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2008年8月25日 (月)

「ポスト大野時代」を見据えて その四

前回に続いて大野事件を受け、患者、あるいは患者となる国民はどう行動していくべきなのかを考えていきたいと思います。

医療訴訟の当事者となった患者、遺族を見るとほとんどが例外なく「真実が知りたい」ということを口にされています。
しかし今回の大野事件判決後の遺族コメントでも明らかになったように、法廷で事実が明らかになったとしても彼らの求める真実が手に入る保証は何もないのだということをまず認識しておかなければなりません。
近ごろ何かと話題になっている中立的な第三者調査機関、いわゆる事故調の設立がこの解決に役立つか?と言う点ですが、今現在の政府案を見ていく限りでは極めて懐疑的と言わざるを得ません。

現在の政府案では調査の結果はそのまま法廷での証拠として転用されることが否定されていません。
すなわち医師の側から見れば調査会での証言も自己に不利益な証拠として扱われる可能性がある以上、取調室で語るものよりも詳細な内容を事故調の場で語るとも考えにくいわけで、こと当事者の証言という点から見れば法廷における以上に真実が明らかになる要素はないと思われます。
裁判の場と比べて有利と言える点は専門家である医師複数によって治療経過を詳細に検討すると言う点ですが、この点も裁判の場であれば原告(検察)側、被告側双方が複数の鑑定人を立ててくることが普通です(中には大野事件のように、検察側鑑定人は一人だけという場合もありますが)。
こうした裁判の結果に対して必ずしも全ての患者・遺族が満足しているわけではない点からも、過剰な期待をもつのは禁物ではないでしょうか。
事故調の問題については拙速を避け、スウェーデンオランダなどこの道の先進国の制度を参考に十分練り直していく必要がありますが、患者側としてはまず何を求める組織なのか、その目的達成のための最善のシステムとはどんなものかをもう一度考え直してみなければならないでしょう。

医療事故という言葉の定義も必ずしも定まっていないところがあって、医療現場で発生した予想外の出来事全てを含む場合もあれば、いわゆる医療ミスとほぼ同義に用いられている場合もあるようです。
これを過失の有無に関わらず患者に有害な結果をもたらした予想外の出来事と捉えるならば、決して万能などと呼べないのは確かですが解剖(病理解剖)には一定の意義があるだろうと思われます。
ところが実際のところ医療訴訟になったような事例であっても解剖の実施率は思いのほか低く、死因などの基本的な争点すら病理結果抜きに争わなければならない事例が見られるのは当事者双方にとって残念なところです。

実際には単に解剖実施率を上げるとなれば病理医を中心に現場には多大な負担がかかることが予想されますし、解剖の設備のない多くの中小病院においては他医療機関との連携など解決すべき問題も多いでしょう。
大野事件においても解剖が行われておらず、判決後に患者遺族が出した県への改善要望の中にもその項目はなかったのですが、真実を求める患者サイドから積極的に「異常死が疑われた場合は全例解剖を義務づけるべきだ」というくらいの要求があって当然だと思います。
当面慎重に範囲を定めていかなければ運用は不可能でしょうが、真実は座して与えられるものではなく、患者、遺族も自ら真実を求める行動をとっていかなければならないでしょう。

これは医療に限った話ではありませんが、何かことが起こるたびに「二度とこういう事故が起こらないように」という声が必ず起こってきます。
しかし万一の事態に備えて十分な準備をするとは実際どういうことなのでしょうか。
大野事件の場合、(これも未だに異論があるのですが)現時点では死因は出血死とされており、最終的な出血量は2万ml程度とも言われています。
難症例であることは実際に胎盤剥離に取りかかってみて始めて判ったことですからいつ何時起こるか判らないわけであって、少なくとも予定帝王切開の術前に数十単位からの輸血を用意し、複数の産科専門医と専任の麻酔科医を用意しなければならないでしょう。
もちろん経膣分娩の予定ではあってもいつ緊急帝王切開となるか判らず、そして昨今では帝王切開まで30分以内というルールを満足しなければ賠償金支払いと言いますから、産科施設はこうした体制を365日、24時間取っておかなければならない道理です。

こうした対応が(実際行い得るとしてですが)取り得る施設が日本に幾つあるかということがまず第一点。
当然こうした対策は産科だけに対して行えばよいというものでもありませんから、全診療科で万一の事態に備えた万全の体制を取るとして医療費総額が一体幾らになるのかということが第二点。
そして最大の問題は、こうして万一の事態に備えて手厚い体制を整えるほど、マンパワーや輸血などコスト以前に絶対数が限られるものが本当に必要な患者に用いることも出来なくなることです。
つまり、より安全な医療を求めて万全の医療体制を追求すればするほど、実際に患者の受けられる医療レベルが低下していくという奇妙な現象が起こってくるわけなのです。

BSE騒動の際にマッシー池田氏などが激しく警鐘を鳴らしていましたが、今や広く国民の間に蔓延するゼロリスク症候群という問題があります。
「何があっても大丈夫な万全の体制を」と口にするのは簡単ですが、現在の医療界はたやすくそうした要望にこたえられるような余力などどこにも存在しないということを患者はまず認識しなければなりません。
要するに万一に備えろと言うのであれば、その分どこを削ることを許容するのか決断するということが必然的に求められるわけです。
万に一つの可能性に備えて今よりはるかに高負担を許容するのか、万に一つの可能性にも対応できる施設でのみ診療を行うのか、それとも万に一つは避けられない医療の限界として受容するのか。
こうした言葉を口にするならば、少なくともそのいずれかを受け入れる覚悟を決めておかなければなりません。

医療に限らず国全体に余裕がなくなってきている現在、何を重視し何を捨てるかを明確化していない要求はたやすく順番待ちの最後尾に回されてしまいます。
患者側もまず何を求めるのかを明確化しなければ、単に患者という弱者の立場にあるというだけで黙っていても優遇を受けられるような時代ではないということです。
まさに医療界が二度とこういう事件を起こさないように激変しつつある現在、求めなければ今まで通りの医療を受けられる保証すらどこにもないという現実をまず認識していかなければならないでしょう。

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コメント

非常に小さな話かも知れませんが
判決後に患者遺族のコメントではなく
判決後に患者遺族の一人のコメントです。
名前を公表して発言されていますが
患者遺族を代表してでの発言ではありません。

推測ですが、本事件では遺族が全員同じ考えか
どうはは不明です。

一般論として
こういった事件では遺族が全員同じ考えで
あることはまれではないでしょうか


投稿: | 2008年8月25日 (月) 12時55分

重要なご指摘ありがとうございます。
こういう場所で書くことではありませんが、噂レベルではいろいろと込み入った内情の情報も入ってきます。

医療崩壊という現象とも絡めて重要なことですが、普段顔を合わせている患者、遺族とどれだけ良好な関係を築いていても、一度も顔を出さなかった遠い親戚のひと言で全てが壊れてしまうということが多々あります。
これからは患者対医師関係のみならず患者対家族、さらに進めて医師対医師という関係についても考えていくことが必要でしょう。

投稿: 管理人nobu | 2008年8月26日 (火) 07時49分

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