訟の標的となっているというのが現在の医療の救われない点でもあるわけです。
質の維持を目指すのであれば、こうした難治症例に対しては真っ先にアクセスの制限や訴訟リスク込みでのコスト転嫁を行わざるを得ないということになりかねません。

質を守るためにコスト増やアクセス制限を受け入れるということは実のところこういうことであって、医者の側はそういう認識で話をしているのでしょうが、どうも医療を受ける国民の側にはそこまでの認識が出来ているのかどうかと少しばかり危惧しているのです。
いずれにせよ医療の何かが変わることが避けられないのであれば、医療の受益者である国民こそが何よりもよくその実体を勉強し、真っ先に我が事として意思表示を行っていかなければならないはずですし、後になって知らなかった、誰も教えてくれなかったなどと言っても手遅れであることをよく認識しておかなければなりません。
医療崩壊は避けられないと感じている医者達ですら今もネット上で繰り返し警鐘を鳴らし続けているのは、何度説明をしようが後になって「そんなの聞いてなかったよ」と言われるという苦い経験を繰り返してきたからなのですから。

いつものように何やらよく判らない話になりましたが、今日はこのあたりにして、明日は判決が判り次第「その二」に続く予定です。

|

« 救急医療、崩壊!? その五 | トップページ | 大野病院事件は無罪判決(本日随時更新中) »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/519753/42214051

この記事へのトラックバック一覧です: 「ポスト大野時代」を見据えて その一:

« 救急医療、崩壊!? その五 | トップページ | 大野病院事件は無罪判決(本日随時更新中) »